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二十四節気、七十二候

「気象むらの方言」の中で季節についての用語にふれることがまだできていない。なかなか書きにくい。思うに、気象学者にとって季節は重要なのだが、季節に関する用語を意味を統一して使っているわけではないのだ。

しかし、Twitter上で5日ごとに「七十二候」を示す人を複数見るようになった。季節感に合っていると思って使っているのだと思うが、わたしから見ると明らかに合わないものもある。気候を専門とする者としては、注意を述べておく責任のようなものを感じる。

わたしはかねがね、日本の一般社会の季節に関する用語には無理があると思っている。

  • ひとつは、明治時代に西洋のグレゴリオ暦を採用した際に生じた問題。
    • 約1か月ずれた旧暦(中国の伝統に基づき詳しいところは日本で改訂されたもの)の月と同じ呼びかたを使ってしまったことによって、同じことばを使っても文脈によって意味のくいちがいが生じた。
    • また、季節名についても、たとえば「春」を、西洋語、たとえば英語のspringに対応する意味で使う場合と、日本の(中国古典の影響も含む)伝統的な意味で使う場合があり、それが必ずしも明示されないので、意味のあいまいさが生じたのではないか?
  • もうひとつは、飛鳥・奈良時代から平安時代初めに、中国の暦の制度とともに季節に関する文化的模範も取り入れた際に生じた問題。
    • 中国(とくに長安付近)と日本(とくに奈良・京都付近)の気温の季節変化には約半月のずれがある(教材ページ「地上気温の年変化の振幅と位相」参照)。当時の文明の落差のせいで、暦が正しく目の前の現実が異常だと思わされてしまったのではないか。
    • また、日本語の「はる」の意味が、訓読みという文化的習慣によって、漢語の「春」に無理に合わせられてしまったのではないか? (ただし、漢語がはいってくる前にどういう意味で使われていたかはよくわからない。)

現代語でいう気候は、地上に近い大気の状態をさしていると思う。地球上の大部分のところで(とくに温帯で)、その変化は1年を周期とする特徴をもつ。ただし毎年ぴったり同じようにくりかえすわけではない。他方、見かけの太陽の動き(現代流に言えば地球の公転と自転の組みあわせ)は毎年ほとんど同じように起こる。そしてこれが地上の気候の季節変化の主要原因である(現代科学でそう言えるが、昔からそう推測されていたにちがいない)。

漢語の「気候」はもともと「二十四節気・七十二候」をさしていたそうだ(確認していない)。

見かけの天球上の太陽の軌道を黄道といい、恒星の日周運動の軸に垂直な面を天の赤道という。黄道と赤道の交わるところが春分点と秋分点だ。黄道が赤道からいちばん離れるところが夏至点と冬至点だ。(地動説にたてば、公転軌道上で地球が春分点にくるときは秋分というように、読みかえる必要がある。) この4つは確かに原因の立場から見た季節の ふしめ にふさわしい。【「ふしめ」を「節目」と書いたら、自分で読みかえしたときに「セツモクという単語は知らないが、自分はなぜ知らない単語を書いたのだろう?」と思ったので、ひらがなで書くことにした。】

そして4つをそれぞれ2つずつに分け、1年を8等分するのも順当だ。その ふしめ には古代中国で「立春」のような名まえをつけられたので、ここでもそれを使おう。

ただし、1年を四季に分けて「立春」などがそれぞれ「春」などという季節の始まりだとすること、つまり、春分・夏至・秋分・冬至がそれぞれの季節の中央にくるとすることは、中国文明が(おそらく漢代に)定式化した季節観であって、北半球温帯に限っても普遍的なものではないと思う。(イギリスなどではspringが春分から始まるという考えもある。それを採用すると英語のspringは漢語の春よりも8分の1年遅れる。)

ここで「等分」と書いてしまったが、Wikipedia日本語版の「二十四節気」 (2012-10-28現在)を参考に述べると、今では黄道上の角度(天球を仮定すれば弧の長さと考えてもよい)で等分しているが、それは中国では清、日本では天保からの新しい方式であって、伝統的には冬至を起点に時間で等分していたそうだ。

ともかく、等分すると決めれば、24等分でも、72等分でも、天文(現代流に言えば地球の公転・自転)の観測・予測だけの問題になる。

しかし、これまでに述べた8つ以外の ふしめ の名まえは、天文ではなく地上のものごとによってつけられている。気温や降水のような現代では気象学で扱われるような現象もあれば、生物の動きもあり、農業実践にかかわるものもある。そのうちで、二十四節気は気象に関するものが多く、七十二候は生物に関するものが多い。

それは当時文明が発達した地域での観察に基づくにちがいない。二十四節気の名称は、前漢の『淮南子』に出そろっているそうだ(これはいずれ確認したいがひとまずWikipedia日本語版「二十四節気」によって述べている)。そうすると前漢の都の長安(今の西安)のあたりだろうか。(「淮南」は安徽省であり、文明圏は華北平原に広がっていたにちがいないので、長安にしぼりこめるとは限らないが。)

長安の気温の季節変化を見たのならば、それが最高になるころが「大暑」、最低になるころが「大寒」というのはもっともなのだ。立秋、立春にはすでに極端な状態を脱したことを実感できるのだろうと思う。しかし日本では、気温が最高になるのが立秋、最低になるのが立春のころなのだ。頂点に達したらあとは下がる、という意味での ふしめ とは言える。しかし現実の気温の変化はなめらかでなく日々の変動がある。年の最高気温が立秋のあとに出る確率はその前に出る確率とほぼ同じであるはずだ(数値を確認しないで述べてしまっているが)。古今集の歌人たちは、立秋のころに秋の風を、立春のころに春がすみを認めることによって、中華文明の規範と京都付近の観測事実のつじつまを合わせた(高橋, 1978)。それを日本人の季節感のするどさとして賞賛する人たちもいる。しかし、これは「無理をした」とというべきではないだろうか。「日本では、暑い季節の後半は『秋』と呼ぶのだ」という再定義でみんなが納得できればよいのだが、明治時代ならばともかく今からそうしようとしてもみんながついてこないだろう。

七十二候の名まえは二十四節気よりは新しい。Wikipedia日本語版の「七十二候」(2012-10-28現在)には唐の宣明暦のものが示されている。これは唐では822年から892年まで、日本では862年から1685年まで公式に使われた暦だ。そのうちには「野鶏入水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる[仮にWikipediaの解釈によった])のように、科学的にありえないものも含まれている。しかし多くは長安付近の気象や生物現象に対応しているようだ。

わたしはこれまで、日本で使われている七十二候の名まえは中国直輸入だと思っていたのだが、違っていた。江戸時代以後には日本の気候風土に合うように改訂されている。今では、二十四節気は国立天文台が示しているけれども、七十二候には国定の標準はないのだが、日本で七十二候を使う人のあいだでは、Wikipediaにも示されているように、1874年(明治7年)の国定の暦にのせられた名まえが標準とみなされているようだ。宣明暦のものと変わらないもの、新しいもの、時期がずらされたものを含んでいる。時期をずらされたものは、日本(おそらく京都付近、もしかすると江戸付近)での観察に基づいているにちがいない。

しかし、立春の「東風解凍」、立秋の「涼風至」は変えられていない。これは無理をしていると思う。文化の伝統が重くなりすぎて、その場の季節の実感を押しのけてしまったのではないだろうか。

さて、直接ではなくWikipediaの記載から知ったのだが、日本気象協会が2011年2月22日に「日本版二十四節気 〜日本気象協会は新しい季節のことばの提案に取り組みます〜」という発表をした。「2012年秋を目途に日本版二十四節気を提案する予定です。」と言っていた。それから続く活動だと思うのだが、2012年8月16日には「あなたが感じる「季節のことば」募集!」という呼びかけをし、別に「暦の上では」というウェブサイトを作って投稿を募集している。推測だが、気象キャスターは今の季節現象と伝統的な季節用語とを組み合わせることに疲れていて、現代にふさわしい季節用語の標準がほしいにちがいない。しかし、広く呼びかけてみると、伝統的季節用語の中で育った人からの、変えてほしくないという要望にはかなわないだろう。結局、多様性を認めようという方向に向かっているのだろう。【[2016-02-04補足, 2023-09-18改訂] ここにあげた3つのリンク先のうち2つはなくなってしまった。「暦の上では」はあり、「季節のことば」の募集が終わって選ばれたものが発表されている。ページの右端の 「季節のことば36選」などの4つの縦書き文字列のリンクをたどるとよい。】

文献

  • 高橋 和夫, 1978: 日本文学と気象 (中公新書 512)。中央公論社, 240 pp. [読書メモ]