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正しい御用学者をめざして

「御用学者」ということばがはやっている。

狭い意味では、権力者の利害にそった主張に科学的根拠があるかのようによそおうために、うそをつく学者のことをいうらしい。そういう御用学者は、もちろんいないほうがよい。

しかし、広い意味でいうならば、いまどきの政治は、学者の働きを必要とするのだ。学者が政治にかかわりたくないからといって、専門的な内容の政治課題を専門知識のない政治家と公務員だけで考えさせたのでは、うまくいかないだろう。

ひとつの道は、学者として修業した人を政治家か官僚に転職させることによって、専門知識をもつ政治家か官僚を確保することだろう。その人は学者ではなくなる。(のちにまた学者にもどるかもしれないが。)

もうひとつの道は、学者は学者として仕事を続け、政府から質問されたとき答えるようにすることだろう。これならば学者としての価値観をつらぬくことができるが、政治の立場からみて必要な主題を検討してくれるとは限らない。

そこで実際には、その中間のいろいろな形が模索されることになる。公共の用事に学者を動員するわけなので、これまでの悪い連想を離れることができるならば、「御用学者」という表現はふさわしいと思う。

IPCCも、学者が学者としての立場を保ちながら政治が必要とする問いに答えるためにくふうされたしくみのひとつだ。これは臨時の組織としては成功だったと思う。しかし20年も続けてきたので無理が生じている。常設機関にするならば設計しなおす必要がありそうだ。