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ノートパソコンをよくこわす人が思うこと

【世の中に訴えたいことと自分用の覚え書きとが区別されていないので、ひとまず「つぶやき」としておく。】

わたしはノートパソコンを毎日持ち歩いている。職場に持ちこむことは禁止されていないので(職場のネットワークにつなぐことはできないが)勤務中も職場のオフィスパソコンと並行して使っているし、自宅でも使っている。会合に出席したときのメモはなるべく紙ではなくパソコンのテキストファイルにしている。(わたしは紙のメモをすぐ紛失するが、パソコンのファイルは2年間くらいはハードディスクのどこに入れたか思い出せる。) 毎週7×24時間のうちノートパソコンが動いている時間は動いていない時間よりも長い。

わたしは、ある意味で最高級のノートパソコンを使っている。それは、パソコンとしてデスクトップマシンに劣らない機能を持ちながら、持ち歩くのが負担にならないくらい軽いものという要求だ。

【その内わけを書いてみたら長くなってしまった。キーボードはタイプライター型の配置で指の大きさに見合ったものが必要だ。画面も、地図を見ることもあるし文書のページ全体を見たいこともあるので、本で言えば少なくともB5判、できればA4判の大きさがほしい。(2年ほど前にはA4判のものを使っていたが、その後継機種が、ディジタルテレビ用と互換性のある液晶を使ったせいだと思うが、横長の画面のものだけになってしまったのはとても残念だ。) しかし、自家用車を運転するわけではなく、歩いたり電車に乗ったりするので、重いのはつらい。2 kgくらい以下にしたい(1996年ごろから2000年ごろまでは3 kgぐらいのものを持ち歩いたこともあったが)。自宅と職場以外のところで使う際には、電池で使い続けられる時間も重要だ。今使っているマシンはおだやかな動作をさせたままで4時間もつので、予備の電池を用意しておけば、午前・午後と会議に出ている場合も電池切れでメモを紙に切りかえることをしないですむようになった。(ただし節電機能が充分働くのはパソコンにもともとインストールされているOSを使った場合に限られる。これはわたしにとっては残念なことだ。) インターネット接続もできるのはありがたい。2年前から、電話の機能を介さずに携帯電話と同様な電波通信のしくみでインターネットにつながるサービスを利用している(これも使えるOSが限定される。しかし別に携帯電話を使わないですむ点では助かっている)。ただしこのサービスは国内限定なので外国ではふつうのWifiも使う。CPU能力が最新である必要はない。画像処理は必要だが動画は必要でないのだし、本格的な科学技術計算をノートパソコンでやろうとは思わない。しかし、このごろはOSの主バージョンがあがらなくてもセキュリティ対応とかで改訂されるうちに複雑化するようで、5年以上前の新鋭マシンでは単純な入出力にも待たされることがふえてくる。パソコン業界の悪だくみのような気がするが勝てない。】

わたしの要求を満たすパソコンの値段は、わたしの月収に対しては大きい負担だが、年収に対してはたいしたことがない。しかし、人類的視野では、わたしはとてもぜいたくをしていると思う。2 kgぐらいのものだが、それをつくるのまでに動かされた物質資源の総量(いわゆるエコリュックサック)は、10 kg以上のデスクトップパソコンよりも多いだろうと思う。それは(水を別にしても)何トンにもなるだろう。

ところがそういうパソコンを、わたしはだいたい2年で使いつぶしてしまう。資源の面からみて、とてももったいないことをしている。

もう少していねいに扱うべきだったと反省することもある。しかし、製造者に、故障対策ももう少し考えてほしいと思うこともある。

このところ経験した故障を思い起こしてみると、機械としてのパソコンがcrashしたことはほとんどない。外ケースがへこんだことはあるが中身の動作にさしつかえないところだった。起動しなくなったことはあるが、ハードディスクを取り出して外づけにして読んだら起動部分以外の内容は読めた。ハードディスク読み書きの最中に大きな衝撃を受けるとヘッドがこわれて全部読めなくなることがあるのは知っているが、わたしの持ち歩きマシンでは、運よくなのか、特別仕様ではないが比較的衝撃に強い機種を選んでいるためか、助かっている。

このところ経験した故障は、次の種類のものだ。

  • 液晶が割れる。そうすると、割れたところだけでなく、画面の全部または大きな部分(最近の例では下半分)が、光っていても文字やアイコンの判読ができなくなる。外づけディスプレイなしでは、正常にシャットダウンすることさえ困難になる。外づけディスプレイがあれば使えるが持ち歩き用にはならない。修理は液晶パネル交換になるので、修理代は新品購入価格の半分くらいになり、同じ機種の中古品が出ている場合にはそれよりも高くなってしまう。
  • 本体(キーボードを含む)と液晶ディスプレイをつなぐちょうつがい部がこわれる。少し欠けたくらいでは使い続けられることが多いが、ディスプレイあるいはキーボードの故障につながりやすい。
  • キーボードのキートップがはずれる。デスクトップパソコン用のキーボードでの経験では、はずれたら自分でまたはめてやることができたことが多いのだが、軽く作られたノートパソコンでは、キートップ側のプラスチックのつめと本体側の金具とをはめ合わせる操作がしろうとではできず、しかもキーがはずれるような力がかかったときは金具がゆがんでいる。キートップがなくてもそこにあるものを押せば文字入力はなんとかできるのだが不確実になり、作業能率がぐっと落ちる。修理のプロに相談すると、運よくはめなおしてもらえたこともあるが、メーカーの工場に送ってキーボード全体を交換してもらうしかないと言われることが多い。この場合も、中古品で買いかえるかどうか迷うことになる。
  • 電源がはいらない。本体の電源部の故障ということもありうるのだが、わたしの場合はほとんどACアダプターを交換したら回復した。ACアダプターの故障でさえなく、電力を通す電線の断線か、コネクタ部分の変形による接触不良らしかった。別のときは電池を抜いて外部電源につないだら動いたこともあった。(新しい電池にとりかえても動いた。前の電池パッケージ中の何かの故障にちがいない)。ただし、だいぶ前だが、電源がはいるかどうかが不確実になったときは、ACアダプターが接続される本体側のソケットの変形らしく、けっきょく本体の利用をあきらめることになった。

まだ充分使える中古品が出まわっている「ゆたかな社会」がよいことなのか、疑問に思いながら、わたしはそれの恩恵に浴している。

【同じ型番の機種ならば、ハードディスクをすげかえれば、そのまま同じ機械であるかのように動作してくれる場合が多い。いくつかのソフトウェアやサービスはハードウェアのIDをチェックしているが、サービス提供者側で機器の交換が想定ずみならば、手続きすればすむ。似ていても型番が違う場合は、不安なままためしてみるのだが、動作することもある。一部のオプション機器が動かなくてもそれが自分にとって必要がない場合はがまんできる。最近、よく似ているのだが型番が違うものですげかえをやってみた場合は、OSやわたしがふだん使う一連のソフトウェアは動作するのだが、液晶ディスプレイの画素数を認識してくれず、1024×768か800×600のにじんだような表示になってしまう。グラフィックチップ用のデバイスドライバが動かず拡張VGAとみなされているのだ。(メーカーのサイトからドライバをダウンロードしてインストールしようとしたが、インストールが止まってしまった。これは購入後にわたしが入れたウィルス対策か何かのソフトウェアとの競合にちがいないと思うが対策困難だ。) なお、横長ディスプレイのノートパソコンにメーカーがサポートしないOSをインストールした際にも同様な問題が起きる。パソコン用X Window Systemの技術情報を追いかけるひまがないのでがまんして最適でない画素数で使っている。】

貨幣の尺度ではかられた経済の活発さがよいことならば、つぎつぎに故障が起きて利用者が新製品に買いかえるのがよいことなのかもしれない。しかし天然資源の消費を考えると、動作中のエネルギー資源節約とともに、長もちする製品を作ることを、社会全体として推進してほしいと思う。その内わけとして、ノートパソコンの場合は、ちょうつがい部や液晶がこわれにくいことと、キーボードが(こわれにくいことよりはむしろ)修理しやすいことを期待したいと思う。