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紙面・画面上で、数値が大きくなる向き、時間が新しくなる向き

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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地学の授業の教材をつくっていて、まえから気にかかっていた次のことを思い出した。時間を横軸にとったグラフがよく出てくるが、文献によって、時間が右に進むものと左に進むものがあって、どちらが標準ともいいきれないのだ。また、何かの南北方向の分布を、緯度を横軸にとった図にすることもよくあるが、これも、左を北にすることも右を北にすることもある。図を目で見て対比するためには、どちらかを裏がえす必要があるのだ。

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時間・空間だけでなく、数量を横軸にしめすとき、左と右のどちらが大きい数量なのか、という問題もある。数直線ならば、右に向かって大きくなるのがふつうだ。対数めもりでもそうだ。わたしは授業の教材として、対数めもりで10の整数乗だけしめしたものさしを、計算尺のように使おうと思った。松森(2007)の「数のものさし」「距離のものさし」がそれだと思った。ところが、松森さんのものさしは、左に向かって数量が大きくなるのだ。それは、めもりのあいだのます目に、数字を書く機能ももたせたからだ。数値を算用数字をつかって十進法で書くときには、左におかれる数字ほど大きい数量をあらわす。数字表現と数直線とで、数量が大きくなる向きが逆なのだ。【[2018-10-08 補足] このように逆になることは、偶然ではない。どちらも、横書きで左から右へ書き進めることを前提として、いくつもの数をならべるときには小さいほうから大きいほうに向かうようにならべるのが自然に感じられ、ひとつの数を十進法で書くときには大きいかたまりをさきに小さいかたまりをあとで書くのが自然に感じられるのだ。】

  • 松森 靖夫, 2007: 学びなおしの天文学 基礎編。恒星社厚生閣。[読書メモ]

数値を数字で書くときの向きがなぜこうなったかの由来は、ことばを文字で書くときに文字をならべる向きにあるにちがいない。話をそこまでひろげると散漫になるが、思いあたることを書きだしておく。

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文字を書く向きには、縦書きと横書きがある。縦ならば上からと下から、横ならば左からと右からがありうる。ただし、縦書きで下から上に書くのを標準にする言語は、あることはあるらしいが、現代の公用語となっているものはない。(個別の場面で、読み手に下のほうがさきに見える場合に、下から字を見せていくことはありうるが。) 横書きでは、左からと右からの両方がありうる。

縦書きのうち、漢字を使う言語での伝統的な文字の向きは、「右縦書き」で、文字を上から下にならべて構成した行を、(向かって)右から左にならべる。モンゴル文字 (現代のモンゴル国ではおもにキリルアルファベットを使うが、それよりも古くから使われていた文字)など、「左縦書き」の文字もある。

ラテン(ローマ)・ギリシャ・キリルのアルファベットの向きはいずれも「左横書き」で、文字を左から右にならべて構成した行を、上から下にならべる。アラビア文字、ヘブライ文字などは、「右横書き」だ。

日本語で、横書きをする場合の文字のならべかたは、西洋の影響を受けるまえは、右からがふつうだった。(ただし、1行が1字の縦書きと見るべき、という考えもある。) 現代では、左からがふつうになった。【こうなった原因としては、西洋の言語の直接の影響よりも、算数で算用数字の左横書きが採用されたことが重要だったと思う。】 例外的に右から書かれているのは、近代化するまえからの伝統を引き継ぐ場合(神社や寺にかかげられた額[がく]など)と、のりものの(進行方向に向いて)右側面に書く文字(すべてではない)だ (別記事 [2007-12-22「む読らか右」]に書いた)。

寺田寅彦の随筆に駅名を逆に読んだ話があったという記憶があった。その随筆は、全文が「青空文庫」に収録されたおかげで、ウェブ検索で見つかった。1933年に発表された「錯覚三題」という随筆に次のような形で出てくるのだ。(その文章中で重要な事例ではなさそうだが。)

東海道を居眠りして来た乗客が品川で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言った...

これは、1933年という時代が、駅名の横書き表示が右からと左からの両方がありえた、過渡期の状況にあったことを反映していると思う。なお、歴史的かなづかいが使われていた。

今では、のりものの側面を例外として、右から書いてあることはまずない。しかし、わたしは、あそびとして、わざと右から読んでみることがある。

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数字をならべる向きはどうか。算用数字は、大きい数量をあらわすけたのほうが、左にくる。(くわしくいうと、それが発明されたインドでは左、アラビアでは右、ヨーロッパでは左だ。「アラビア数字」という表現をするとまぎらわしい。) 漢数字は、伝統的には、縦書きであり、10進法の位取りではなく「十」「百」などを明示する表記だが、大きい数量をあらわすけたが上にくるような配置になる。

数を10進法であらわすとき、大きなまとまり(指数の値が大きい10のベキ)をさきに、小さなまとまりをあとにすることを前提として、あとは、文字を書く向きにしたがっているのだ。(数の言語表現のうちには、小さなまとまりがさきになることもある。たとえば英語の 13から19までがそうだ。しかし、そのようなものは例外としてとらえ、数字のならべかたは原則のほうにあわせていると考えればよいだろう。)

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平面上の位置に「座標」の数値を対応させる、(かつでの学校数学用語でいう)「解析幾何」で、直交直線座標をつかう場合の座標軸は、標準的には、横軸 (x) は左から右に数値がふえ、縦軸 (y) は下から上に数値がふえるようにとる。

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平面上の図に時間軸を表示するときの向きはどうか。時刻の値が過去から未来に向かってふえるという考えにもとづいて、一般の座標軸のかきかたを適用すれば、横ならば左が過去、右が未来となり、縦ならば下が過去、上が未来となる。

しかし、地学の論文や教材で使われる図がいつもそうとはかぎらない。とくに、過去だけをあつかう場合、時間軸が横ならば、右が過去になるような表現のほうが多いようだ。時刻を「今から何年まえ」ととらえて、過去が正の値になるような数値であらわし、それに一般の座標軸のかきかたを適用したと考えればよいのかもしれない。また、時間の原点を現在にとることが多く、グラフでは一般に原点が左端にあるほうが右端にあるよりも見慣れている、という事情もあるかもしれない。

時間軸が縦の場合、地層をあつかう人は、地層が下から上にたまっていくので、時間軸は下から上と考えやすい。これは結果として、時刻の値が未来に向かってふえるとし、一般の座標軸のかきかたを適用した場合と一致する。しかし、時間軸が上から下に向かうものも見かける。とくに、できごとをことばで表現してそれを時間順にならべた「年表」の性格をもった図表は上から下のことが多い。文書の本文を読んでいく向きが上から下なので、図表の時間軸もそれと同じほうがよいと考えるのかもしれない。

【第四紀の気候変動の解説 (増田・阿部, 1996) を書いたとき、いろいろな文献のグラフを集めた。座標軸の向きがまちまちだった。文献の著者が数値表をのせているものや、数値ファイルがネット上のサイトから提供されているものは、グラフをつくりなおすことができた。紙の図しかないものでも、有効なデータ点の個数が少ないものは、ディジタイザで点の位置をひろって作図しなおした。しかし点をひろいきれない複雑なグラフは、スキャナで読んでディジタル画像として裏がえしてプリントしたこともあった。】

  • 増田 耕一, 阿部 彩子, 1996: 第四紀の気候変動。『気候変動論』 ( 明正 ほか著, 岩波講座 地球惑星科学 11, 岩波書店), 103 -- 156.

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空間座標を表示するときの向きはどうか。

地図については、上を北、右を東にするという約束がある。(世界のうちの大きな部分を表示する場合には、このとおりにするのが不可能なこともあるが。)

地図以外のグラフでも、南北は、縦軸にする場合は、上が北がふつうで、これは地図にあわせたのだと思う。横軸にする場合は一定しない。数量の南北分布を緯度を横軸にして表示した図をあつめてくると、1980年代には、右が北、左が北、だいたい半々だった。いまは、右が北がやや多くなっていると思う。それはたぶん、緯度を南北とおして表示するとき、北緯を正、南緯を負とすることがふつうになり、あとは一般の座標軸の原則にしたがっているのだと思う。

東西は、横軸にする場合は、右が東がふつうで、これも地図にあわせたのだと思う。縦軸にする場合は一定しない。(気象の文献に関するかぎり、東西を縦軸にすること自体が少ないようだ。たとえば東西と時間の2軸上の分布図ならば、時間を縦、東西を横にとっていることが多い。)