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日本の夏時間導入に反対する

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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「夏時間」(国や地域でいっせいに時刻を1時間ずらすこと)について、わたしは、2005年に[読書ノート]として、そこで話題にした2冊の本の紹介だけでなく、自分の意見も書いたのだけれど、意見を独立した記事にはしていなかった。ここでは、そこに書いたことの部分をくりかえし、補足して、わたしの意見を述べることにする。

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わたしは、日本が夏時間を導入することに反対する。

もし導入するとしても、それにともなう問題点を検討して実施案をつくる時間と、実施の準備をする時間が必要だ。2018年夏のいま「2020年の夏のオリンピックにまにあうように導入する」という提案は、あまりにも拙速だと思うので、わたしは絶対反対する。

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夏時間は、英語でいえば daylight saving time で、昼の時間が長い時期には朝早くから仕事をしよう、そして、仕事が終わったあとのまだあかるい夕方の時間を個人や家族の活動に有効に使おう、という発想だ。それは、夏と冬で昼の長さがだいぶちがう、温帯のうちでも高緯度の国の発想だ。日本の緯度では昼の長さがそれほどちがわないから、そういう発想が出てきにくいのだが、それでも1時間以上はちがうから、無意味ではないかもしれない。

しかし、電気による照明が普及した現在、野外のあかるさは、もちろん仕事の種類によっては重要だが、すべての人の労働時間を動かすほど重要な要因ではなくなっていると思う。また、いまの電力消費のうちでは、照明は重要な部分ではないと思う。

むしろ、日本の夏では、暑さが最大の問題だと思う。室内の職場で、夏に勤務時間だけ冷房を動かすとすれば、勤務時間を朝のほうにずらすことは職場の電力の節約には貢献するだろう。しかし、室内で働く人の実感にとっては、外の空気にふれることが避けられない通勤時間のほうが重要だ。 典型的な勤め人が午前9時から午後5時まで働くとすると、通勤時間は午前8〜9時と午後5〜6時ごろだろう。夏、標準時午後4〜5時に外を歩くのはつらい。そのぶん朝の通勤時間が涼しくなったとしても、埋め合わせられたと感じられないのではないだろうか。職場にとどまる時間をのばす人もいるだろうが、そうすると職場の冷房節約には貢献しないだろう。そして、そのような形でなしくずしに労働時間が長くなるのは、労働者やその家族にとって、まずいことだ。

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世界規模で時間をあわせて仕事をする人たちにとって、夏時間のルールは迷惑なことがある。

北半球の中高緯度どうしならば、夏時間を採用しているところのほうが多いから、それにあわせたほうが便利なのかもしれない。制度が決まっていれば、コンピュータによる自動変換もできる。ただし、制度が変わったときは、新旧の制度のどちらを参照しているかで混乱がおきる。日本は夏時間を採用していないという情報が流布しているから、変更を普及させるのはたいへんだろう。

南半球も含めた世界全体で動いている仕事では、いっせいに夏時間を採用することは不可能だ。気象業務はその一例だ。気象データは世界的に交換する必要があり、しかも同時観測が望ましいので、 世界時(つまりグリニッジ標準時) 0時を基準に3時間おき、6時間おき、12時間おきの観測をして、それをもとに予報をしている。この時間割をまもりながら、1時間ずれた社会に対応するのはたいへんなのだ。

実際、(「読書ノート」で参照した2冊の本によれば)イギリスやアメリカでのdaylight saving timeの立法化の過程で気象庁長官が反対意見を述べているが、 それはおもにデータの入口側の問題で、専任職員でない人に観測を委託する場合に 確実に標準時で観測してもらうことのむずかしさである。 (この話を読んで、1965年以前のアメリカの主要観測点以外の気象データは観測時刻が正しいかどうか要注意だと思った。)

今では委託観測は減り自動観測がふえているので、 問題はむしろ情報の出口側にある。 テレビの何時の天気予報には何時の観測にもとづいて何時に計算した予報天気図を使う、という時間割ができているが、それを単純に1時間早めることはできないのだ。夏時間を採用している国では、標準時用と夏時間用とで違った時間割を組み、勤務体制を組みかえているはずだ。夏時間を採用することは、天気予報に関係するすべての人にとって、すくなくとも新しい時間割が組まれて順調に動くようになるまでは、労働強化になるのだ。

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同じ時計のもとでも、季節的に営業時間を変えることはできる。 わたしが1960年代にかよった小学校のひとつでは、夏半年と冬半年で30分ほどずれた時間割を使っていた。それで不便を感じた記憶はない。もっとも家庭によっては、親の出勤時間と子どもの通学時間の関係が季節によって違うのは不便だったこともあっただろうと思う。

時計をずらすのではなく、人の活動の時間帯をずらせるかどうかをそれぞれ検討して自覚的にずらすべきだと思う。