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2℃を越えると危険なのか

気候変動枠組み条約を結んだ国々は、「危険な気候変化」を避ける策をとることで合意した。しかし、危険な気候変化とは何かは、条約でも、それに関する議定書でも決められなかった。また、IPCCは、政策決定を拘束しないという立場から、危険な気候変化はどんなものかという問いに直接答えないことにしている。そのことはたとえば第4次評価報告書の統合報告書の要旨の5節(英語版、日本語版とも18ページ)に書かれている。

しかしここ数年、とくに西ヨーロッパで、全球平均地上気温が産業革命前に対して2℃高いレベルを危険かどうかのしきい値とする議論が当然のようにされることがある。

この数値は、客観的根拠がなく、主観的に決められたものだと思う。

しかし、次のことは、今では多く(すべてとは言っていないことに注意)の科学者が認めていると思う。温暖化がごく小さいうちは損得どちらが勝つかわからないが、温暖化がある程度以上に大きくなれば、温暖化が大きくなるほど人間社会にとって損失が大きくなる、という見通しだ。ただし、温暖化の大きさを仮にひとつの数量で表現できるとして「温暖化が大きい/小さい」と表現してしまった。

損失が温暖化の大きさの関数としてどういう形をしているかに関する認識は研究者によってまちまちだと思う。その関数の形がわかるとすれば、「危険なレベル」は、損失の大きさが社会が許すことができる限界に至る温暖化の大きさという形で定められるだろう。ところが、関数の形に関する知識が不確かなので、安全寄りに考える[注]必要があるかもしれない。また、もし温暖化の大きさがある値を越えるあたりで損失の大きさが急激にふえる見こみがあれば、それを危険なレベルと考えたいという考えが出てくるのももっともだ。

  • [注 (2021-01-19 追加)] この表現はどちら向きにもとれることに気づいた。言いたかったのは、被害を少なくしたいという観点から、「危険なレベル」が不確かさの幅をもって推定されるうちで温暖化の大きさが小さい側をとりあげる態度だった。

温暖化の大きさをひとつの数量に集約して考えることは重要な決断なのだが、その決断を前提とすれば、その数量として全球平均地上気温を採用するのはもっともだと思う。

その数値を2℃とする根拠となる研究として、わたしがあげられるのは次のひとつだけだ(同じ研究に基づく文献が複数あると思うが)。

Martin Parry, Nigel Arnell, Tony McMichael, Robert Nicholls, Pim Martens, Sari Kovats, Matthew Livermore, Cynthia Rosenzweig, Ana Iglesias & Gunther Fischer, 2001: Millions at risk: defining critical climate change threats and targets. Global Environmental Change, 11, 181 - 183. https://doi.org/10.1016/S0959-3780(01)00011-5
(この論文雑誌のPDFファイルは有料だが、この論文に限って、出版社のウェブサイトの別のところに制限なしで置かれていた。これは臨時かもしれない。 http://www.elsevier.com/framework_aboutus/pdfs/Millions_at_risk.pdf [2021-01-19 改訂] academia.edu にある。ダウンロードには academia へのログインが必要。https://www.academia.edu/11585464/Millions_at_Risk_Defining_Critical_Climate_Change_Threats_and_Targets )

これは、温暖化の悪影響をこうむる人口を、全球平均地上気温の関数として求めてみたもので、2℃ (基準は確認していないが、産業革命前だと思う)を越えると被害人口がずっと多くなるという結果になっている。ところが、それを影響の種類別に分けてみると、2℃付近で急激に多くなるのは、水資源が不足する人口だ。温暖化がここまで進むと中国・インドの都市部で水不足になる、という説明がつけられている。確かに、温暖化が進むと、雨が多いとき・ところでは洪水がふえて使える水はふえず、それ以外は蒸発がふえるわりに降水がふえなくて水不足になることがありそうだ。そして、影響を受ける人口が多いのは、東アジア・南アジアの人口密度の高い地域にちがいない。だから、この研究の言うことは、定性的にはもっともなのだ。

しかし、温暖化に伴う降水の変化は各地それぞれ違った形になるだろう。利用可能な水資源量はそれがさらに複雑な変換を経た結果だ。それが全球平均地上気温のきれいな関数になるとは思えない。Parryほかの論文の図では水不足人口が急にふえるところが全球平均地上気温偏差2℃前後に対応しているが、それはたまたまParryたちが使ったモデル計算でそうだっただけではないだろうか。

温暖化がむやみに大きくなると人間社会にとってまずいという意味で,「危険なレベル」は存在するのだと思う。しかし科学には、危険なレベルの数値そのものを示すことが原理的にできないだけでなく、損失の予測値を示すことによって危険なレベルの数値に関する価値判断の根拠を用意することもむずかしい。社会が何を「危険なレベル」とみなすかは、政治的判断で設定するべきものなのかもしれない。