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高校学習指導要領案 (地理) の中の領土問題ほか政治がらみのこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事には、地理学に関連する分野の学者としての見解と、ひとりの国民としての意見とがまざってしまっている。学習指導要領案に関するわたしの意見のうち、直接に政治的な問題をあまり含まない学術的な議論は、これとは別の記事にするつもりである。】

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文部科学省が2018年2月14日に発表した学習指導要領から、地学と地理の部分を抜き出して見ている([別記事]参照)。

地理のところを見ていたら、わたし個人としては賛成できない主張があった。しかしそれは、学習指導要領という文書が日本という国家がその機能として出しているものであることと、いまの行政府のもつ原則からは、なりがちなものだと思う。

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まずとりあげたいのは、領土問題のあつかいだ。基本的に同じ注意書きが、「地理総合」「地理探究」の両方の科目にある。

「地理探究」では、「内容」を述べた「2」のうちの「2-A-(5)-(ア)」に「領土問題の現状や要因...について理解すること」という記述がある。(このかぎりでは何もまずいことはないとわたしは思う。)

そして、「内容の取扱い」を述べた「3」のうちの「3-(2)-ア-(オ)」という小項目は、「2-A-(5)」に対する補足を述べたものである([わたしの抜き書き]では上記の内容の小項目の直後に移した)。その小項目の第2段落は、「『領土問題の現状や要因,解決に向けた取組』については」で始まっていて、「日本の領土問題にも触れること」という語句がある。ところがその段落は「領土問題は存在しないことも扱うこと。」で終わっている、という、一見矛盾するような文になっている。日本政府の領土に関する公式見解を知って解釈すれば、執筆者は「領土問題は存在しない」をその前にある「尖閣諸島については」で限定したつもりだったのだろう。もし、それを認め、さらに政府の公式見解の立場に立ったとすると、今度は、尖閣諸島の件を「領土問題の現状や要因」の小項目のうちで扱うべきなのか、扱うべきではないのか、という疑問が生じる。この文書は、まだ原案であり、意見公募を受けてから改訂されることが見こまれている。この部分はいずれにしても改訂が必要だろう。

わたしの理解では、「領土問題がある」とは、おおまかに言って、どの土地がどの国の領土であるかについての主張が複数の国などの主体のあいだでくいちがうことだが、そのような事態では、「領土問題」ということばの意味も主体間でいくらかくいちがうのはあたりまえのことだ。地理教育の現場で、そのように教えてよいのならば、それに加えて「尖閣諸島について、日本政府の公式見解による領土問題はない」と教えてもかまわないと思う。

しかし、授業の場、教科書をつくる場、試験問題をつくる場などに対して、領土問題については必ず日本政府の公式見解にしたがって記述し、それ以外の記述は教えてはいけない(あるいはまちがいとして教えよ)というような規制がかかるような事態になっては、いけないと、わたしは思う。わたしは、地理学の教育がそのような事態になるとしたら、それは学問としての地理学をゆがめることにもなると思う。(ただし、この部分で意見が一致しない人とも教科の内容の議論は続けたい。)

悪い事態をふせぐためには、意見公募の機会も利用したほうがよいと思うのだが、どのような意見の述べかたをしたらよいか、よくわからない。自分の意見を明確にするべきか、行政府の機関が受け入れやすそうな妥協案を出すべきか、という問題もある。

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「地理総合」のほうでは、「領土問題」ということばが、「2. 内容」には直接出てこないで、「3. 内容の取扱い」にだけ出てくる。

「内容」の「2-A-(1)-ア-(ア)」に「日本の位置と領域」というキーワードがある。これに対する補足として「3-(2)-ア」の中に次のように書かれているのだ。

「日本の位置と領域」については,世界的視野から日本の位置を捉えるとともに,日本の領域をめぐる問題にも触れること。また,我が国の海洋国家としての特色と海洋の果たす役割を取り上げるとともに,竹島や北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。その際,尖閣諸島については我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しないことも扱うこと。

問題点は「地理探究」の場合(この記事の2節)と同様だと思う。そして今度は、笑えるところはない。

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しかし、指導要領の地理のところ全体が、国の公式見解にこだわる論調にそまっているわけではない。

「地理探究」の最後の文は次のようなものだ。

...「我が国が抱える地理的な諸課題」に関しては,それぞれの課題が相互に関連し合うとともに,それらの現状や要因の分析,解決の方向性については,複数の立場や意見があることに留意すること。

これが含まれている箇所は「3-(2)-ウ」で、内容の「2-C」に対する補足だ。1節で論じた領土問題についての補足とは横ならびであり、それを制約するものではない。ただし、「3-(2)-ウ」のはじめに、「2-C」について「この科目のまとめとして位置付けること」と言っている。「複数の立場や意見があることに留意すること」を基調として受け取ることが可能かもしれない。そうなるとよいと、わたしは思う。

「地理総合」では、最後ではないのだが、「3-(2)-イ-(ア)」に「それらの現状や要因の分析,解決の方向性については,複数の立場や意見があることに留意すること。」とある。これは「2-B-(2) 地球的課題と国際協力」に対する補足であり(わたしの抜き書きではそこに移した)、「それら」は「地球的課題」をさしている。現状の文案では、この補足が領土問題にも適用されると考えるのは無理だと思うが、そういう位置づけに変えられるとよいと思う。

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「地球的課題と国際協力」などの題材をとりあげることに関しては、地理学者や教員のうちにも熱心な人はいることはいるけれども、国としてつくる指導要領だから強調された面もあると思う。官僚や政治家のうちに、領土問題について自国の立場を強調する人びとと、国際協力と複数の立場に留意することを強調する人びとの両方がいて、それぞれが圧力をかけているのだと思う。

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科目の目標のところにも、気にかかる語があった。「地理総合」「地理探究」それぞれの科目の目標のところにも出てくるのだが、両者を含む教科「地理歴史」の「第1款 目標」から「(3)」を抜きだしておく。

(3) 地理や歴史に関わる諸事象について,よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに,多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚,我が国の国土や歴史に対する愛情,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。

わたしが問題にしたいのは、「愛情を深める」ことを公教育の目標にしてよいのか、ということだ。わたしの公教育観では、いけないと思う。(「国民としての自覚」のほうは、外国人住民の立場を考えたときの大きな不満は残るのだが、日本国憲法でいう「国民」としての自覚ならば、あってもよいと思う。) 今のわたしには、これ以上、考えを展開できないので、ここまでにしておく。