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経済成長を政策目標からはずすべきだ

国民のみなさん、とくに与党・野党を含めた政治家のみなさんに訴えたい。

これまでおよそ1世紀にわたって、政策の目標として、経済成長、もう少し具体的には「実質GDP」で代表される経済の規模の拡大が、ほかの何よりも重要とされてきた。しかし、もはやその時代は終わった。経済成長をしては絶対いけないというわけではないが、政治はもっと重要な目的を追求するべきであり、そのついでにGDPが成長しようがしまいがかまわない、というふうになるべきだ。

そして、重要な目的には、人類社会が持続可能であることが含まれる。その目的のためには、日本のような工業先進国では、人間活動による物質やエネルギーの流れをこれ以上ふやすべきでない。この目標を経済成長と両立させることは絶対的不可能ではないがとてもむずかしい。両立できないならば、経済成長のほうをあきらめるべきなのだ。

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エネルギーについて、もう少し詳しく述べる。

これまで約1世紀の日本やアメリカ合衆国の経験によれば、GDPの成長と、消費されたエネルギー資源のうち最終目的に有効に使われた量の成長は、相関が高い(Ayres and Warr, [読書ノート])。

消費されたエネルギー資源の大部分は、石油・石炭などの化石燃料と、核燃料だ。その消費量をふやし続けることはもはやできない。

もちろん、GDPとエネルギー消費の関係は経験則であって原理的なものではないので、エネルギー消費をふやさずにGDPをふやす努力はしてもよい。

また、エネルギー資源のうち途中でむだになって最終目的に届かないぶんを減らす努力もするべきだ。

エネルギー源を自然エネルギー(再生可能エネルギー)に求める努力もするべきだろう。

しかし、そのどれにも限りがある。有効に使われるエネルギー量の成長をずっと続けることは不可能なのだ。

もうしばらくは、化石燃料に頼って成長を続けることはできる。温暖化が心配ならば、燃料をよけいに使えば、二酸化炭素を地中に閉じこめることもできるかもしれない。ただし、それは地下の大きな体積の環境を改変することになり、核燃料廃物の場合のようなきびしい隔離は不可能だ。したがって、核燃料への依存とともに、化石燃料への依存も、なるべく早く減らしていくべきだ。

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もし「景気がよい」がGDP成長率が正のある値以上であるべきだという意味ならば、もはや景気をよくする政策をとってはならない。もちろん、失業者が多いなどの意味での「景気が悪い」状態は避けるべきだ。GDPではなく失業率を目標変数とする政策をとるべきなのだ。

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GDP成長重視は、政策のいろいろなところにひずみをもたらしていると思う。

省庁間の力関係で、GDP成長に寄与している省庁ほどいばっているように見える。

現状では経済産業省がいちばん強いようだ。

農林水産省には、農業が成長産業であることが期待される。しかし土地の生産力には限りがある。単価を上げようとすると、持続不可能な農業をしている外国の産物と価格競争せよと言われる。これでは「成長せよ、かつ成長するな」ではないか?

環境省は、環境保全でがんばってもたいしてほめられず、環境ビジネスを育てることが期待される。

厚生労働省には、医療産業を成長させることが期待される。日本の病院に外国人が診療してもらいに来ることはあまり期待できないので、これはほぼ、日本国民の医療総支出がふえることと同じだ。もし(重大な「もし」)国民の所得がそれ以上の勢いでのびるのならば、これはよいことなのだ(とされる)。しかし、国家財政は火の車なので、政府支出は縮小しなければならない。社会保険事業は成長してはならない! と命令される。

こんな目標設定にこたえられる官庁や政治家がはたしているだろうか?

各官庁の目標設定から「GDP成長に寄与せねばならぬ」という重しを取り去ることが急務だと思う。