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2001年9月11日の記憶

2001年9月11日、わたしはパリのカルチエラタンにいた。200人規模の1週間の会議だった。

日本からやってきた同僚が日本語で「貿易センタービルに飛行機がつっこんだ」と言ったので驚いた。貿易センタービルといえば(東京の)浜松町の羽田空港行きのモノレールの駅があるところだが、宇宙開発事業団の本社(の機能のかなりの部分)もそこにあったのだ。(わたしの職場はそのビルではなかったものの、当時の雇い主は宇宙開発事業団だった。) 羽田を離陸しそこなった飛行機がモノレールの軌道の上を低空飛行することは想像可能な悪夢だった。しばらく話しているうちに、そことは別の場所の事件であることがわかって、ほっとしてしまった。

カルチエラタンは、アラブ系を含むさまざまな民族の店も含めて、まったく平穏に見えた。ただし、そこの日常を知っているわけではないので、異常だったかどうかはわからない。

宿に帰ってテレビをつけた。フランス語のアナウンスが聞き取れないのでイギリスのBBCアメリカのCNNをつけていた時間が長かったせいもあるのだが、ほとんどの時間、事件の映像を見せるか、評論家がコメントするか、なにごともないアフガニスタンにとぶかをくりかえしていた。当事者には失礼だが、単調さに飽きてしまった。

会議はほぼ予定どおりに進められた。アメリカ合衆国で飛行禁止になったので、合衆国ばかりでなく南北アメリカからの出席者で遅れて参加を予定していた人たちが来られなかったようだが、発表予定者の多くは会期の初めから出席していたので、発表取り消しの数は国際会議では珍しくない程度だった。ただしアメリカ方面からの出席者は、会議が終わったあと数日間ヨーロッパに足止めされたらしい。

わたしの帰り道はロンドン経由だったのだが、まずパリの空港で、荷物検査が複数回あり、とくにパソコンは毎回取り出さなければならず、ならんでから乗れるまでにどれくらい時間がかかるか予想がつかなかったので疲れた(結果として2時間くらいだったと思う)。ロンドンでは行きは空港から出ずにターミナル間を移動したのだが、事件後の帰りはいったんイギリスに入国してロンドン行きの鉄道に1区間乗らなければならなかった。荷物検査はパリに比べるとだいぶ手慣れていた。