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「井伊直虎」の現実み

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

この記事はわたしの個人的覚え書きで、専門的知識を提供しようとするものでも、意見を主張するものでもありません。

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わたしはテレビドラマを見る習慣がない。今年のNHK大河ドラマ」の「おんな城主 直虎」は、わたしが少年時代をすごした地元の話題だから気にかかってはいるが、毎回見ているわけではない。ただし、Twitterを入り口として、ネット上でのその番組の評判をよく見ている。また、関連する話題のノンフィクションとして書かれた本をいくつか読んだ。

ネット上の論評のうち、とくに歴史学者が実名で書いているものには、ドラマ中のできごとはフィクションであって史実はそのとおりではなかっただろう、という指摘が多いように思われる。大河ドラマの場合、大きな時代設定は歴史学的知識と矛盾しないように注意していることが多いが、印象に残るのは細かい事件であることが多いから、ドラマの描写を事実と思いこまないようにという注意は、たしかに必要だろう。

しかし、「直虎」の場合、歴史を趣味とする人のうちでも近ごろの歴史学の研究をよく知っているらしい人の発言のうちに、(個別のできごとが史実であるとは言えないけれども) 戦国時代の社会がよく描かれており、その時代に起きそうなことが起きているという意味で、かなり「現実的」なドラマだ、という指摘があいついでいた。わたしが見ている範囲が限られているので、これが公平な評価かどうかはわからないが。

フィクションの現実みについて、考えさせられている。

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16世紀の井伊家は、遠江の国のうちの引佐(いなさ)地方の国衆(くにしゅう、大名よりは小規模の領地を支配する武士)だった。駿河に本拠をおく大名の今川氏に対して従属的だったが、完全に従属しているわけではなく、独立した経営体である面もあった。(ネット上のだれかの現代とのアナロジーで言えば、大企業「今川」のグループ企業だったが、完全子会社ではなかった。)

大石(2016)の本によれば、「次郎法師」や「次郎直虎」と呼ばれた人がいて、井伊家を代表して行動したことは確かだ。1564-68 (永禄7-11)年に、次郎法師の名の文書、1568年のひとつに「次郎直虎」の署名がある。しかし「次郎法師」が女だったという記述が現われるのは1730 (享保15)年に書かれた「井伊家伝記」という文書がはじめてで、「伝記」で「次郎法師」とされた人が亡くなってから148年後だ。ドラマの脚本は「伝記」に書かれたことを史実とみなしてつくられているようだが、それは確かでないのだ。

そして、鈴木(2017)の本でも、別の歴史学者がネット上に書いていたのを見ても、「次郎法師」の「法師」は、仏門にいたことを意味するのではなく、幼い男の子の呼び名だった可能性が高いそうだ。「直虎」が同一人物だとすれば、そのころようやく元服したのだろう。どんな血筋の人だったかについてはいろいろな説があるようだが、ともかく、歴史学的な考証からは、「直虎」が女性だった可能性は低いらしい。そうだとすると、ドラマの想定は、主要人物に関するかぎり、ほとんど事実に反する虚構ということになる。

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しかし、大石(2016)などによれば、当時の武家の状況では、女が当主になったとは考えがたいが、幼い当主の母などが当主代行者として文書に署名していることはある。ドラマにも出てくる今川家の寿桂尼(義元の母、氏真の祖母)は確かにそうだった。

だから、井伊家でも、幼い当主の後見人の立場で、一族の女の人が経営判断をする、というのは、事実ではなかったとしても、事情が少しちがっていたら起こりえたことだ。そういう意味では、このドラマの想定は、現実的だとも言える。

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戦国時代を扱ったドラマでは、戦闘の場面がおもになるものも多かった。しかし、「直虎」の場合は、もちろん戦闘の話題はあるのだが、その場面は簡単で、主人公の身近な人が死んだりとらわれたりするという形での影響だけが大きく扱われているようだ。主人公を女性とした設定だからそうなったのかもしれない。

これまでのところ重視されているのは領国の経営だと思う。農民、商人、今川家の要求が複雑にからんだ問題が出てくる。これは、現実に残っている「次郎法師」や直虎の名まえのある文書の大部分が徳政令に関するものであり、ドラマでもそれを扱わなければならないという事情もあるだろう。

それだけでなく、地域住民の生活と井伊家の財政を成り立たせるための、産業振興の活動も出てくる。綿花を栽培して売ることとか、森の木を切り出して売ることなどだ。このあたりは、必ずしも井伊家あるいは引佐地域に関する事実の考証ではないけれども、この時代の中部日本の産業・経済の状況をおさえて表現しているらしい。浜名湖に面した気賀の港町の描写はありえないほど大都会扱いされているようだけれども、井伊谷から外の世界につながる窓口としての期待を含めたイメージの描写だとすればもっともな気もする。

史実に忠実かどうかとは別の意味で、その時代に起こりえたことのアンサンブルのメンバー[この表現は近ごろの気象や気候のシミュレーション関係者の方言なので他の人に通じないと思うが、もっと広く通じる表現をすぐに思いつかないので仮に入れておく]を現実的に描写するということがありうるのだと思う。実際の大河ドラマがそれに成功しているかどうかはわたしには判断できないが。

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