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ゲリラ豪雨

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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この記事を、記事カテゴリー「気象むらの方言」にいれることにしたが、これは くるしまぎれ であり、「ゲリラ豪雨」は わたしがこのカテゴリーにいれたいことばではないことを おことわりしておきたい。

わたしが「気象むらの方言」とよびたいのは、気象を専門とする人 (気象学者にかぎらず、技術者もふくむが) どうしでは意味がつうじるのだが、専門の外の人にはつうじにくい、専門用語だ。

「ゲリラ豪雨」は気象の専門家が積極的につかうことばではない。おそらくテレビや新聞などで気象について報道する人、しかも定型の報道文でなくアドリブの現場報告あるいは解説をする人がつかいはじめて、しろうとにまでひろがったことばだ。

【なお、この記事では、「豪雨」 (ごうう) ということばを、「大雨」 (おおあめ) と区別せず、しかも定量的な定義をきめないでつかっている。】

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「ゲリラ」は、戦争に関することばで、軍隊が整然と進むのではなく、かくれていた武装集団が突然あらわれて奇襲攻撃をするような戦闘のかたち、あるいはその武装集団をさす。

豪雨というべき雨のふりかたを予想していなかったときに豪雨が生じ、それで人間社会に被害が生じると、人は ふいうちの攻撃 を くらった ように感じる。そこで「ゲリラ」にたとえたくなるのは、気分としてはもっともだ。

しかし、むかしはともかく いまは、天気予報で大雨が予報され、警戒がよびかけられていることもおおい。「ゲリラ豪雨」ということばをつかうことをみとめるとしても、大雨が予想されていたときにつかうのはまずいという人もいる。

雨のふりかたは空間的・時間的に不均一だ。雨をふらせるきっかけとなる気象現象によって空間的分布がちがう。台風あるいは温帯低気圧にともなう豪雨ならば、数十キロメートルのひろがりをもつ (ただしそのひろがりのうちで豪雨になる時刻はちがうかもしれない。) 個別の積乱雲による豪雨だと、ひろがりは数キロメートルぐらいだろう。

いまの天気予報技術で、数十キロメートルのひろがりのどこかで豪雨になりそうだ、という予報を数時間まえにだせることがおおくなった。また、いったん強い積乱雲が生じれば、その動きをおいかけて、1時間ぐらいさきにどこで豪雨になるかを予報することができる。しかし、数十キロメートルのひろがりのうちを 1キロメートルのけたの寸法できざんで、どこにあらたな積乱雲が発達するかを予報することは、できないことがおおい。将来もできるようになるかわからない。

しかし、地上にくらす人が感じる天気は 1キロメートルのけたのものだ。そういう空間規模にむけた、積乱雲による豪雨の予報は、たとえば「1時間あたり20mm以上の強い雨がふる確率が10 %」というものになるだろう。「確率 10 %」で予報された豪雨にあたってしまった人が「ゲリラ豪雨」の攻撃をうけたように感じるのは、やむをえないのかもしれない。

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「ゲリラ豪雨」とよばれるような気象現象をさして (ぴったりかさなるとはかぎらないが)、気象庁がつかっている用語としては「局地的大雨」というものがある。(と、おしえていただいた。) [この部分、2022-06-21 補足。]

わたしが気象学的に現象の説明をしようとすると「個別の積乱雲による豪雨」はそのようにいうしかないと思う。厳密に同じ意味ではないのだが、積乱雲は雷をともなうことが多いので、そのような雨は「雷雨」としてあつかわれることが多い。