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モダンタイムズから脱出したい

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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今から1年前の2015年1月、「I am Charlie.」というせりふがはやっていたとき、そのせりふが出てきたきっかけを知ってはいたのだが【注1】、わたしは、それとは違う意味を感じながら、そのせりふをつぶやいた。自分がCharlie Chaplin (チャーリー・チャップリン)の映画の中の彼自身が演じる人物であるような気分になったのだった。

その映画は Modern Times (モダン・タイムズ)という。仮にWikipediaを信頼すると、1936年にアメリカでつくられた映画で、音はあるのだが、人の声は歌とわずかなせりふだけで、音楽伴奏のついた無声映画に近いものだそうだ。もっとも、わたしはその映画全体を見ていない。テレビの歴史ドキュメンタリーか何かに出てきた断片と、わたしがまだ子どものころ身近な人(たぶん母)から聞いた伝聞の記憶によって、次に述べることを知っているだけなのだ。

その映画は、機械化がもたらすいろいろな事態を、喜劇的に扱っている。そのうちでもとくに、食事を提供する(口のところに持っていく)自動装置が開発されていて、主人公はその動作試験の被験者になるのだが、自動装置の回転が速すぎて、食べ物をとることができないのだ。

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今の時代、技術革新や、新製品を発売することが、よいことだとされる。しかし、消費者の側から見ると、製品の変わり身が速すぎて、追いつけないことがある。とくに、その製品が機械のようなものである場合、ある機種に熟練するかしないかのうちに、その機種はもう古い(陳腐だ)と言われることが多くなった。古いと言われても使い続けられればまだいいが、もう使ってはいけないと言われることもある。機械の生産者が業績をあげる反面、その機械の消費者であって別の何かの生産者である人が業績をあげにくくなっているので、社会全体としてはあまりいいことではないと思う。

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抽象的に書いたが、2015年1月にこの問題を感じたのは、パソコンソフトウェアについての、およそ次のようなニュースを見たからだった。

Windows 7 の「メインストリーム サポート」期間終了。「延長サポート」にはいる。これは5年後に終了の予定。【2015年1月のニュース、正確な引用ではない。】

Windows XPの「延長サポート」は2014年に終わった。その際に指摘されたことをもとにすると、大部分の人にとって、サポートされていないOSを使い続けることは、禁止されるとまではいかないものの、「いけないこと」になるのだ。

仮にOSメーカーの立場になって考えてみれば、サポートを終了させる理屈は理解できる。今のインターネットには、不正侵入を試みる人があとをたたず、その手口として次々に新しいものが出てくる。OSのサポートには不正侵入を防ぐためのプログラムの改訂(update)が含まれているが、OSメーカーの人の能力にも限りがあるので、古いバージョンのOSのupdateは、どこかで打ち切らなければならない。

サポートされていないOSは侵入による悪用の可能性があるので、ネットワークにつながった状態で使うのは、その利用者が損を覚悟すればよいことではなく、はた迷惑になる。

ネットワークにつながないで孤立して使うことはできる。計測機器からのデータ取得など、簡単に新しいOSに移れず、そうやって使いのばす必要がある仕事もある。その場合も、データ交換の媒体からいわゆるコンピュータウィルスなどがまぎれこまないように充分の注意が必要だ。

しかも、今どきのパソコンのソフトウェアのつくりかたが、ネットワークにつなぐことを前提としたものが圧倒的に多い。そういえば、OSのupdateも、いま日本で選択できるうちでかなり高速なネットワークにつなげる環境でないと、メーカーが勧めるとおりに実行することは困難だ。だから、「サポート終了」は、「もう使ってはいけない」にかなり近い。

マイクロソフト社は、OSや「オフィス」ソフトウェアのバージョン大改訂の際には、起動メニューなどのデザインを大きく変えてしまう。旧版と新版をそれぞれ初めて使う人どうしで比べれば、新版のほうが使いやすいように、くふうされているのだと思う。しかし、旧版の上で仕事をしている人にとって、新版を使わされることは、せっかく慣れた作業の流れを中断させられることになる。職場などの集団として考えたとき、仕事の内容に関する熟練者がいても、パソコン作業を含めた仕事の流れについてはみんな未熟練者になってしまう。これによる各職場の損失をあわせると、社会全体には大きな損失をもたらしているのではないだろうか。

わたしは、仕事用のパソコンのハードウェアを新しいものに変えるときも、使い勝手を変えたくないので、OSは慣れたバージョンを使い続けようとする。それで、Windows XPからVistaをとばし、7に移り、8 (8.1を含む)を避けて、今のところ中古に頼って7を使い続けているが、もしハードウェアが長もちするとしても2020年には7をあきらめなければいけないのかと思うと、つらいのだ。

また、古いOSを使うのを避けようとすると、パソコンのハードウェアのうちで、新しいバージョンのOSをのせることができない、あるいはのせたら動きが遅すぎて使い物にならないものも、あきらめなければならない。パソコンを使い続けようとすれば、買いかえるしかなくなる。経済全体にとっては、需要が喚起されるのはよいことだという評価もあるかもしれない。当事者としても、新しい商品に魅力を感じて自発的に買うのならば(それを買えるだけの収入なり貯蓄なりがあることも必要だが)よいだろう。しかし、今の機種に不満がないのにOSメーカーのサポート終了によって買いかえを強制されるのは、理不尽でありメーカーの(あるいは現代資本主義社会の)横暴であるように感じられる。

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この種類のできごとは、たびたびくりかえされる。わたしが1年前に書きかけにしていたこの記事の下書きをひっぱり出したのは、2016年1月12日にNHKテレビそのほかで、およそ次のような内容のニュースを見たからだった。

マイクロソフト社がInternet Explorer (ウェブブラウザの商品名、IEと略す)の、最新版以外のバージョンのサポートを終了する。【2016年1月のニュース、正確な引用ではない。】

もっとも、マイクロソフト社のウェブサイトのホームページやIEを紹介するページを見にいったところ、すぐ見えるところにはこの件のお知らせは出ていなかった。だいぶ前の日付で広報ずみなのだろうが、マイクロソフト社として、今すぐにすべてのパソコンユーザーに周知徹底する必要があるほど重大なことだとは思っていないようだ。NHKのニュースの話題も、役所や会社のサービスを提供するサーバー側のプログラムに、ユーザーがIEの旧版を使うことを想定しているものがあり、新版に対応させるための改訂のてまがかかる、ということをおもに問題にしていた。

【わたし自身はこの問題で直接困っていない。自分のパソコンでは、IEとは別のブラウザを使い、それを最新版にupdateしている。そこから使う役所や会社のサービスで、IEでないと不つごうが起きるものに今は出会っていない【注2】。しかし、パソコンに慣れていない人にインターネットの使いかたを説明するとき、「まずIEを使って別のブラウザをインストールし、それ以後はIEではなく別のブラウザを使う」ことを勧めるよりも、全部IEですませたほうがよいと思うことがある。するとわたしはIEに関する基本的注意事項の知識もupdateしつづけなければならない。】

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もちろんマイクロソフト社だけが問題なのではない。1年前にもどるが、2015年1月にこの記事を書きかけたときに、もうひとつ、Google社が、Android (いわゆるスマートフォンに使われている組みこみOS)の旧バージョンへの対応を打ち切るという話も流れた。対応を打ち切られるバージョンのうちに、それを組みこんだ機器がまだ新品として売られているものを含んでいたので、ひどい、という主張を見た。他方、Androidに組みこまれたブラウザへの対応が打ち切られるだけで、アプリケーションを追加してそれを経由すればGoogleのサービスを使うことはできるので、大きな不便ではない、というような主張も見た。(わたしはスマートフォンのユーザーではなく、この件は本気で追いかけていなかったので、誤解しているかもしれない)。

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こういった事件は「よくあること」になってしまった。そのような事件を集団としてみると、現代社会は、インターネットによってつながったサーバーと端末の両側のソフトウェアの組み合わせが複雑になっており、その両方が、少なくとも不正利用を防ぐため、さらには各事業者が新規性を追求する(おそらくそうしないと競争に勝てないと思っている)ために、どんどん変わっていく。情報技術の消費者(その多くは何かの生産者でもある)は、それに追いつくことで消耗し、本来やりたいことに向ける精力がそがれているのではないだろうか。

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人類が使える地球の資源には限りがある。仮に資本主義を前提としても「旧製品を陳腐化させて新製品を売れ」が正義ではない。

原子力発電所の設備の耐用年数が40年として設計されていたことが話題になった。ここでは原子力特有の問題に立ち入りたくないのだが、原子力ではない発電所などのいわゆる重電設備の耐用年数も、それと同じ桁だろう。もちろん、使い続けるためには整備の手入れが必要だし、耐用年数よりも早くこわれてしまう場合もあるだろうが。

そこで、情報機器も、40年くらい使い続けられるものとして設計するようになることを期待したいと思った。これまでの情報機器の変化の激しさを考えると、この提案は非常識に思えるだろう。実際、今から40年前の1975年ごろの情報機器を今使えるとしても使う元気は出ない。しかし、今の情報機器と同様な計算能力をもち、これから40年間使い続けられるじょうぶな機器を設計して、人間社会が情報機器を使ってやりたい仕事の需要の多くの部分をまかなうことはできるのではないだろうか。(これからの情報機器の能力が向上すればそれも使ってもよいが、それを社会基盤としてあてにしないことにするのだ。) 事故や悪用を避けるためのプログラムのupdateをする人間の作業も、長期的に使い続けるソフトウェアに集中したほうがよいのではないだろうか。

- 注 -

  • 【注1】 2015年1月、フランスの Charlie Hebdo (シャルリー・エブド、以下仮にCHと略す)という漫画新聞社が襲撃された際に、(必ずしもCHやそれにのった漫画作者の主張に賛成しなくても、テロリズムに抗議する意味で) CHへの連帯を示そうとした人々が、「Je suis Charlie.」という標語をかかげたのだった。英語に訳すとすれば、suisがêtreの活用形だとすれば「I am Charlie.」、suivreの活用形だとすれば「I follow Charlie.」となる。[以下、仮にWikipediaを信頼して述べる。] CHのhebdoは「週刊」だが、その前身は月刊誌で、1970年からCharlieという名まえだった。その名はアメリカの漫画家Charles Schultz (チャールズ・シュルツ)のPeanutsの主要人物Charlie Brown (チャーリー・ブラウン)にちなんだものだが、フランス大統領だった Charles de Gaulle (シャルル・ドゴール、1969年に辞任、1970年没)への風刺の意味もあったらしい。
  • 【注2 (2016-02-02 追加、2016-02-05 改訂)】 しかし、本文を書いた数日後に、勤務先の組織が提供するウェブサービスのひとつが、Firefoxの最近のバージョンでは動作しなかった(メニュー画面に至る前に門前ばらいになった)。IEでは動作したので、そこからサービスのドキュメントを見ると、サービスは数年前につくられたもので、IEでもFirefoxでも当時のバージョンでは動作したことがわかる。その後のブラウザの改訂に対応するサービスソフトウェアの動作確認・改訂がされていなかったようだ。それから担当者にきいてみたら、Firefoxでも、ブラウザの側で「履歴を消去する」操作をすれば、サービスは正常に動作することがわかった。しかし、この注意をメニュー画面にたどりつけない人に知らせることはできていない。一般に、業務委託契約でつくらせたソフトウェアについて、委託契約が切れてから問題が起きても、改訂できる人がいなくて解決できないおそれは、常にあると思う。