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気候と人口の研究の共通言語を考える -- 気候研究者は何を提供できるだろうか (講演予稿)

歴史人口学の研究者からの呼びかけに応じて、日本人口学会 http://www.paoj.org/ の第71回(2019年)大会 http://www.paoj.org/taikai/ のうち、6月2日にひらかれる 企画セッション「天明-天保期の東北地方における気候と人口 -- 歴史気候学と人口学との対話」で話をすることになった。

2019年3月20日、そのための「報告要旨」を日本人口学会のサイトに投稿した。この下に、同じ文章をつける。[2019-02-14の記事]に箇条書きにした論点のうちいくつかを文章にした。ただし、紙面の制約があるのに論点をしぼりきれなかったので、それぞれの論点についてことば不足になってしまったところもある。

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1. 天気、天候、気候
「気候」という用語の複数の使われかたのひとつとして、地表に近い大気の状態 (寒暖・乾湿など) を、時間規模によって、数日までを「天気」または「気象」、1か月から数年までを「天候」、数十年以上を「気候」とすることがある。気候は気象変数の数十年(典型的には30年)の統計で表現されるようなものだが、統計量は平均値だけではない。数十年のあいだに極端な天気現象(たとえば大雨)や極端な天候(冷夏や少雨など) がどのくらい起こるかも気候の構成部分である。気候の変化が人間社会におよぼす影響を考えるとき、平均値の変化よりもむしろ極端現象の頻度の変化が重要だと考えられている。

2. 機器観測と日記天気記録
近代科学のなかで、気候は大気や水に関する物理量 (気温、気圧、風速、降水量など)の観測値の統計で表現されてきた。 物理量を測定する機器による気象観測はヨーロッパで17~18世紀に始められたが、世界の陸地をだいたい覆うようになったのは19世紀後半である。ただしそれは地表面に近い大気の観測であり、高さ十数キロメートルにおよぶ3次元の大気の状態の観測がそろってきたのは第2次世界大戦のころである。

日本では、明治期に国による気象観測網が整備された。それよりもまえの個人などによる機器観測記録を掘りおこす研究もされているが、それ以外の情報も必要である。幸い日本では、日記に毎日の天気が継続して記録されていることが多く、天候・気候の情報源にもなる。(日本以外の地域で毎日の天気記録が利用可能かはまだよくわからない。諸外国の歴史資料による気候研究は、災害や収穫の記載による、時間分解能が年単位のものが多い。)

近代の気候学では気温と降水量が基本変数とされてきた。しかし、天気記録からは、気温がよくわかるのは雨と雪の境界付近にかぎられる。降水の有無や豪雨かどうかの情報はあるが、降水量の値を得るのは困難である。降水以外の天気の情報はおもに雲に関するものだが、数量としては雲量よりも日射量の相対値として扱ったほうがよさそうである。

3. 物理モデルの利用、データ同化
大気や海洋の物理量の変化は、エネルギー保存、質量保存、運動方程式などの物理法則にしたがっている。物理法則にもとづいた数値モデルによって、天気・天候・気候のシミュレーションがおこなわれ、天気予報やいわゆる温暖化予測に応用されている。

シミュレーションは、ある時刻の3次元の状態量(「初期値」) を与えられて時間前進型でおこなわれる。現代の観測にもとづく初期値があっても、大気・海洋自体の非線形性のため、有効な予報は大気だけでは1か月程度、大気海洋結合で1年程度までである。

計算には、外部条件として、太陽からの光のエネルギー供給量、二酸化炭素などの大気成分や大気中エーロゾルの濃度も必要である。現在にいたる約千年間について、太陽活動や火山活動の復元推定にもとづく外部条件を与えたシミュレーションもおこなわれている。ただし外部条件の定量的な不確かさが大きいので、現実の近似と考えるべきではない。

天気予報の初期値をつくるために、観測値とその前のステップの予報値を組み合わせる「客観解析」技法が開発された。これが発展して、物理モデルに観測データをとりこむ「データ同化」技法となった。新しい予報モデルに過去の観測値を同化して品質のそろった4次元時空間データを生産する「再解析」プロジェクトがおこなわれている。上空の観測がある1958年以降については気象庁による「JRA55 」がある。地上の機器観測のある1850年以降についてはアメリカ合衆国NOAA ESRLによる「20世紀再解析」がある。芳村圭(東京大学)はさらにさかのぼった「千年再解析」を構想している。まず樹木年輪・サンゴ・堆積物などの年単位の情報を大気海洋結合モデルに同化して海面水温を得て、それから日記天気記録などの日単位の情報を大気モデルに同化して気象場を得ることを考えている。

4. 空間スケールに関するむずかしさ
機器観測も、日記天気記録も、年輪などによる証拠も、観測場所のローカルな気候に関する情報をもたらす。人間社会に影響をおよぼすのもそれぞれの場所のローカルな気候だろう。しかし、物理法則にもとづいた理論や数値モデルから気候について主張できることは、おもにグローバルな気候に関するものである。このギャップは簡単にうめられるものではなく、つねに注意が必要である。

過去百年・千年規模の寒暖の議論でよくつかわれる「中世温暖期」「小氷期」などの概念はヨーロッパおよび北アメリカ東部で発達した。日本の夏もそれと同位相になりやすいようではあるが、かならずしも世界全体の特徴ではないことに注意が必要である。全世界規模あるいは「アジア」などの広域の寒暖・乾湿を代表するデータを得ることはむずかしい課題であり、国際共同研究事業 (Future Earthの一環でもある) PAGES (Past Global Changes)のうち「PAGES 2k」の主要課題のひとつともなっている。

東アジアのうちでも変化は同調しているとはかぎらない。とくに乾湿については、たとえば中国と日本、あるいは長江流域と華北などで、偏差の符号が逆になることもある。

東アジアの夏のはじめと終わりには、梅雨前線・秋雨前線とよばれる構造がある。東西の帯状に、雨が多く地上に達する日射量が少ない状態が持続する。帯からはずれた南側と北側は相対的に晴れやすい。(盛夏の状態はかならずしもこの描像にはあわない。)

また、日本列島の地形にともなう構造もある。冬には、北西寄りの季節風の風上になる日本海側で雪や雨の降水が多く、風下の太平洋側では晴れやすい。また、夏の東北地方では、太平洋側に限って北東寄りの風(「やませ」と呼ばれることがある)がふいて下層雲や霧が多く日射量が少なくなることがあるが、これは年々変動も大きい。この規模になると全地球格子の再解析データでの表現は困難であり、領域限定の大気モデルが必要になる。