macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

研究者が勤務中に書いたものはだれのものか

[前の記事]で「2」として予告した件。

(自分の経験に基づくことと、経験から遠いことについて想像で述べていることや、希望を述べていることが混ざってしまっている。)

法人に雇われている研究者について、「実験ノートは法人のものであり、研究者が自由に持ち帰れるものではない」「データも法人のものだから、職場で使うパソコンも法人が用意すべきであり、個人のパソコンの持ち込みを許すべきでない」ということを、当然のように言っている人たちを見かけた。

専門分野によっては、それが当然なのだと思う。企業内の研究や、公的機関でも、研究成果が企業に応用される可能性が明確な分野で、特許をとるのが当然のようになっているところでは、研究で得られつつある成果自体が知的財産であり、しかも他者がそれを奪う可能性があるので、権利のない人にわたらないようにまもることが重要なのだろう。

わたしの勤める研究機関はそうではない(法人全体なのか、その中でも職場によって違うのかはわからない)。「センター長補佐」が配ったノートは法人のものだったに違いないが、点検されないまま、捨てようが持ち帰ろうがかまわない消耗品になった。個人のパソコンを持ちこんでもそのこと自体についてはもんくは言われない(法人備品向けのサービスは受けられないが)。【わたしが個人のパソコンを持ちこんでいるのは、法人で買ってもらったパソコンをあまりに早く再起不能なまでにこわしてしまい、買いなおしてもらうのが気がひける、という事情もあるのだが。】 違いの理由も想像がつく。わたしの勤め先の研究課題は、応用につながる道筋が明確でない基礎研究か、応用してくれるところが国や地方自治体などの公共部門になりそうなものであって、商業利用される可能性が(まったくないとは言えないが)低いのだ。

そういう法人での研究に対しては、前の記事でも述べたように、情報はすべて、だれでも見られるように公開するべきだ、という要求がされることもある。

- - -

ところが、そういう企業秘密的なものが少ない法人でも、勤務中に作ったソフトウェアの著作権は法人に属するという規定がある(これはひとつの法人の場合であり、他の法人ではどうなっているのか知らない)。これは、法人に、研究者が作ったソフトウェアを法人の知的財産として、それを使いたい他組織との交渉材料に使いたい、といった意志があるときには、もっともだと思う。しかし、法人にソフトウェアへの関心が薄い場合には、現場の自由にまかせてほしいと思うことも多い。

わたしは、3年ほど前まではほぼ毎日計算機に向かって、何か計算機プログラムを書いたり修正したりしていた。もちろん、売り物になるような汎用性の高いプログラムではない。違うデータに適用したり、結果の表現をちょっと変えたくなったりするたびにプログラムの変更が必要だから、いつも完成ではなく作成中なのだ。とくに、ある種類のデータを読み書きするための手続きは、だれかが作ったものをほかの人も使ったほうが全体としててまがはぶけるから、所属機関の境を越えて研究者間でやりとりしたくなる。これを、勤務中に作ったソフトウェアだから法人の知的財産管理部署の承認を得なくてはいけないとされると困る。その程度のものは「公知の事実」か、著作権が適用されないデータに付属する情報とみなして、プログラムの著作物とはみなさないのが現実的だと思う(実際にそのように処理されていると思う)。それでは、独創的な解析方法を実現するプログラムだったらどうか。よくわからない。法人(の知的財産管理部署)が実質的財産とみなすかどうかによるのかもしれない。

大がかりなシミュレーションモデルとなると、プログラムの著作物であることは明らかだろう。ただし、それを開発するプロジェクトの構成員は、1つの法人の中で閉じていないのがふつうだ。プロジェクトの資金提供者、請け負った各法人、その中で従事した各個人の利害が違う可能性がある。プロジェクトが動いている間はそのルールがあったが、プロジェクトの年限が終わってしまった場合もある。それでも、関与した法人のいずれかが、そのソフトウェアを知的財産として使う意志があれば、他の法人も納得できる形での知的財産管理体制が作られるかもしれない。しかし、法人にその意志がない場合は、そのソフトウェアに関心をもつ人々に管理をまかせるのがそれを生かす道だろう。やや極端な形としては、オープンソースソフトウェアにしてしまうことが考えられる。この場合、だれでもソフトウェアを手に入れ、使い、(ライセンス条件の範囲で)改変し、再配布することができる。専門的ソフトウェアでは、むしろ、作成者グループの判断で、使うことは広く認めても、改変・再配布の権限をもつ人々を限定することが多いようだ。

- - -

知的財産権が法人に属することは法人の立場から見るともっともなのだが、雇われる個人の立場から見ると不条理な場合がある。少なくとも大学教員をはじめとするアカデミックな職種では、職場間を移動しながら地位を高めていくようなキャリアが望ましいとされていると思う。また、多くの研究プロジェクトが時限なので、プロジェクトが終わるとそれに従事していた人が他の法人に職を求めなければならないことが多い。ある法人に雇われていたとき自分が作った知的財産が、別の法人に移ると使えないということが起こる。これはその人の知的生産性を阻害するか、または異動によるキャリア形成を阻害すると思う。これを一般的に解決することはできない。(知的財産権を研究者個人に属させればよいというものではない。) しかし、せっかく知的財産をつくり出す能力をもった人にやる気をなくさせないように、なんらかのくふうをしたほうがよいのではないかと思う。

- - -

ところで、多くの研究機関で研究成果の主要な部分とされている論文の著作権については、別の慣行がまかりとおっている。論文を書いた時点では著作権は著者である研究者個人が持っている(この点は、職務中に書いた論文の著作権を法人がもつ制度になっている法人もあるかもしれない)。しかし多くの場合、学術雑誌の出版社が、著作権を出版社に譲ることを求めてくる。論文の読者が複製や加工利用の許可を求めてきたとき出版社の判断で応じられるようにしたいからという理由だ。確かに、読者の立場で考えると、著者をさがして連絡をとらなければならないのではやっかいだ。しかしそれだけならば、著者が著作権を持ったまま、利用許諾をすることを出版社にライセンスすればよいはずだ。しかし現実には論文を出したい著者よりも出版社のほうが強い立場にあるので押し切られている。

ただし、多くの出版社が、著者あるいはその所属機関が、そのウェブサイトに論文のコピーを置くことを認める。(ところが、著者に認めるのか所属機関に認めるのか、また、出版社がレイアウトした印刷版のコピーと著者がレイアウトした最終原稿のどちらを置くことを認めるか(他方を認めないことが多い)が出版社ごとに違い、それぞれに対応するのはやっかいだ。) 結局、多くの場合、研究法人は出版社の了解を得てそのウェブサイト(多くの場合「機関リポジトリ」と呼ばれるところ)から所属研究者の論文を発信することはできるのだが、それには法人がかなり努力する必要がある。