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2012年日本の夏は2011年アラブの春に続く革命の季節になるのか

原子力発電所の再稼働に反対するデモが起きているそうだ。6月1日、首相官邸前には(デモ側情報によれば) 2700人が集まったという。

これで原子力発電所を再稼働しないことについて国民的合意が得られるのであれば、うれしいことだ。他方「政府と電力会社は再稼働する意志をかためているのに、反対があって膠着状態で稼動できない」という状態にはなってほしくない。これでは人命にかかわる突然停電が起きるリスクが大きい。

原子力を止めてほしい立場からは残念ながら、「この夏、原子力なしでも電気はたりる」と自信を持っては言えない。火力発電の能力いっぱいまでは燃料消費をふやしさえすれば発電量をふやせるのだが、余裕はなくなる。需要の増減に、原子力のあるときは火力を動かしたり止めたりして対応していたところを、今年は火力を能力いっぱいに使ってエネルギー損失がある揚水発電によって調整することになるだろう。火力発電所揚水発電所に故障があれば大規模停電は避けられないだろう。

原子力発電を止める国民的合意は、電気を使えない時代にもどってよいという合意でも、突然停電が起こってもよいという合意でもないだろう。供給側のくふうと消費側の節約によって停電の可能性をなるべく減らすとともに、もし停電したら生命の危険にかかわる医療設備や交通信号などについてはあらかじめ非常電源を用意しておくなどの対策を、主体は官民いずれになるとしても他方も積極的に協力するという合意でなければならないと思う。相対的に緊急性の低い産業や公共サービスには休業してもらうという合意形成も必要かもしれない。

当面の合意は、夏のピーク時の停電を防ぐことに限られるかもしれない。しかし、遅くとも数年以内には、発電とガソリンなどの燃料の形で使うぶんを合わせた化石燃料の消費に関する合意形成が必要になると思う。地球温暖化を抑制したいという動機からかもしれないし、世界市場での化石燃料の需要がふえることからくるかもしれないが、化石燃料の値段が高くなるだろう。そのとき、電気代や燃料代が高くなったら生きていけない人には社会保障をしなければならないし、どの産業は衰退してもやむをえないとするかの社会的決断もしなければならない。

このような合意が得られるとすれば、これはひとつの革命だと思う。2012年の日本の夏は、のちの世からは革命の節目とみなされるだろう。

産業革命」は人間が「火の動力」(熱機関)を産業に使う能力を得たことだった。それ以来約200年間、人間が使える動力は拡大しつづけてきた。そしてその動力を使って人間の労働を置きかえ、労働者あたりの生産性を上げてきた。それが進歩だと思ってきた。しかし、それは再生不可能な地下資源を消費することによって成り立っていた。限界があることは1970年代にはすでに明らかだったが、その場しのぎを重ねてここまで来てしまったのだった。

人類の歴史が大破局なしに22世紀に進むためには、およそ21世紀前半のうちに、この産業革命以来の時代の常識をひっくりかえす革命が起こる必要があるはずだ。それを仮に「脱産業革命」と呼ぼう。(産業がなくなることや工業がなくなることではなく、「{脱{産業革命}}革命」のつもりである。)

日本国民の意志として「原子力はいらない」を「経済成長は必要だ」よりもはっきり上位に置くことが確認されれば、日本が世界の脱産業革命の先頭に立つことになる。

あるいは、日本国民の総意は革命ではなく「原子力発電はいらない、経済成長は必要だ、化石燃料を使おう、地球温暖化や海洋酸性化が起こってもいいではないか」というほうに向かってしまうのだろうか。これでは日本は化石燃料を売ってくれる国への依存を高めるうえに、海面上昇や海洋酸性化で実害を受ける他の海洋国から加害者とみなされて国際政治で孤立する心配があるのだが。