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国家戦略会議に「学」の視点を

野田内閣が「国家戦略会議」をつくるという報道があった。わたしが見たのは読売新聞10月6日朝刊だった。このリンク先は goo だが、同じ記事を伝えているようだ。

自民党(を主とする連立)の小泉内閣のときの「経済財政諮問会議」と同じではないかという声もあるようだ。しかし、わたしが思うには、「経済」を正面にかかげないことは大きな違いだ。20世紀、とくに第2次大戦以後、冷戦を別とすれば(日本の場合はむしろ冷戦中だったからこそかもしれないが)、政治の目標が経済に従属することが続いてきた。今こそ、経済は政治が達成するべき複数の目標のひとつだという位置づけをとりもどすべきだ。

読売新聞は、経済財政諮問会議には内閣府設置法という法的根拠があったが今度の会議にはそれがないことを問題にしている。これは意見が分かれるところだと思うが、何を執行するかの責任は内閣にあり、大臣以外の委員の立場は助言者であることを明確にすれば、内閣に与えられた予算の中で会議を作って議論するのはよいと、わたしは思う。すぐ与野党間の合意が得られるのならば法制化したほうがよいと思うが、法制化しないで政権交代ごとに制度を変えられるようにしたほうがよい面もあると思う。【さらに意見を言えば、諮問・助言の関係ならば、総理大臣またはその他の大臣が議長になる形よりも、大臣はメンバーにならず諮問する立場に徹する形のほうがよいと思うのだが。】

さて、読売新聞の報道(図を含む)によれば、会議の分科会の課題として次のようなものがあがっている。

  1. 「日本再生戦略」: 経済成長と財政健全化の両立、TPP交渉参加問題。
  2. 「三つのフロンティア」: 海洋・宇宙開発、人材育成、「新・田園生活圏構想」。
  3. 「エネルギー政策」: 原子力発電のあり方、再生可能エネルギーの普及など。

これを見ると、話題は経済ばかりではない。

【「経済」をふたたび「経世済民」あるいは「国民全体の家(oikos)の維持管理」という意味で使うのならば、このような広がりをもつ政策の基本を「経済」と呼んでもよいと思う。しかし、そのような発想の転換は、「経済」を主題とした議論を続けても出てくるものではなく、いったん休みにして出なおす必要があるだろう。】

とくにエネルギー政策や海洋・宇宙について、科学技術がかかわることは明らかだ。そうすると総合科学技術会議(CSTP)との連携が必要だが、今の内閣のもとでは、CSTPを担当する科学技術担当大臣は古川・国家戦略担当大臣が兼ねているので、CSTPとの連携はとれると考えてよいと思う。ただし、将来に残る制度を作るならば、科学技術担当大臣または常任の総合科学技術会議議員を入れておくべきだと思う。

しかし、学問は科学技術と言われるものばかりではない。文科系・理科系という区別は適切とは限らないが、分けるとすればその両方にわたる。また学者の役割は次のようなものにわたる。

  • 研究者。新しい知見を生み出す人、それを検証する人、体系化する人。
  • (高等)教育者。専門家を養成する人や、国民の教養を高める教育をする人。
  • 知識人。直接の利害を離れて地球や文明の観点から人間のありかたを考える人。

読売新聞の報道によれば、会議のメンバーには行政官のほかに、経団連の代表や「連合」の代表を含めることになっている。おそらくいくつかの専門分科の専門家も含まれることになると思うが、そのほかに明示的に「学」の代表も含めるべきだと思う。具体的には、日本学術会議の代表(とくに変える理由がなければ会長)が適当ではないだろうか。

「学」の代表の基本的役割は、「学」セクターの利害を主張することではなく、日本の政策に対して学者ができる助言を伝えることだ(吉川 2002 参照)。むしろ政府に近い立場から、学者をどう使うかを考えることになるかもしれない。

ただし、経団連や連合の代表が、それぞれ産業資本、労働組合の利害をむき出しにした場合は、対抗上、「学」セクターの利害を主張することになるかもしれない。

文献