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適応/適用、いちおう/一様、京王線/京葉線

「適応」と「適用」

「適応」と「適用」が混同されることがあるのは、ときおり気づいてはまた忘れていたのだが、2014年12月3日に川端裕人(@Rsider)さんのtweetで指摘されていたのであらためて意識した。指摘の対象はスポーツ関係の報道記事で、「ルールを適用する」というべきところが毎度「...適応する」となっていたのだった。

これは、広い意味の同音異義語、なのだと思う。それぞれの単語がどういう音素から構成されているか(というよりもおそらく多くの日本語話者の場合は「かな ではどう書くか」)を意識して使う場合は、「同音」ではないとされるだろう。しかし、実際の話の中で使うとき、両者を区別できるように発音している人はむしろ少ないのではないだろうか。そして、文字を読むより先に耳から聞いて知った人にとっては、音では区別できず、文脈を知って使いわけるしかない単語の組ではないだろうか。

音素に分解してみた場合の違いは、iとoの間に、半母音の[j] (これはIPA [国際音声記号]の表現、日本語ローマ字では y )がはいるかどうかなのだが、iとjは似た音で、iからoになめらかに移ったときにjがはいるのとはいらないのを区別して発音することはむずかしい。どちらかというと、母音と母音を、間に子音(「半母音」と分類されるものを含む)を入れずに続けるほう(音声学用語でhiatusというそうだ)がむずかしいと思う。

わたし自身、反省してみて、「適応」と「適用」を書きまちがえることはないが、聞きとりでどちらかわからないことはよくあるし、わたしの発音も聞いただけで区別できるようになっていないだろうと思う。そして、このふたつのことばはどちらも必要になることがある。まぎらわしいと気づいた場合にはなるべく「適用」のほうをほかのことばで言いかえるようにしているが、文脈によってはうまい言いかえが見つからないこともある。

(わたしが思いあたるかぎりの)日本語の「適応する」という動詞の使いかたは、「...に適応する」であって「...を適応する」ではない。もし「他動詞」とは「目的語をとる動詞」だとし、「目的語」とは「を」で動詞につながる語だ(「に」でつながる語は含まない)とすれば、「適応する」は自動詞だ。他方、「適用する」は「...を適用する」という形をとるので、他動詞だ。(ただし、「.....に...を適用する」という形で、目的語のほかにもうひとつの対象を取ることが多い。) このような構造に注意すれば、両者が出てくる文脈は区別できると思う。名詞として使われる場合は、関連することばをつなぐ助詞が必ずしも一定でないのでややむずかしくなるが、「Xへの適応」(=「Xに適応すること」)と、「XへのYの適用」(=「XにYを適用すること」)は、なんとか区別できるのではないだろうか。

【医学・薬のほうの用語に「適応症」というものがある。この関連の話題になると「適応」と「適用」とは(区別がなくなるわけではないが)意味の境がなくなってしまうのかもしれない。わたしはこの分野の用語の使いわけはよくわからない。もし必要になったらあらためて勉強しなければならない。】

わたしのまわりで「適応」が現われる基本的文脈は、「生物が環境に適応する」というものだ。人間(の集団)も環境に適応する。地球温暖化の文脈で、人間社会がとる対策を大きく分類すると、そのひとつが「適応策」だが、そこで使われている「適応」の意味はこれと同じ流れに属する。

英語で、(わたしがよく出会う文脈での)「適応」に対応する語は、動詞 adapt、名詞 adaptationだ。動詞 adapt は自動詞として adapt to X が 「Xに適応する」にあたる使われかたと、他動詞として adapt X to Y が「XをYに適応させる」にあたる使われかたがある。(後者の日本語表現として「XをYに適応する」と言ってもよいかはむずかしい問題だが、わたしの規範としては、よくない、としたい。)

なお、adaptに対する日本語としては「順応(する)」もありうる。わたしは、生物個体(生物としての人を含む)の環境への応答には「順応」を使うことが多い。また、adaptive management は「適応型管理」でもよいと思うのだが、(気候変動への)「適応策」と混在する文章では「順応型管理」を使うことにしている。(ここでmanagementを仮に「管理」としたが、この用語選択も迷うところだ。)

(わたしがよく出会う文脈での)「適用」に対応する英語は、動詞 apply、名詞 applicationだ。動詞applyは他動詞としてapply X to Y が「XをYに適用する」にあたるのが基本的構造だと思う。自動詞として使われることもあるが、その場合に対応する日本語は「適用される」または「適合する」だろう。(「応募する」などの、意味の別の系列と考えたほうがよさそうな場合もあるが。)

ところが、逆に apply に対応する日本語としてはまず「応用する」が出てくると思う。わたしは「応用する」が適切なときはそちらを使っている。ある基礎原理を技術の現場に応用する場合、ある技術をそれが作られた本来の目的と違った目的に応用する場合などだ。しかし、ある技術を、その技術が作られた本来の目的のために使う場合は、「応用する」では変なので、「適用する」を使う必要にせまられる。「ルール」に関しても、ここで述べた「技術」に関してと同様なことが言えると思う。

なお、英語には動詞 adopt (他動詞)、名詞 adoption ということばもあり、adapt と adopt の発音は違うのだが、英語の音を日本語(その他、英語以外の言語)の音に置きかえて受け入れる際の個人差によって、まぎれてしまうことがある。そして、ややこしいことには、adopt に対応する日本語が「適用(する)」であることがありうる。ただし、これが最適な訳語であることはあまりなく、たとえば「採用(する)」のほうがふさわしいことが多いと思う。

意味の関連はないが、日本語の「てきよう」の同音衝突としては、「摘要」もある。わたしにとって、これは、ときどき読む必要が生じるが、自分からは使わないことばだ。「要旨」または「要約」で置きかえたほうがよいと思っている。

いちおう(一応・一往) と 一様

これと同じ音の連鎖からくる広い意味の同音異義語として、わたしが子どものころから認識していたものとして、「いちおう」と、「一様(いちよう)」がある。「適応/適用」の場合と違って、両者の意味が近いわけではないが、聞きとりでは同じ音に聞こえ、文脈で判断するしかないことが多いと思う。

「いちおう」は副詞であり、名詞を修飾するときは「いちおうの」という形をとる。「一様」は学校文法流に言えば「形容動詞の語幹」であり、名詞を修飾するときは「一様な」という形をとる。したがって、意味に踏みこまなくても文脈の構造で区別できるはずなのだが、「の」と「な」がまぎれやすいという問題は残る。

わたし個人にとっては、「いちおう」は、聞いて覚えたことばで、文字はあとで知ったが、今でも漢語の熟語というよりも話しことばの日本語の単語だと思っている。「一応」と書かれていることが多いが、「語源からは『一往』が正しい」という記述も見た覚えがある。こういう状況にある語については、文字づかいを選べる限りは、ひらがなで書くのがよいと考えている。

「一様(な)」は、数学・理科関係の文章を読んで覚えたことばで、漢語の1文字要素から組み立てられた熟語だと認識している。英語では uniform または homogeneous にあたる。「均一(な)」とは意味が部分的に重なる。

京王線京葉線

そういえば、同じ音の連鎖がまぎれる例がほかにもあった。「京王線」と「京葉線」だ。これはいずれも固有名詞(東京付近の鉄道の路線名)であり、文脈の構造上では同じところにくるので、意味に立ち入らなければ区別できない。

ふたつの路線は、線路としては 6 km くらい離れているが、一方に乗り入れる電車が他方の線路から 1 km 以内に近づくことが(両方の組み合わせで)あるので、文脈によってはとてもまぎらわしいことが起こる。できれば、こういう名まえのつけかたはしないでほしかったと思う。

京王線」の名まえは、「京王電気軌道」が(部分)開業した1913年にさかのぼる。「王」は八王子の略だったにちがいないが、「京王」ということばは、もはや要素を意識されずに、路線または会社の名まえとして定着していると思う。(そして、「慶応」との同音衝突はよく知られている。)

京葉線」は1975年に貨物線として開業している。この時期ならば、「京葉工業地帯」(あるいは「-地域」)ということばがおもに東京湾岸の埋立地をさして、よく使われていたから、この名まえの選択は無理がないものだっただろう。そして、国鉄の貨物線の「京葉線」と私鉄の旅客線の「京王線」とが同じ文脈に出てくることも少なかっただろう。まぎらわしさが生じたのは、京葉線の旅客営業が始まった 1986年だといえると思う。

もし京葉線が旅客鉄道として始まったならば、名まえが提案された段階でまぎらわしさが指摘され、別の名まえがつけられたのではないだろうか、と思う。たまたま、ものごとがこの順序で起こったので、こうなってしまったのだ。