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科学者の役割に関する図についての議論

吉川 (2010)の図2 (表題は「持続的進化のための科学者の役割」とある)は、

社会、自然 → 観察型科学者 → 構成型科学者 → 行動者 → 社会、自然

というループを含んでいる。この図をわたしは、ある、やや具体的な課題に関する科学研究をどう進めるかという文脈で応用的に使っている。ただしここでその話題に深入りはしない。

【図の表題にある「進化」ということばの意味はこれだけでははっきりしない。本文中に「自然・社会が進化する」とあることに対応するようだ。そうするとDarwin型の生存競争による進化ではありえない。英語で言うevolve、中国語で言う「演変」のすなおな意味だろうと思う。なんらかの価値観に基づく「進歩」「改善」の意味を含んでいるかもしれないが、今のところ確認できていない。】

2012年3月22日の総合科学技術会議の会議資料(吉川, 有本, 2012)の2ページめの図、表題「社会の持続的進化と行動規範」にもこの図式が使われているが、違いがあることに、松浦(2012)の指摘によって気づいた。「観察型科学者 ← 構成型科学者 ← 行動者」の向き(ここでは「逆向き」と呼ぶ)の矢印もあるのだ。松浦さんの表現から推測すると、逆向きの矢印が示されたのは今回初めてではないが、これまでは小さく示されていたらしい。

平川(2012a)が指摘するように、吉川(2010)の図式は現実を大きく単純化したものであることは確かだ。科学研究の成果が出てそれが応用されるだけでなく、応用したい人の側からどういう研究をしてほしいかという注文が出ることは確かにあるので、矢印を双方向にしたくなるのももっともだ。しかしそうすると、図の右半分の「行動者 → 社会・自然 → 観察型科学者」の一方向の矢印の意味がよくわからなくなる。ループを見ようと努力すればループはあいかわらずあるのだが、ループを示した図ではなくなってしまう。

矢印を一方向にしたのは激しい単純化ではあるのだが、ループを示したことによって暗黙のうちに、ループは一度まわるのではなく何度もまわるのだ、という考えを示しているのだと思う。社会がかかえている課題は完全に解明できるものではなく、その対策も完全なものではない。しかし、ある程度は解明でき、ある程度は有効と思われる対策を考えることができる。対策を実行した結果としての社会や自然環境の変化をよく観察し、対策を考えなおしていくという、適応型のアプローチが必要なのだ。さきほど意味がよくわからないと言った「進化」は、よりよく適応していくことをさすのかもしれない。

双方向の矢印は相互作用があることを示しており、相互作用はたぶん複数回にわたって起こるのだろうと思われるけれども、そのことはループの図ほど明確には表現されていない。

おそらく、ループと双方向相互作用とを同じ図式におしこめることに無理があるのだ。ループの図式はそれがふさわしいときに使い、双方向相互作用の図式のほうは、双方向の矢印でつながっているのは人を示す3つの四角どうしだけにして、その3つがそれぞれ「社会・自然」とかかわっていることを別の種類の線で示したほうがよいと思う。

「行動者」という用語に対するTutiya (2012)の疑問には、この2つの図式がそれぞれ適切な文脈が違っていることを考慮して対策を考える必要があると思う。

ループの図のほうは、社会の期待に科学が答えることを想定したものではあるが、科学の側で何をするのかを考えている。社会の中で問題の解決にとりくむ人の行動は政治、産業、教育などいろいろな活動がありうる。それは具体的な課題ごとに違うかもしれないが、そこに深入りしたくないので、「行動者」という、英語actorの訳から来たと思われる日本語としてはこなれない表現によってまとめるのが、まずまず適切と思われる。なお、ループの図は先ほども述べたように現実社会の中での科学の働きに対する単純化なのだが、この単純化が比較的有効なのは、漠然とした社会の期待を明確にするのに科学的研究が欠かせない役割をするような課題だ。吉川(2010)では地球温暖化問題が例にあげられている。この問題では双方向の矢印の図式が適切な面もあるのだが、ループ図式も構造の一面を示すのに有効だと思う。

双方向の矢印の図のほうは、政策形成に対して科学者が助言的にかかわることを想定したものだ。この場合は「行動者」と書かれた四角には「政策決定者」および利害関係者そのほか政策形成対象の課題に自覚的にかかわる人たち、英語でいう「stakeholder」が来るべきなのだろう。筋としては民主主義国では主権者である国民を置くべきかもしれないが、現実的には、受け身でかかわる人々は、外国の人や未来世代の人とあわせて、対象となる「社会」のほうに含めるのがよいのだろうと思う。

なお、平川(2012b)は吉川・有本(2012)の5ページめの図、表題「政策科学と政策形成メカニズムの共進化」について、「客観的」と書かれたところは「認知的(cognitive)」とするべきだとしている。これは「客観的」ということばの意味しだいだと思うが、科学は絶対的真理を得るのだという誤解を与えないためには、科学は世界を認識するいとなみであるということを示す用語のほうがよいのかもしれない。ただし、「客観的」は、科学が少なくとも専門分科内の人が共有する知見を得るものであり、しかも政策への助言の場で望ましいのは専門分科を越えて共有される知見であることも含めた表現ではないだろうか。それをも表現するために、わたしは、たとえば「共同認知的」としたいと思う。

文献など

  • 平川 秀幸 (hirakawah), 2012a: "(因みに先の資料http://bit.ly/GHw7wZ の「行動者」等の図式は一昨年から知っていて、JSTの研究会等で発案者の吉川先生含めて関係者とも「ほんとはこんな単純じゃない」みたいな議論はしてきてはいるのだが、まぁ、そのうち、もっと現実的な図式に作り直さないとあかんね。)". 2012年3月23日14:07. Tweet.
  • 平川 秀幸 (hirakawah), 2012b: "(もう一つ。この資料(pdf) http://bit.ly/GHw7wZ p9にある「科学/政策」について「客観的/規範的」という対比は認識論的にちょっとナイーブ。「認知的(cognitive)/規範的」の方が良いと思われ。)". 2012年3月23日13:28. Tweet.
  • 松浦 正浩 (mmatsuura), 2012: "逆向きの矢印の太さが遂に同じになりましたね!この変遷の経緯を調べるだけでおもしろい文章になりそう。[以下略]". 2012年3月23日14:17. Tweet.
  • Tutiya, Syun (tutiya), 2012: "それより「行動者」が気持ち悪い。[以下略]". 2012年3月23日 13:49. Tweet.
  • 吉川 弘之, 2010: 研究開発戦略立案の方法論 ― 持続性社会の実現のために。科学技術振興機構 研究開発戦略センター, 103 pp. http://crds.jst.go.jp/about/pdf/handbook2010.pdf (pdf) 。[わたしの読書メモ]
  • YOSHIKAWA Hiroyuki (2012): Design Methodology for Research and Development Strategy --Realising a Sustainable Society. http://crds.jst.go.jp/en/about/pdf/11xr01e.pdf (pdf). [吉川 (2010)の英語版]
  • 吉川 弘之, 有本 建男, (2012): 政策形成における科学と政府の役割及び責任に係る原則の確立に向けて。2012年3月22日 科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術会議有識者議員との会合 資料1。http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20120322/siryocrds-1.pdf (プレゼンテーション資料のpdfファイル)。