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論理的に言えること、言えないこと

次のような議論をする人がいるようだ。

  1. 原子力利用推進論者が「二酸化炭素地球温暖化を起こす」と言っている。
  2. 原子力利用推進論者の言うことは信頼できない。
  3. したがって、二酸化炭素地球温暖化を起こさないにちがいない。

1は(「すべての」ではなく「ある」原子力推進論者についてならば)正しいと言ってよいが、もし2も正しいと仮定しても、論理的に3が導かれるわけではない。あなたが原子力利用反対論者ならば、次の議論には賛成しないだろう。

  1. 原子力利用推進論者が「ウラン235核分裂を起こす」と言っている。
  2. 原子力利用推進論者の言うことは信頼できない。
  3. したがって、ウラン235核分裂を起こさないにちがいない。

話をもう少し極端にして、次のような理屈を考えてみよう。

  1. A氏が「二酸化炭素地球温暖化を起こす」と言っている。
  2. A氏はうそつきaだ。
  3. したがって、二酸化炭素地球温暖化を起こさない。

もし「うそつき」の意味が「その人の発言のすべてが うそ である」という意味ならば、この推論はだいたい正しいと言ってよさそうだ。

ただし、うそ とは事実に反することを述べることというよりも、本人が偽だと思っていることを述べることだとするのが適切だと思うので、より正確には、推論は次のようになるだろう。

  1. A氏が「二酸化炭素地球温暖化を起こす」と言っている。
  2. A氏はうそつきbだ。
  3. したがって、A氏は「二酸化炭素地球温暖化を起こさない」と思っている。

しかし現実には、たとえ明らかな「うそつき」でも、意味のある会話をしながらすべて うそ だけを言い続けることはできず、正しいことも混ざるだろうと思う。そこで現実的状況での推論は次のようになる。

  1. A氏が「二酸化炭素地球温暖化を起こす」と言っている。
  2. A氏はうそつきcだ。
  3. したがって、A氏は「二酸化炭素地球温暖化を起こさない」と思っているのかもしれない。

もし、うそつきであるにもかかわらず、A氏の事実認識能力は信頼できるとすれば(そんなことが実際にあるかどうかわからないが)、次の推論も可能だ。

  1. A氏が「二酸化炭素地球温暖化を起こす」と言っている。
  2. A氏はうそつきcだ。しかし、A氏の事実認識能力は信頼できる。
  3. したがって、二酸化炭素地球温暖化を起こさないのかもしれない。

この推論を正しいと認めたとしても、A氏以外の情報源に基づいて「二酸化炭素地球温暖化を起こすにちがいない」と思っている人がその考えを変える必要は必ずしもない。