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約千年まえのヨーロッパの気候についての質問に答える

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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「ヨーロッパの 8~11世紀 の 気候 (気温、降水量など)」について知りたいという質問をいただいた。わたしは、直接にヨーロッパの過去の気候を研究してはいないが、日本語で質問にこたえられる専門家が思いあたらないので、数百年から千年の気候変化の研究にいくらかかかわっている立場から、答えることにした。

-1. 気候の復元推定の方法、とくに年輪について -
温度計や雨量計などの観測機器がつかわれるようになるまえの気温や降水量などの気象要素を定量的に知るのはむずかしい課題です。推定にはさまざまな材料がつかわれます。

材料のうちには、人が書いた記録もあります。洪水や干ばつなどの災害記録、作物の収穫時期、(とくに日本では) 毎日の天気の記録などがつかわれることもあります。しかし、千年以上さかのぼることができるのは、多くのばあい、年代がわかった自然物のサンプルを分析する方法によるものです。氷河の氷、湖の堆積物、鍾乳洞の鍾乳石・石筍、などがつかわれます。木の年輪は、そのうちでも重要な材料といえます。

年輪による気候の推定の方法のうちでいちばん広くつかわれてきたのは、1年ごとの年輪の幅をはかることです。これは、木の成長がおもに温度で制約されるところ (高緯度や高山) では気温の指標、おもに水分で制約されるところ (乾燥地帯) では乾湿の指標になります。

年輪による気候の推定については、近ごろ、つぎの本が出ました。専門書ではなく読みもので、その主題に関心のある人ならば読めると思います。著者は、ヨーロッパで教育を受け、アメリカのアリゾナ大学の教員になった、女性の研究者です。

この本について、中塚 武 先生 (名古屋大学) による書評がオンライン公開されています。トロエ先生が話を簡単にするために何を省略したかも論じられています。

  • 中塚 武 (2022) 樹木年輪古気候学の現状と課題: バレリー・トロエ『年輪で読む世界史』。『史苑』82巻 2号 155-161ページ. https://doi.org/10.14992/00021492

中塚先生自身は、材料はやはり木の年輪なのですが、木材の主成分であるセルロースの酸素と水素の同位体比 (酸素のうち「酸素18」や水素のうち「重水素」の割合) を分析して、日本の夏の乾湿を推定しました。大まかに「降水量の推定」と言ってしまうことがありますが、湿度と降水量の情報がまざったものです。その話は次の本にあります。

ただし、中塚先生の方法は新しく開発されたもので、ヨーロッパにはまだ適用されておらず、ヨーロッパでも夏の乾湿の指標になるかどうかはまだわかりません。

- 2. ヨーロッパの気温についての概説 -
ヨーロッパでは、17世紀から19世紀前半 (1600~1850年ごろ) に氷河が前進して寒かったことが知られており「小氷期」といわれてきました。小氷期のはじまりについてはいくつかの考えがありますが、13世紀なかば (1250年ごろ) の気温の低下からはじまるというのがひとつの説です。9世紀から11世紀ごろは「中世温暖期」といわれてきました。世界全体をみると必ずしも温暖ではないので、ちかごろ (21世紀になってから) の専門家は「中世気候異常期」のような表現をするようになりましたが、対象地域をヨーロッパにかぎるばあいには温暖期と言ってもよいでしょう。

- 3. 気温の復元推定値の代表例 -
過去の世界の地球環境変動について研究者が協力しあう PAGES (Past Global Changes、ウェブサイト https://pastglobalchanges.org/ ) という活動があります。そのうちでも、2千年前から現在までの気候の復元推定が「PAGES 2k」としておこなわれてきました。(2k のk はキロメートルのキロと同じで「千」をさしています。) その成果は、論文として発表されたものや、ディジタルデータとして、(質問者のかたがすでにお気づきの) アメリカの NOAA (海洋大気庁) の National Centers for Environmental Information (NCEI) のウェブサイトの Paleoclimatology の部から公開されたものがいくつかあります。

PAGES 2k の2013年の論文では、世界を「Europe (ヨーロッパ)」、「Arctic (北極域)」などの大きな地域にわけて、それぞれの気温を推定しています。ここでの「北極域」は北緯60度から北をさしています。この論文は、すでにおこなわれた多数の復元推定の研究成果をさらにまとめたもので、それぞれの研究の材料は、年輪だったり堆積物だったりします。

  • PAGES 2k Consortium (2013) Continental-scale temperature variability during the past two millennia. Nature Geoscience 6, 339–346. https://doi.org/10.1038/ngeo1797

この論文の成果のデータは、なぜかNCEI には見あたらないのですが、論文の付録 (supplementary information) という形で、論文が出版されたNature社のサイトで無料公開されています。(論文自体は有料ですが。) その supplementary information のPDFファイルに「Figure S2」という図があります。図の上から2段めの黄色っぽいグラフが、ヨーロッパの毎年の気温が1961-1990年の気温の平均からどれだけずれているかを示し、薄い灰色はその不確かさの指標です。黒の曲線は気温の長周期の変動をとりだしたものですが、わたしはまだその正確な説明を見つけていません。同じウェブサイトにある「Database S2」のExcelファイルに復元推定された30年ごとの平均の気温 (1961-1990からの偏差) の数値があって、そのうち「北極域」「アジア」「ヨーロッパ」の値をわたしがグラフにしたものを 画像で引用します。

PAGES2k (2013年) のヨーロッパの復元推定結果の気温は、西暦 700~1000年ごろに、20世紀後半と同程度に高くなっています。

なお、アジアの気温は、おもにモンゴルやヒマラヤなど気温が木の成長の制約となるところの年輪にもとづいていますが、日本の気温もほぼ同様に変化したと考えられています。

- 4. 降水量についての概説 -
ヨーロッパの降水量の復元推定はいくつもおこなわれていますが、どの研究成果を代表として紹介したらよいか、わたしにはわかりません。PAGES 2kのいまの活動計画の重点が乾湿の復元推定になっているので、これから数年のうちには代表的成果が出てくると期待しているところです。

少し離れた地域のあいだで、気温は同様に変動することが多いのですが、降水の変動は逆になることもあります。それで、降水の復元推定は気温の復元推定よりもむずかしいのです。

証拠となる文献などを確認しながら述べることができないのが残念ですが、これまでの多数の知見をおおまかに総合して、つぎのようなことが言えるようです。

ヨーロッパでは、夏の年々変動について見ると、気温が高い夏は降水日数が少なく、気温が低い夏は降水日数が多い傾向があります。30年周期以上の長周期の変動についても、気温と降水日数には同様な相関があったようです。(ここで「降水日数」に注目しました。降水量について同様な関係が言えるかは不確かです。) したがって、「小氷期」は湿潤期、ヨーロッパの「中世温暖期」は乾燥期と見ることができそうです。

日本でも同様に、気温の高い年のほうが夏の降水日数が少ない傾向があります。 (ただし、いつも必ずそうとはかぎりません。地方によっては、涼しくて晴れている夏もありえます。) 中国のうちでも華中 (長江の流域) の地方では日本と同様らしいです。しかし、もっと北の華北などでは、逆に、気温が高いほうが降水が多い傾向があります。