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科学読みもの・科学番組のいろいろな態度

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

わたしは、本屋さんに行って、科学の本がもっとあってほしいと思う。新聞や総合雑誌の記事のうちに、科学を扱ったものがもっとあってほしいと思う。テレビに科学を扱った番組がもっとあってほしいと思う。

【わたしは実際、こういう関心をもっていて、そこでの「科学」はだいたい「理科」と同じことだ。しかし、考えてみると、ここでしようとしている議論は、対象を理科系の分野に限る必要はなく、たとえば、歴史学についても同様なことが言えそうだ。ただし、その場合は「歴史読みもの」に話題を広げずに「歴史学読みもの」について考える必要がありそうだ。「科学」というよりも「学術」と言ったほうがよいのかもしれないのだが、ひとまず、わたしが思いついたままの「科学」という表現を使って話を進める。】

科学者や、科学の成果を応用する分野の専門家に向けた、専門書も必要だ。それは、それなりに出版されていると思う。(市販されておらずネット情報になっていたり、日本語で出版されておらず英語のものを読む必要がある場合もあるが。)

ここで話題にしたいのは、科学を専門としない人に向けた、ほんものの科学の内容を伝える本や記事だ。それを書く人は、科学の専門家として認められていてもいなくてもよいが、科学の専門家たちの話題をよく理解し、それを専門外の人に伝えることに本気になっている必要がある。そういう人がまだ少ないのかもしれない。

科学読みものと言っても、いろいろな態度のものがある。本を書く人は、いろいろな動機によって動かされるし、人々のいろいろな期待にこたえているのだ。わたしが「科学の本がほしい」と思ったときのうちでも、どんな態度の本がほしいかは、ときによって違っている。

そこで、態度を分類してみようと思った。しかし、なかなか整理できないままに、なん年もたっている。ひとまず、今の段階でわたしの頭にあることを書き出しておく。

  1. 科学によって得られた知識のうち初歩的なものを伝える。読者がそれを自分の知識とすることを期待する。
  2. 科学的考えかたを伝える。読者の考えかたの訓練となることを期待する。
  3. 科学者が追求している先端の研究課題についての情報を伝える。読者が内容を理解できることは期待しない。科学はおもしろい、科学は長い目で生活に役だつ、などの好印象をもってもらうことを期待するものが多く見られるが、批判を含むものもある。
  4. 科学者である人の生きかたの例を示す。読者のうちのなん人かが科学者になろうと思うこと、そのほかの人も科学者という職種の意義を認めてくれることを期待する。本人の回顧や、偉人伝型のものが多いが、批判的なものもある。
  5. 科学と社会のかかわりについて、問題を指摘する。
  6. 科学者がやっていることの実例を「実演」「実況中継」する。それをどう受け取るかは読者しだいである。

とくに、テレビの「科学番組」が、ここで第3にあげた、番組の時間内に初歩から積み上げて理解することはできない先端的話題をとりあげ、しかも、それに好印象をもたせるものに偏っている、という印象をわたしは持っている。研究のスポンサー(企業のこともあるが、基礎科学の場合には政府であることが多い)の意向にそう傾向が強まっているのかもしれない。数十年前はもっと「教育番組」があって第1と第2の役割を果たしていたが、放送大学を別として、そういうものが減ってしまったと思うのだ。教育での第1と第2の課題の緊張関係も問題なのだが、総量が少なくてそれどころでなくなっている気がする。第4や第5の要素はドキュメンタリー番組には今もあるのだけれど、夜遅くなどに目だたない形で放送されていることが多いように思う。

環境問題や災害とかかわる科学の扱いについては、もっと言いたいことがあるのだけれど、別の機会にしたい。健康や人権とかかわる科学の問題もあるのだけれど、わたしがそれを論じることはむずかしい。