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学術データの長期保全の場の持続可能性がほしい (2) 非公式文書も視野にいれて

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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8月2日に[学術データの長期保全の場の持続可能性がほしい]という記事(ここでは「第1部」と呼ぶ)を書いたとき、わたしは、気象を含む地球物理現象に関する近代的な観測の記録を念頭においていた。機器観測にくわえて目視によるものもあるだろうし、数値にくわえてことばによる記録もあるだろうが、観測をおこなった機関がもつなんらかの標準にしたがっており、記録した個人による差は小さいと考えられるものだ。

そのような近代的観測記録のうちでも、古いものは、まだ数値や文字のディジタルデータ(以下便宜上「文字データ」と総称する)として取り出されておらず、紙やマイクロフィルム、あるいはディジタル画像データの状態であるものが多い。古い資料から文字データを取り出すこと(「文字化」と表現する)は資料を保管している機関の業務として予算がついていないのがふつうで、研究のために必要な人が研究費のうちで文字化する。第1部で書いたのは、その文字化したものを、研究プロジェクトが終わったあと、どこで保存し、利用したい人に提供するか、ということだった。

そのときは書かなかったが、文字化はもとの資料のすべての項目でなく限定的にしていることもあるし、文字化の精度は研究プロジェクトごとにまちまちでもとの資料提供者が保証するわけではない。文字データからもとの資料にさかのぼれることがのぞましい。もとの資料がすでにディジタル画像化されており、それを公開することに権利上の問題がないのならば、ちかごろ古文書などの人文情報についておこなわれているように、画像情報をウェブ上に置いたうえで、それを文字化したものと相互にひもづけするのがのぞましい。文字化の進捗を可視化すると、文字化をやってもよいと思う人たちの労力もうまく配分できるだろう。

気象庁のような地球観測機関の、公式の観測原簿のようなものならば、おそらくそのまま一般公開してもさしつかえないと思う。ただしそれにしても、そのまま国会図書館アーカイブにもっていくと、「著作権の確認ができていないので館内限定」から抜け出せないままになるのではないか、公文書館にもっていくと、行政文書一般と同じ扱いになって、「個人情報の確認ができていないので館内限定」になるのではないか、と、わたしはおそれている。公開したい人が(第1部で述べたような条件をみたす)受け皿組織をつくったうえで、気象庁が「受け皿組織の提案する方法で公開してよい」と宣言してくれる、というふうに進むとありがたいと思う。

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ところが、2018-08-10 に、気象庁のかつての富士山測候所の職員が書いた、通称「カンテラ日誌」という文書が、東京管区気象台にあったのだが、廃棄処分にされてしまった、ということが報道された。(2018年3月に「ゆくえ不明」という形で報道されたのだが、その後、「溶解処分」されたとわかったらしい。) これをめぐって、「けしからん」という意見がとびかった。

ここにはいくつかのむずかしい問題があると思う。

気象庁では観測の公式な原簿(のディジタル画像データ)はきちんと保存している。

カンテラ日誌」は、観測現場の記録ではあるが、職員が自主的に書いたもので、職務上の記録と認識されていなかった。

このような非公式な文書はたくさんある。その多くが、だれも保存しようとも廃棄しようとも考えないまま、なんとなく残っている。建物の建てかえや、組織の変更で、ひっこしが必要になったとき、急に判断をせまられる。行き先の建物の空間は余裕がないことが多い。機関の規定で保存対象になっていないものは、廃棄という判断に傾きやすい。

廃棄されたものは職員がかってに持ち帰ってよいとなる場合もあるが、(気象庁の場合についてわたしは知らないが) 個人情報や企業秘密などが含まれている可能性が否定できないと、だれも読めない形にまで処分しなければいけないと判断されることがある。

地球科学的な事実を知りたい立場からも、観測がおこなわれた場所の状況、異常な事件が起こった日の状況などを知るために、非公式な文書があると助かることはある。

カンテラ日誌」について、わたしは短い報道記事での紹介しか知らないが、これは、富士山測候所という特殊な場所での記録でもあるし、その内容を部分的に含む本が出版されて知られていたりもするので、歴史的価値のある文書だったにちがいない。これが失われたのは残念なことであり、同様な価値のある文書が失われないようなしくみがあることがのぞましいと思う。

しかし、非公式な文書はたくさんある。それを全部保存することは機関の能力をこえるだろう。歴史的に重要な文書を選び出す作業を、だれかが、ひっこしの日程にまにあうように、しなければならないだろう。だれが? という問題になる。(機関のなかに、機関の歴史(会社ならば「社史」)を記録する部署があれば、そこの人が担当するという形をとれるかもしれないが、機関がそういう部署をもつことも、ちかごろはへっているようだ。)

非公式な文書には、公開にさしつかえる内容が含まれることがいろいろありそうだ。網羅的ではないが思いあたることをあげてみる。

  • いまから見ると差別にあたる表現があるかもしれない。
  • 保護すべき個人情報があるかもしれない。
  • 規則違反あるいはハラスメントがあったことを示す記述があるかもしれない。もしその記述が確かだとすれば、過去の人事上の処遇などが正しくなかったことになるかもしれない。しかし非公式な文書の記述のほうが公式記録よりも正しいという保証もない。このような問題は、長期的にはあかるみに出るべきなのだろうが、不用意に部分的な形でひろまると人に迷惑をかけるかもしれない。

非公式の文書を保全して提供する組織は、それぞれの文書に、現代史資料にふさわしい利用条件を設定し、それをまもれる人には提供する、という体制を組む必要があると思う。そういう受け皿組織が手をあげてくれないならば、文書が消えていくのはやむをえないだろう。