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国籍というやっかいな問題

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2017年7月、(日本の)民進党代表の蓮舫氏に対して、(わたしから見ると、あきれたことに)民進党内部から、「戸籍の情報を開示せよ」という要求があるそうだ。1年前の「二重国籍ではないか」という疑惑が消えていないらしい。それにしても、戸籍を見たところで、いつ正式に日本国籍の人になったかはわかるだろうが、二重国籍の時期があったかどうかの情報はないはずだ。そして、この件にかぎらずに言えば、戸籍は、必要以上に個人情報を含んでいるので(本籍地を変えることはできるが変更の履歴が見えるので)、出身地などによる差別に使われることがあった。その反省から、今の日本社会ではむやみに戸籍情報を要求しない習慣ができている。公職選挙では立候補の際に被選挙権があることの確認のために選挙管理委員会に戸籍情報を提出しているはずで、それがすんでいる人についてはそれでじゅうぶんなはずだ。

戸籍の制度は、日本国憲法のもとで改造されてはいるものの、「家」制度を重視する明治の体制でつくられたものをひきついでしまった。現代の人権のたちばからは、これは廃止するべきだという主張のほうが筋がとおっていると思う。しかし、これからも、国民各人が国民であることを証明できるなんらかの公的な登録システムは必要だろう。そして、それに、これまでの戸籍の情報を引き継ぐことはたぶん必要だろう。まずは、戸籍制度はそのままでも、役所が「戸籍謄本」や「戸籍抄本」よりも単純な「この人には戸籍がある」という情報だけの公式な証明書を出せるようにして、個人の身分証明はそれでよいということにするべきだろう。(同姓同名の人の区別や、名まえを変えた人の同一証明などのために、どれだけの情報を書きこむべきかという制度設計の問題はあるが。)

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ここからは、1年ちかくまえの2016年9月に、蓮舫氏が二重国籍ではないかと疑う言説に関連して出てきたいろいろな議論を受けて考えたのだが、そのときはブログ記事として出すにいたらなかった内容だ。まず、一般的に、国籍に関する問題、とくに無国籍と二重国籍について考えたことを書く。そのあとで、蓮舫氏の事例を知って考えさせられたことを書く。あとのほうも、言いたいことは蓮舫氏についてではなく、われわれは国籍にどうかかわっていったらよいのだろうかという問題だ。

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19世紀以来、世界の人が住める土地は、国民国家によって分割されてきた。今では、国籍は、人の属性として、年齢(成人か子どもか)、性別とともに、圧倒的に重要だ。(昔は国民のうちでも出身階級や民族によって身分が分かれていたり、同じ国家の領土でも本国と植民地とで住民の身分がちがっていたりしたこともあるが、そのような構造は、だんだん少なくなっている。)

今の世界で生きていく人にとって、国籍をもたないことは、国境を越えた移動や、就職などに、非常に不利になる。たとえば、無国籍者として育ち(今は日本国籍だが)、無国籍者の問題の専門家となった、陳天璽さんの話(2004年) 「無国籍者として生きるとは」http://www.taminzoku.com/news/kouen/kou0406_chin.html にあらわれている。

もし、国籍の制度が世界で統一されていたら、無国籍者をなくすのは簡単かもしれない。実際には、国民国家の制度はいっせいにつくられたわけではなく、それぞれ個別に発達してきたので、国籍の制度は統一されていない。血統主義のところもあれば、出生地主義のところもあり、そういう意味での原則は同じうちでも、個別の制度は一致していない。

ようやく最近、無国籍の状態は人権上まずいことだと認識され、各国の政策は無国籍者を減らす方向に向かっていると思う。

しかし、日本では、無国籍者の実態を国がよく把握していないうえに、(陳さんの例を見ると)日本国籍を申請しても、ややこしい条件がつけられることがよくあるようだ。

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多重国籍(二重で代表させる)は、人権上は、無国籍ほどまずいことではない。しかし、国の政権の側から見れば、自国民でもあり他国民でもある人は扱いにくい。自国民についてと外国人について別々の権利・義務を設定しているとき、どちらを適用したらよいのかが定まらないと困るのだ。そこで、政権は、多重国籍が生じることを防ごうとすることが多い。ただし、それをどのくらい強くやるかは、国によってちがう。

日本の制度は、多重国籍を防ごうとする意志を強く反映している。自分の意志で日本国籍をとる(「帰化する」というのはこのことをさすが、国家のほかに民族に関する含みのある表現なので、ここではなるべく使わないことにする)ことが認められた人には、他の国籍を離脱することが期待される。また、日本人の子が、出生地主義をとる国で生まれると、子どものあいだは両方の国籍を(暫定的に)もつことができるが、成人になった際(正確には年齢の規定が他の法律の成人年齢とはちがうのだが、ここでは大まかな構造を示すためにわざとこのように書く)に、どちらかを選ぶことが求められ、日本国籍を選んだ場合は、他の国籍を離脱することが期待される。ここで「期待される」と書いたのは、もうひとつの国が、国籍の離脱を認めない場合があるからだ。法律的に正しい表現かどうか未確認だが、他の国籍を離脱することは、「努力義務」であって「義務」ではない、のだそうだ。

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日本の国籍法は、ながらく父系主義だったが、1984年の改正(1985年施行)で父母両系主義に変わった。
これは、男女同権の思想の徹底という意味もあるが、父系主義のもとで、出生地主義をとる国の夫と日本人の妻のあいだに日本で生まれた子が無国籍になってしまうという問題への対処という意義が大きかった。

ただし、この問題が指摘されてから法改正までに大きな遅れがあったのは、日本に父系主義の固定観念が根強かったというよりはむしろ、日本の行政が二重国籍を避けることを無国籍を避けることよりも重視してきたからだと、わたしは思う。父母両系を認めることは、一方だけの場合よりも、二重国籍が生じる可能性がふえることになる。それよりも無国籍が生じる可能性を減らすことのほうが重要だという認識が確立するまでに、時間がかかったのだと思う。

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ここから、事例として、蓮舫氏の場合を論じる (この節はほぼ2016年9月に書いたままである)。

蓮舫氏は、1967年生まれで、父は中華民国籍、母は日本国籍だった。当時の法律に従って、蓮舫氏は中華民国籍となった。そして、日本の改正された国籍法が施行された1985年に、日本国籍を選択した。法改正の際の経過措置として、もし生まれたときに新法が施行されていれば日本国籍を持てる立場の未成年の人は、(いわゆる帰化の審査を受ける必要はなく)日本国籍を得ることができたのだ。

(なお、陳天璽氏は両親とももと中華民国籍だったので、事情がちがう。)

蓮舫氏の記憶によれば、そのとき、中華民国(台湾)の国籍を離脱する手続きをした。ただし、詳しいことは、父親まかせだったので、記憶があやふやなところがある。手続きが完了していなかったとすれば、中華民国籍が残っていた可能性がある。これを「二重国籍の疑い」として問題にした人がいたのだった。

ただし、1972年以後の日本の法律によれば、「中華民国は国として認められていないので、中華民国籍があっても二重国籍でない」または「日本国は中華民国籍の外国人を中華人民共和国の人とみなし、中華人民共和国の法律では日本国籍を取得した人は中国籍を失ったとするので、日本国の法律上は二重国籍ではない」という理屈で、蓮舫氏が日本の法律上の二重国籍であることはありえない、という話もある(二つの理由づけが両立するかどうかは未確認)。

また、二重国籍であったとしても、それ自体は違法ではない。国会議員に立候補する条件として、日本国籍があることは必要だが、他の国籍があることによって排除されないことは、あとに述べる例で確認ずみだ。2016年に問題にされたのは、野党第一党である民進党の党首に立候補することが、総理大臣の座をねらうものだと考えられ、そういう立場の人が二重国籍であることは、(法的でなく政治的に)まずいのではないか、という理屈のようだ。

実際、いろいろな国で、国を代表する立場の元首や総理大臣など、あるいは外交官については、多重国籍が制限条件になることがある。多重国籍とは別の問題だが、アメリカ合衆国では、大統領は、いま国民であるだけでなく、生まれたときから国民であった人でなければならないという、特殊な条件をつけている。だから、たとえばドイツからの移住者であるキッシンジャー氏は大統領候補になれなかったのだ。(ただし、外務大臣に相当する国務長官になれたことにも注意。この特殊な条項が適用される職はごく限られているのだ。) オバマ大統領にも、「出生地がアメリカ国外であり、したがって大統領になる資格がない」という疑いがかけられた。これは否定する証拠が示されている。

しかし、日本の法律には、総理大臣を含む大臣や議員の二重国籍に関する制限はない(二重国籍が生じることを想定していないからかもしれないが)。

もし、蓮舫氏が、自覚しないまま二重国籍になっていたとしても、それは本人の落ち度ではないと思う。

また、蓮舫氏が「生まれたときから日本人」と言ったことがあるそうで、それは明らかにうそだ、として非難する人がいる。ただし、わたしから見ると、「日本人」は必ずしも日本国籍を意味しないと思う。日本の土地で、日本語を使って生活していたという意味ならば、うそではない。また、1985年からの国籍法が日本国憲法のもとであるべき国籍法だったと考えれば、蓮舫氏が生まれたときから日本国籍をもつことが可能であるべきだった、とも言える。さらに、蓮舫氏の父親は、かつて日本(大日本帝国)の国民であり、ただし、台湾の戸籍に属していたので、第2次大戦後の国家再編成で強制的に中華民国籍とされた、という事情がある。同じ事情にあって中国人あるいは台湾人と自認する人もいるだろうが、日本人と自認したとしても、変ではないのだ。

この件でいろいろな人の論評を読んだが、2016年9月の時点でいちばん参考になったのは、在日朝鮮人の韓東賢(はん・とんひょん)さんの「国籍唯一の原則」は現実的か?――蓮舫氏の「二重国籍」問題をめぐって(Yahooニュース(個人) 2016年9月8日)だった。

- 7 - (この節は2017年7月の書きおろし)
蓮舫氏の事例は、たんなる二重国籍の問題ではなく、次のような歴史上のややこしいことの組み合わせが、蓮舫氏に不利なように、働いていると思う。

  • 台湾はかつて日本帝国の植民地であった。
  • 第二次大戦の敗戦処理で、旧日本国民の国籍は、本人の意向ではなく、日本帝国の戸籍によって決められた。本籍地が日本本土だった人は日本人となったが、台湾だった人は中国人とされた。
  • 日本が占領から独立した時点で、日本が承認する中国政府は中華民国政府で、それが台湾を実効支配していた。
  • 日本は1972年に、中華人民共和国政府を承認し、中華民国政府への承認を取り消した。日本と台湾との関係は民間のものとなった。
  • 1984年までの日本の国籍法は父系主義だった。

日本の公人(国会議員)に、今の日本が政府と認めていない「中華民国政府」がかかわる問題についてたずねたら、たとえ事実関係はわかっていてもどう答えるのが正当かの判断に苦しむのが当然であり、蓮舫氏の答えがゆれたのをとがめるべきではないと思う。

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政治家の二重国籍問題といえば、アルベルト フジモリ氏の事例がある。フジモリ氏は、ペルー大統領在任中の2000年、日本に来て、大統領を辞任した。ペルーの司法長官が、大統領在任中のゲリラ射殺命令を人道に反する犯罪として起訴し、ペルーが日本に引き渡しを求めた。日本は、フジモリ氏の日本国籍をもつという主張を認め、引き渡さなかった。(のち2007年に、当時滞在していたチリが引き渡し、ペルーで裁判を受けることになった。)

フジモリ氏は日本(血統主義)国籍をもつ両親のあいだにペルー(出生地主義)で生まれたので、もともと二重国籍をもっており、たまたま、日本の国籍法でどちらかを選ぶことをせまられる立場に置かれずにきたのだった。

さらに、フジモリ氏は2007年に日本の参議院選挙に(比例代表の政党名簿にのる形で)立候補した。当選はしなかった。立候補の際に、日本の選挙管理委員会は、日本国籍があればよいとして、二重国籍を問題にしなかった。

フジモリ氏を訴追した2000年以後のペルーの立場から見て、国の重要な立場の人が二重国籍を利用するのはけしからんというのはわかる。日本がそのときのペルーと同様な立場になる場合を想定すれば、日本の総理大臣が二重国籍であってはいけないという法規定はなくても、政治判断として二重国籍の人を選出しないようにするべきだという主張は、(わたしは賛成反対を保留するが)もっともなところがある。しかし、国によっては、国籍を離脱するしくみがないところもある。そういうところを含む二重国籍の人が公職につくのを制限するのは不当だろう。本人が第二の国籍を利用する意志がないことの確認でよいとすべきだろうと思う。(その意味では、2016年8月の時点の蓮舫氏は、二重国籍でないことの証明はできていなかったかもしれないが、二重国籍を利用しない意志は示していたので、合格だと思う。)

さて、奇妙なのは、蓮舫氏の二重国籍(の疑い)を非難する人のうちに、フジモリ氏の二重国籍を支持した人が多いと見うけられることだ。この組み合わせは、一貫した道理で説明できないと思う。フジモリ氏の政治傾向は好きだが蓮舫氏の政治傾向は嫌いだという感情か、日本民族が他国の政治を動かすのは好きだが他民族が日本の政治を動かすのは嫌いだという感情のあらわれだろうと、推測する。

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蓮舫氏については、名まえが「日本人らしくない」と感じられることが、強みとなっている面もあるが、非難されやすい原因をつくっている面もあると思う。

ここから、この記事の本論からは離れるのだが、日本語の文字づかいに関心をもちつづけている者として、指摘できることがある。

「舫」という字を含む名まえは、蓮舫氏と同じ世代で生まれたときから日本人として登録された人には(戸籍上の名としては)ありえないはずなのだ。(1947年以前に生まれた人ならばありうるのだが)。そのことが「日本人らしくない名まえ」という印象を強めていると思う。

日本では、1947年の戸籍法改正で名まえに使える漢字は「当用漢字表」の範囲とされた。(これは「姓名」の「名」のほうであり、「姓」の字は制限されていない。) 1951年に、「人名用漢字」とよばれる別表が追加された。その後、なん段階かにわたって、使える字がふやされている。

1967年に日本人として出生届けがだされたのならば、「舫」の字を含む名まえは認められなかったはずだ。外国人が日本国籍を取得した場合も、(ひとまずWikipedia「人名用漢字」の項によれば) 2008年の国籍法改正のまえは漢字の制限が適用されていたそうだが、1985年の蓮舫氏の場合は、日本の法律の是正にともなう国籍取得だったので、すでに本人が使っている字を使いつづけるのを認めるという判断がされたのだと思う。