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地震のときにも天気予報は必要

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

2021年3月20日 日本時間18:09ごろに、宮城県沖で、マグニチュード 7 の地震があった。(この日時などのデータは、あとで気象庁ウェブサイトを見て確認したことを書いた。マグニチュードはわざと整数までの精度で書いた。)

わたしは東京の家にいて、外国の人が主催するオンライン会議に参加していた。すぐにNHKテレビをつけ、音を消して画面をときどき見た。自分のまわりに被害がないことをたしかめて、オンライン会議に復帰し、ときどきテレビ画面を見ていた。そういう状態だったから、わたしは、NHKテレビが何を報道して何を報道しなかったのか、きちんとおさえていない。しかし、わたしが見たかぎり、ずっと地震に関する報道をしていた。いつもならば天気予報のある、18時50分台と、19時20分台に、意識して画面を見たときには、天気予報をやっておらず、地震の報道がつづいていた。20時50分台にようやく天気予報を見ることができた。

地震のあと、とくに、津波のおそれがあるときは、放送はその警戒をよびかけるべきだというのは正しいと思う。しかし、それ以外の放送を全部やめてそればかりを報道するのは正しくないと思う。

とくに、天気予報は必要だと思う。被災地にいる人が、避難のために移動するべきか、家のなかにとどまるべきかを判断するときには、地震と津波のほかに、雨や風や気温のことも考慮にいれるべきだ。とくに、この3月20日には、東北地方に低気圧がちかづいていて、かなりの風雨が予想されていた。また、被災地以外にいる人の毎日の生活のためにも、被災地を助けようとしている人が行動の計画をたてるためにも、被災地にかぎらず各地の天気予報をかかすべきではない。たとえ地震の直後でも、定時の天気予報はきちんとやってほしい。 (画面分割などの形で地震・津波の情報と共存させるのはよいと思う。) できれば、さらに被災地の人びとの行動を助けるような天気情報をだしてほしい。

気象を専門とするわたしが天気情報の重要性を主張するのは、我田引水のきらいもある。しかし、わたしの主張がとおってもわたしの直接の利益になるわけではない。他方、気象情報の価値を知っている人にはそのことに言及する社会的責任があると感じる面もある。

【この記事でのべたことは、[2017-03-06 報道は「国民的関心事」に集中しすぎず多様性を (1) 政治家の不正疑惑の報道に思う] の記事で予告したのだが書かなかった「その(2) 災害報道に思う」で言いたかったことの一部分にあたる。】