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情報のまずい広まりかた -- アマゾンの熱帯雨林は気候変動にどれだけ耐えられるかに関する研究の報道

[2010-03-21: この記事は3月13日から少しずつ書きたしたり改訂したりしてきた。どこをいつ書きかえたかを明示しようとしてみたが、あまりに複雑になるので、今後は省略する。]

科学の話題がニュースになるのは、新しい研究論文が発表されたときが多い。しかし、科学が世の中に影響を及ぼすのは、ふつう個別の論文ではなく、いくつもの研究論文に伴う議論を経て専門家集団の知識が発達することによる。だから、前にも書いたように、科学の話題を一般の人たちに伝える報道は、ぜひ科学の進展を年単位で見て論じてほしいと思う。

報道する側も、個別の論文に書いてあることを伝えるだけでは読者に意義がわからないだろうとは認識しているので、その背景説明を加えることがある。ところが、そこで話題がもとの論文の著者が想定しなかったほうに広がることがある。さらに、短く省略された形で伝言を重ねていくと、まったく違う話になっていることがある。とくに社会的意義のある話題については、自分の意見につごうのよい解釈を(意図的か、そう思いこんでいるのかはわからないが)広めたがる人がいるので、個人ブログはもちろんのこと、マスメディアの記事でもそういう変換が途中でかかった情報であるかもしれない(もちろん正しい可能性もあるが)と疑いながら見ることが必要になってしまった。

...と述べようとしていたら、3月13日、その例と言える事例を英語圏のブログで知ったので、この記事を書き始めた。ところが、その後わかってきたことによると、この件は報道の問題というよりもむしろ研究の質の問題らしい。

2010年3月5日づけで、AGU (アメリカ地球物理学連合)という学会の雑誌にボストン大学のArindam Samanta氏ほかによる次の論文が発表された。Amazon forests did not green-up during the 2005 drought。(リンク先は要旨で、そこから本文へのリンクがあるが購読者だけが進める。) Ranga Myneni教授を中心とするチームの研究だ。

これについて、新しい科学の成果を紹介するウェブサイト「Science Daily」(とくに政治的偏りはないようだ)が、3月12日づけで次の紹介記事を出した。New Study Debunks Myths About Vulnerability of Amazon Rain Forests to Drought。もう少し調べると、「Eurekalert」というサイトに3月11日づけでNew study debunks myths about Amazon rain forestsという、ほぼ同じ内容の記事があり、こちらはボストン大学から発信された形になっている。Eulekalertのほうがもとで、Science Dailyの記事はそれをもとに書かれたようだ。

(ただし、Eurekalertの記事の発信者となっているTaffe氏の所属が、同じ大学ではあるが、原著者と同じ部局でも大学全体の広報担当部局でもなく、付属病院のようなものであると思われるMedical Centerだというのは奇妙だ。しかし組織それぞれの事情があると思うので、意図をかんぐるのは避けておく。)

(また、あとで知ったのだが、ボストン大学の「Media Relation」からも3月12日づけで発信されている。http://www.bu.edu/phpbin/news/releases/display.php?id=2041 連絡先はTaffe氏となっていてその所属部局は書かれていない。なお、3月22日にざっと見たところでは、あとで述べるMarengo氏の発言は含まれていないが、その他は題名・副題を含めてEulekalertと同じのようだ。当初はMarengo氏の発言も含まれていて、あとで消されたのではないだろうか。)

題名の「myths」が、2007年に出たSaleskaほかの論文の「2005年にはアマゾン川流域では降水が少なかったが、森林はかえってよく茂っていた」という結果をさすのであれば、この表題は論文の要旨(abstract)に書かれたことの趣旨と合っている。(Samantaほかの論文の言っていることが正しいと仮定すれば、Saleskaほかの論文の結果がまちがっていた、という意味。)

ところが、紹介文は、新しい論文が全然話題にしていないIPCCの件にとんでしまう。これも2007年に出た(したがってSaleskaほか(2007)の論文を引用してはいない) IPCCの第4次報告書の第2部会のラテンアメリカの章で、アマゾンの森林の将来見通しに関して、査読済み論文でないWWF (世界自然保護基金)とIUCN (国際自然保護連合)の報告書(Rowell and Moore, 2000 [IPCC報告書の参考文献リスト参照])が根拠にされていることが、最近になって批判されている。このことをIPCC報告書の重大な欠陥のひとつとする人もいまだにいるが、問題の件は査読済み論文(Nepstadほか, 1994, Natureなど)でも論じられているので、それを参考文献に入れ忘れただけだとも言える(数値が少し違うという問題はあるが)。Nepstadの声明(2010年2月)参照。

いずれにせよ、アマゾンの森林の持続可能性が、科学者にとっても一般人にとっても関心のまとではあるが、不確かさの大きい課題であることはまちがいない。今回の新しい論文の話題が、それに関係があるというのは正しいし、それを紹介するのは科学に関する話題提供としてよいことだと思う。困るのは、不用意にIPCCの話題につなげたことだ。

紹介文は、共著者のひとりGanguly氏が「新しい研究から、アマゾンの森林がそれほど敏感でないことがわかった」と述べたと伝えている。「それほど」はWWF+IUCNの報告書の内容をさしているらしい。

紹介文はまた、アマゾン地域の気候を研究しているブラジルの気象学者Marengo氏が「WWFの報告書がとった計算方法はまったくまちがいだった」と述べたと伝えている。しかし、Tim Lambert氏によるブログ「Deltoid」の3月14日の記事 It's always bad news for the IPCCによると、Marengo氏は「今回のしっかりした研究と比べて、WWFが採用した情報を得た方法は大ざっぱなものだった」と言ったのだそうだ。古い研究が不確かだという主張ではあるが、古い研究がまちがっていると主張しているわけではない。Lambert氏が伝えるMarengo氏のメッセージによれば、不正確な伝聞はGanguly氏によるものらしい。

さらに、Eurekalertの紹介文には、副題として「They may be more tolerant of droughts than previously thought」と書いてある。この副題がついていると、読者は「myths」は「アマゾンの森林は乾燥に弱い」ことをさすと思ってしまうだろう。

この話題は、英語圏の多数のウェブサイト(ブログや報道サイト)に広まっているが、その論旨は「Another WWF assisted IPCC claim debunked: Amazon more drought resistant than claimed 世界自然保護基金が支えたIPCCの主張はまたも否定された。アマゾンの森林は言われていたよりも乾燥に対する抵抗力がある」などというものが多い。地球温暖化によって困ったことが起きることを否定したい人たちが積極的に広めているようだ。その多くは、内容を読まずに、Eurekalertの副題に由来するひとことを信頼してそのままコピーし、前から自分が言いたかったことに結びつけているようだ。

3月15日、この件は、ブログ「RealClimate」でUp is Down, Brown is Greenという記事(その主要部分はSimon Lewis氏によるゲスト投稿)として扱われたが、そこにSamanta氏(と名のる人)がコメントをつけた(27番)。これが原論文の第1著者本人だとすると、著者たち自身が、「アマゾンの森林は、IPCC報告書がRowell and Moore (2000)を参照しながら言っているほどは、乾湿の変化に敏感でない」と考え、報道発表でそう述べたらしい。そうすると副題は著者の発言に由来することになる。しかし、「敏感でない」とまとめれば同じでも、Samantaほかの論文(その理屈が正しいとして)から言えるのは「乾燥でますます茂ることはない」ということであって、「乾燥で枯れることはない」ことを導くのは無理があると思う。[2010-07-17補足: 「葉がよく茂ると土壌水分を早く使ってしまうので枯れやすくなる」という因果関係がありうるが、この論文の内容からは飛躍がある。]

3月18日、アマゾンの森林を研究している生態学者Nepstad氏ほか(Lewis氏も含む)が連名で文書を出した。Scientists' statement on recent press release on Amazon susceptibility to reduction in rainfall: no Amazon rainforest "myths" has been debunked. [2010-07-17: これはNepstad氏の所属するWoods Hole Research Centerのウェブサイトにあったのだが、6月26日に見たところウェブサイトが再編成されて見つからなくなった。7月16日にボストン大学のMyneni氏のサイトで見つけたのでリンク先をそこに変更する。] PDFで4ページだが実質2ページの長さで、ボストン大学の報道発表の内容がまちがっていること、Samantaほかの論文がIPCC第4次報告書に記述された認識を大きく変えるものではないことなどを述べている。

これに対して3月19日、Samanta氏, Ganguly氏, Myneni氏の連名の返事があった Author's Response to "Scientists' statement on recent press release on Amazon susceptibility to reductions in rainfall: no Amazon rainforest "myths" have been debunked"

3月20日、Saleska氏がRealClimateにゲスト投稿し、Samantaほかの論文は理屈に無理があり、それによってSaleskaほかの論文の結論は否定されない、と述べている(Saleska Responds (green is green))。そのうちオンライン公開されているSamantaほかの論文の補足資料の表から引用された数値を見る限り、「Samantaほかの論文がSaleskaほかの結果を否定したとは言えない」というSaleska氏の主張はもっともに見える。

Saleska氏の主張が正しいとすると、報道発表だけでなく、Samantaほかの論文自体が、材料と方法から結論を導くのに無理があったことになる。これを確かめるためには、Saleskaほかの論文を読んだり、Samantaほかの論文の補足資料を本文と照らし合わせたりする必要がありそうだ。申しわけないが、わたしはこの件の調査にほかの仕事より優先させて時間をかける元気がない。

植生のリモートセンシングを専門の内とする人に読んでいただいて、およそ次のようなコメントをもらった。どちらの論文も太陽光の反射によるモニタリングであり、雲などのために植生の情報を代表しない画素も多いので、数量は必ずしも信頼できない。しかし、Samantaほかの論文のほうが、衛星データの改訂された版を使っているので、相対的には信頼できるのではないか。

わたしは、「アマゾンの森林はIPCC第4次報告書が言うほど乾燥に敏感でない」という主張が正しい可能性はあると思う。Myneni氏のグループはそれを裏づける材料を持っているのかもしれない。しかし、新しい論文の紹介にその論文から言えない主張を含めてしまうのは無理がある。

世の中が求めているものは、新しい論文の紹介よりもむしろ、その分野の知見のレビューなのだ。新しい論文で扱いきれなかった背景知識があるならば、新しい論文の紹介の部分とレビューの部分とを含む報道発表をすればよかったのではないだろうか。

この件を離れて一般論になるが、科学の話題をウェブサイトで紹介する人は、もとの論文を読んでほしい。ブログで言及するくらいのために論文を読めというのは現実的でないとしても、紹介記事全体と論文の要旨くらいは注意深く読んでからにしてほしいものだ。(それでも、論文の要旨に書かれたこと自体が正しくない可能性もあり、今回の件もそうかもしれないが、これは事後修正で対応するしかないだろう。) なお、科学論文を読む際にまず最初と最後の部分を読むのはふつうのことだが、1月28日の記事で述べた事情があるので、序論や議論(考察)の部分だけを取り出して議論の根拠に使うことは避けてほしい。