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空耳、空目

空耳(そらみみ)というのは、実際には音がしないのに、音がしたと感じることだ。

ところが、近ごろはむしろ、あることばを別のことばと聞きちがえることを言うほうが多いようだ。

そして、空目(そらめ)ということばも見かけるが、これはいつも文字の読みまちがいをさしているようだ。おそらく、電話よりも電子メールなどの文字情報伝達がさかんになった時代になって「空耳」から派生したことばだろう【注】。ただし、Cleveland (1985) The Elements of Graphing Data [読書ノート]の表現を使えば、cognition (認識)に至る前の、perception (知覚)の段階でのかんちがいをさしているようだ。

【注(2014-11-20)】コメント欄でご指摘いただいたところによると、「空目」も昔からあることばだ。ただし、そのおもな意味は、実際には目に見える物体がないのに、物体が見えたように感じること、だったと思われる。文字列中のある語を別の語とまちがえることをさすのは新しい使いかただろう。わたしはひきつづき、その新しい使いかたについて、上に述べたように、「空耳」が先でそれをまねたものだろう、と推測している。ただし明確な根拠があるわけではない。