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再生可能エネルギー資源についての覚え書き (1)

人間社会はエネルギー資源を必要とする。原始的人間社会も食べ物の煮たきのための燃料を必要とするが、現代文明はさらに多くの機器の動力や電源を必要とする。その多くを化石燃料原子力に頼ってきた。化石燃料原子力は、集中して得られる資源であり、燃料の形で需要のあるところに運ぶか、あるいは集中的なエネルギー変換をする発電所までは燃料、そこからは電力の形で需要のあるところに届ける技術を発達させることによって、便利に使うことができた。しかし、化石燃料原子力のいずれにも、人類が現在以上に頼ることはむずかしくなってきた(その事情の説明はここでは省略する)。エネルギー資源の需要を見なおして一部の需要をあきらめること、エネルギー利用効率を高めること、源を(いわゆる)再生可能エネルギーに求めること、の3つを並行して進めていく必要がありそうだ(1つや2つでは不充分と考える理由の説明もここでは省略する)。

再生可能エネルギーというのも奇妙な用語だが、エネルギーのたまり(stock)の利用ではなく流れ(flow)の利用をさす。そのエネルギーの流れは、厳密には再生可能ではないが、人間個人の時間スケール(百年)はもちろん人類の存続の時間スケール(百万年)でも枯渇しないと期待されるものだ。再生可能エネルギーのうち、地熱(地中熱貯留は含まない)は、地球内部の高温の利用であり、エネルギー源は地球内部の放射性核種の壊変で解放される核エネルギーであるはずだ(このほかに地球の重力の位置エネルギーの解放も含まれるかもしれない)。また、潮汐は、基本的に月の引力によるものだから、エネルギー源は月と地球の重力の位置エネルギーあるいは運動エネルギーであるはずだ。しかしそれ以外の、太陽光、風力、水力、バイオマス燃料、海洋温度差、海流、波浪などはいずれも、太陽から電磁波(可視光など)の形で来て電磁波(赤外線)の形で出ていく気候システム(大気・水圏)のエネルギーの流れのいろいろな部分を利用するものだ。

気候システムのエネルギーの流れは、地球全体としては、人間社会が利用するエネルギー資源よりもまだだいぶ規模が大きい。しかし、工業化社会の集中的エネルギー利用のためには、再生可能エネルギーの空間面積あたりの密度は小さく、それを集中させることは化石燃料原子力の場合に比べてむずかしい。また、時間についても、太陽光が夜には得られないことに代表されるように、再生可能エネルギーの供給は間欠的であることが多い。

この例外として、川の水力に関しては、ダムを作ることによって、エネルギーを集中させ、また時間的変動をならすことができる。しかし、ダムは土砂の流れをもせきとめるし、魚をはじめとする生物の移動をさまたげるので、環境に大きな不可逆的な変化をもたらす。持続可能なエネルギー利用という立場から考えると、すでに作ってしまったダムは生態系保全も考えながら大切に使っていき、新しく大規模なダムを作ることはなるべく避けたい。

また、バイオマス燃料も、製造された燃料は輸送可能であり、集中させることも、供給・需要の時間のくいちがいをならすこともできる。しかし、同じ質の燃料を大量に得ようとすると、広い面積に燃料用作物を栽培する必要があり、自然生態系保全または食料生産と衝突する可能性が高い。

海洋エネルギー利用は、灯台などの海上でエネルギーをまかなう程度には実用化しているようであり、今後、環境に悪影響を与えないことに注意しながら、積極的技術開発を進めるべきだと思うけれども、陸上の産業活動のためのエネルギー供給源として今のところは期待しないほうがよいと思う。(ただし、海に柱をたてて海上の風を利用することは、海洋エネルギー利用ではなく風力利用に含めて論じることにする。)

地熱は、なん千メートルも掘ればどこにでもあるのだが、掘るためにも利用するためにもエネルギー資源を消費してしまうので、千メートル程度で高温岩体に達することのできる地域に限って積極的に使うのがよいだろう。

したがって、これからの社会が利用するエネルギーの源として想定できるのは、太陽光、風力、(中小規模)水力、(中小規模)バイオマス燃料、(適地での)地熱となる。このうちひとつのものに全面的に頼れるとは思えない。各地域ごとに、全部の可能性を考え、資源量(時空間分布を含む)やそのほかの実現性の条件を評価して選んでいくべきだろう。季節によって使い分けるべきこともあると思う(その場合、設備が使われない季節もあることを考えて設備の費用を評価する必要があるが)。