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IAC (InterAcademy Council)によるIPCCのレビュー: わたしの理解

IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の仕事のしかたを見なおすInterAcademy Councilによるレビューの報告については、8月31日の記事(9月1日追記)で紹介した。

これについて、わたしは次のように理解している。(少ない情報にもとづいて推測をまじえて述べたものであることにご注意。)

事前にわたしは、IPCC全体としての職務や問題設定の見なおしもされるのかと期待していたのだが、委員会報告にはそのような指摘は見あたらない。

おそらく国連の要請が、IPCCを根本的に作りかえるための案づくりではなく、弱い点を強化する改造の案づくりだったのだろう。そして、IPCC側の対応を10月に韓国で開かれる予定のIPCC総会で決めてもらうことをめざし、その準備も考えて8月中という締め切りを設定しての検討作業となったようだ。

IPCCは臨時のものとして始まり、今も、少数の事務局職員のほかは、議長などの役員も、報告書の編著者も、IPCCからは給料をもらわずにボランティアで仕事をしている。評価報告の質の改善が必要だという認識が一致したとしても、各国からの費用負担が桁違いにふえるとは思えない。IACの勧告は、各国政府が納得しうる負担増の範囲でできそうなことをあげているのだと思う。

それにしても、IPCCをこの勧告にそって強化することに賛同するならば、いくらかの負担増は覚悟しなければならない。IPCCに批判的な人のうちには、国連分担金を削減するべきだと考える人も多いようだが、もしそう考えるならば、この勧告を支持するのではなく、IPCCは機能を大幅に縮小するべきだと言ってほしい。[この段落は9月6日追記]

組織・運営体制について

これまでのIPCCは、各国政府代表が集まる総会を開かないとものごとが決まらない。急に問題が起きてもIPCCとしての応答ができないのだ。議長などの役員が質問されれば個人として答えるしかないが、それがIPCCの意思だと誤解されやすい。正副議長と各作業部会の正副共同議長などを含めたBureauという組織はあるのだが、これでさえたびたび集まれるわけではない。そこで、もうひとまわり小さい、会社で言えば取締役会にあたる執行委員会を作る。そこにはいわば社外取締役も入れて判断が仲間内向けだけに偏らないようにする。また、事務局をとりしきる事務局長を置き、その人はいわば専務取締役として執行委員会のメンバーとなる。もちろん、それにふさわしい人を選ぶ。こういう体制にすれば、IPCCを代表して日常的応答をするのは事務局長の仕事になるのだろう。自分の権限をわきまえて、その範囲で判断できることは判断し、執行委員会あるいは総会の判断を待つべきことはそのように答えることになるのだろう。

また、役員、職員、編著者それぞれについて、利害相反に関するルールを作ることになった。評価の仕事が各人の利害の影響を受けることはありうる。ただし、利害相反のおそれがある人をみな排除したのでは必要な能力のある人がそろわないだろう。明らかな利害相反になるところとの兼業などを禁止するとともに、利害相反になる可能性のある条件をあげてそれにあてはまる人はそのことを明示(情報公開)するというようなルールになるのだろう。

議長、作業部会共同議長、事務局長は、1つの評価報告書作成にかかわる期間(約6年)を任期として交代するべきだとされた。

この委員会報告を「IACはPachauri議長に退陣をせまっている」と伝える人がいる。そういう解釈は「行間を読んだ」ようなものである。こちらも推測だが、順当に考えると、IPCCが次の総会で、今後の役員改選では再選を避けるというルールを作ることになるが、それは過去にさかのぼるものではないだろう。長期継続が望ましくないという勧告の精神を尊重して議長を交代させるか、すでに始まった第5次報告書に向かう活動を尊重して完成まで続けさせるかは、IPCC総会の裁量だろう。また勧告は、議長にはどういう特徴(能力など)をもった人を採用するのかの基準を明確にすることも求めており、IPCC総会でしなければならない役員改選ルール改正ではむしろこのほうが重要だろう。これもルールとしては過去にさかのぼるものにはならないと思うが、もしPachauri氏が基準にあてはまらなければ、すぐに改選ということになるだろう。[この段落は2010-09-04に書きなおした。]

報告書の作成過程について

IPCCは専門家の間の見解の違いをよく反映していないという批判がある。それにすべてこたえるのは無理だが、対処の努力をし、そのことを明示するべきだ。まず著者には観点の広がりを明示的に記述することを求め、Review Editorには専門家の見解が一致しない点が報告書に適切に反映されたかを確かめることを求めている。

第4次報告書第2部会のヒマラヤの氷河のまちがいの件では、査読コメントにしっかり対応できていなかった。そのような失敗はその章の編著者に義務づけるだけでは減らせないだろう。査読コメントの数はもっと多くなるかもしれない。そこで、アメリカの国内での類似の仕事の経験を参考に、あらかじめ答える必要のあるコメントを選別することにした。選別する仕事を、IPCCにすでにあるReview Editorという職務に割り当てている。これはReview Editorの職務の意味を変えることになるので、それを担当する人を変える必要があるところもあるかもしれない。

未出版あるいは査読なしで出版されている文献の扱いについてはすでにルールはあるのだが、手続きをもっと明確にすることを求めている。

また、地域別の章は情報探索範囲が狭くなりがちなので、必要に応じてだが、地域外の専門家も参加させるように求めている。

政策決定者向け要約(SPM)の承認は、それが議題となった総会の大部分の時間を食い、お祭りのような興奮した場になり、人数が多くてねばる能力のある代表団を出せる国に有利になりがちだった。もっと粛々とやるべきであり、そのためには早く原稿を各国政府に送ってコメントを文書でもらうべきだと勧告している。

不確かさの表現について

IPCC報告書には、第3次以来、知見の不確かさを示す約束がある。IACは、これの意義を尊重しながら、現在の方式の欠点を避け、よりよく役立つと思われる方式を勧告している。

不確かさの指針を作ることに大きく貢献した(今年亡くなった) Stephen Schneider [読書ノート]は、気候変化の影響評価をリスク管理としてとらえようとしていた。リスクは害の大きさとそれが起こる確率の積で代表される。確率が客観的に決められるときはもちろんそれを示すべきだが、そうでないときも主観的確率が必要だと考えた。そのための苦心された二本立ての表現が「可能性」(likelihood)と「確信度」(level of confidence)だった。

しかし、このような表現をしても必ずしも読者には意図どおり伝わらない。著者に義務づければ、苦しまぎれに根拠のない値を与えてしまうこともある(ヒマラヤの氷河の件はそうだった)。あるいは、非常に幅の広い見通しを示して、それには強い確信がもてるという表現をすれば、うそではないがあまり情報価値のない報告になる。

そこで、今後原則としては、第3部会がやってきたように、「専門家の意見の一致水準 (level of agreement)」と「証拠の量 (amount of evidence)」を定性的に示すのが適切だと勧告した。

確率が示せるならばそのほうが望ましいが、それはじゅうぶんな証拠がある場合に限って意味がある。確率の数値を理解するためにはどのように得られたかの説明も必要だ。また「可能性が高い」(likely)などの表現だけに頼らず、確率の数値の形で示すべきだ。以上いずれももっともな指摘だ。

「意見一致水準」と「証拠の量」について具体例を経験してみないとよくわからないが、とくに第2部会の話題については、第4次のやりかたよりも、書く側にとっても読む側にとってもわかりやすくなるのではないかと思う。