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日本地球惑星科学連合2013 U-06 地球科学者の社会的責任

2013年5月19日から24日まで、日本地球惑星科学連合の大会が、幕張で開かれた。その最後の24日に、「地球科学者の社会的責任」というセッションがあった。そのプログラムはhttp://www2.jpgu.org/meeting/2013/session/U-06.htmlのページにあり、そこには各講演者の予稿のPDFへのリンクもある。

セッションの最初の呼びかけ人からの説明によれば、これは初めから「地球科学者の社会的責任」という主題で企画されたものではない。3つの別々のセッション提案を、大会プログラム編成の過程でまとめたものだ。

第1部は、連合の「地球人間圏科学」の部門として、東日本大震災を経験して、これから災害を減らすために、科学(社会科学・理学・工学を含む)がやるべきことを考えようという趣旨の企画だった。(それがよいかどうかは別として、現状で)「地球人間圏科学」の名のもとに集まる人々は、(昼休みに同じ会場だが別の企画の学生向け講演で話した近藤昭彦さんの説明にあったように)「地理学」の学者集団と大きく重なっている。(第1部の呼びかけ人はいずれも地理学者だった(他の顔も持つ人もいるが)。講演者にはそうでない人も含まれていた。)

第2部は「原子力発電所に関わる科学アセスメントと地球科学的知見」を主題としていた。とくに、原子力発電所の設置を決める際の耐震安全性の評価への地球科学者のかかわりかたが問題になる。このブログの[2012年11月10日の記事]でとりあげた活断層の評価の問題はその重要な部分だが全部ではない。

第3部は、イタリアのラクイラ地震のいわゆる「安全宣言」を出した行政官だけでなくそこに知見を提供した科学者が刑事裁判で一審有罪になった件(このブログでは何度かとりあげたがそのうち最新は[2012年12月10日の記事])をきっかけとして、不確実性をもつ予測しかできないとき防災情報の発信に科学者はどうかかわるべきかという問題を扱った。

3つの部分にまたがった調整は、時間のやりくりと、複数の部分に関係のある講演者をどちらに入れるか、ぐらいだったと思われる。それぞれ本業で忙しい研究者が企画するものであり、また公開講演会ではない一般セッションなので、このようなまとまりのなさはふつうだと思う。また、時間のほとんどを講演にあて、総合討論の時間をとらないというプログラム編成は、その場での議論よりも、それ以後の議論のたねを提供することを重視するということなのだろう。

当日のtwitterでの発言のうち、わたしが気づいたものをhttp://togetter.com/li/508039 にまとめた。わたし自身は会合中にはtwitterで発言しなかったが、そのあと、togetterへのコメントをいくつか書いた。(それと同じことをここにも書くが、重複をお許しいただきたい。)

わたしなりに、あと知恵で考えてみると、この内容は次のように再構成したほうがよかったと思う。

まず、科学者の社会的役割のうち、第3部の平川秀幸さんの講演で中心的に述べられていた、政策決定や行政の意思決定に対する助言に注目する。第2部、第3部の大部分の話題はそれに含まれる。

第2部の講演と、第1部に含まれていた渡辺満久さんの講演を含めて、原子力発電所の設置や運転許可に対する地球科学的助言を考える。原子力特有の問題はあまりないので、広く人工構造物の建設に関する政策的判断への助言ととらえたほうがよいかもしれない。

人工構造物と断層の関係の件では、構造物の直下にある断層が動くことによる「ずれ」の危険と、必ずしも直下ではない断層が動いて地震波が来ることによる「ゆれ」の危険の区別が重要だ。(これは言われてみればあたりまえなのだが、報道で話題になるときは一方だけがとりあげられることが多く、聞いた人が他方の話題と混同して議論を進めてしまうことが多いと思う。)

第3部の平川さん以外の講演と、第1部に含まれていた小山真人さんの火山防災に関する講演を含めて、地震や火山噴火の被害を減らすために、不確実性を含む予測型の情報をどのように提供するかを考える。ラクイラの事例を考える上では、纐纈さんの講演で示されていた、被告それぞれの役割を示す図(共著者の大木さんのウェブサイトのhttp://raytheory.jp/2012/10/201210_laquila1/にあるのと同じ)を平川秀幸さんが示した科学者と政策決定者との役割と関連づけて考えるべきだったと思う。

ラクイララドンによる地震予知を試みていた科学者の件は、時間不足で議論からはずされたのだが、諮問委員会委員(行政への助言者)の立場でとるべき行動を考えるうえで、ラドンによる予測の科学的評価と、その研究者の予知と言われる言動がどんなものでありどういう影響を及ぼしたのかの評価が欠かせないと思う。また、科学者の役割りに関する議論が、(今回に限らず昨年12月のAGUのセッションでも)諮問委員になった場合を想定したものに限られてしまったように思うが、ラドン研究者の立場になった場合、あるいはラドン研究者の主張に必ずしも同意しない同僚の立場になった場合も考えてみるべきだと思う。

この日の地震・火山防災の話題の中心は避難のための情報提供だったと思うのだが、第1部の田中茂信さんの防御施設の有効性の話も、別の枝として関係してくる。

第1部の岩船昌起さんによる仮設住宅での人の生活に関する研究は、災害後の政策への助言の基礎となる科学と言えるだろう。その他の話題も、政策への助言にかかわりうると思うのだが、地球科学者の社会的役割は、政策への助言とそれを意図する研究だけではないと思う。

第2部で池田安隆さんが、自分のめざすところは、実学的自然災害研究よりも、「虚学」ともいえる理学であり、人類と自然災害のかかわりを過去から現在にわたってグローバルに探求することだ、という発言をしていた。これは第2部の文脈では学者のわがままに聞こえたかもしれない。しかし、地球科学者の社会への貢献として、人間の歴史よりも長い時間の展望をもつことの意義は大きいと思う。

第1部の小嶋稔さんの、いわゆる天然原子炉の知識を背景とした、事故で溶融した核燃料の再臨界の可能性に関する考察は、まさにその例といえるだろう。

平川一臣さんは、東北・北海道太平洋岸の多数の地点で、過去数千年の堆積物の中に津波の証拠を見つけ、火山噴出物による対比や炭素14によって年代を調べた。津波事象の出現の露頭による違いから、震源域と津波の規模の見当をつけることができる。まだ未知のことも多いが、少なくとも、1地点だけの記録から周期性を想定するよりはだいぶ不確かさが少なくなったと言えると思う。

佐藤努さんは、福島原子力事故で生じた汚染物の処理・処分に関する課題を述べた。

2013年3月、日本原子力学会 放射性廃棄物の処理・処分 特別専門委員会の報告書がウェブに出ている(http://www.aesj.or.jp/special/senmon.htmlの先にPDFがある)。放射性セシウムについて言えば、環境に出たのが2から5%、汚染水浄化システムの吸着剤にとりこまれたのが約35%、あとは炉内の燃料に残っていると見られるとのことだ。放射性物質放射線だけでなく熱を出し、またセシウムは水と反応して水素を出すので扱いがむずかしい。

環境中の放射性物質の動態については、恩田裕一さんを代表とする科研費プロジェクトISET-Rなどによって研究されている。セシウムは粘土鉱物にとりこまれやすく、耕されていない農地では表面から5cmくらいまでに集中していることがわかってきている。

土壌などの除染は、徐々に、仮置き場について住民の合意が得られたところから始まっている。

これから原子力利用を続けるか放棄するかにかかわらず、われわれは次世代に負の遺産を引き継ぐことになってしまった。世代間の公平に近づくように、問題解決に向けて考えよう、と佐藤さんは訴えていた。

原 慶太郎さんは、沿岸域の植生に対する津波の影響と、そのあとの復旧・復興事業が与えている影響について述べた。人間社会の機能を回復しようとする事業が、生き物には第2の危機を与えていることがある。生態系サービスの持続性という視点が必要だ。

第2部か第3部のどこかの質疑の中で、「社会的責任を果たせない科学分野は、研究費が得られないなどの形でむくいを受ける」という趣旨の話があった。原子力工学が人気を失ったのはその例かもしれないが、佐藤さんの話にあったように、原子力工学の知見は廃炉の処置のために必要なのだ。人のあやまちに対して懲罰的になるのはよいとしても、学問分野に対する政策は、懲罰的な態度ではなく、知見や人材をどう再利用するかという態度をもつ必要があるだろう。

このセッションとは別の学生向け講演という位置づけだが、昼休みに同じ会場で、近藤昭彦さんの「地球人間圏科学における問題の理解と解決 -- 福島からの報告」という話があった。

近藤さんは環境中の放射性物質の動きを詳しく調べる科学技術戦略推進費プロジェクトFWMSE http://fmwse.suiri.tsukuba.ac.jp/科研費プロジェクトISET-Rのメンバーでもある。しかし、その話題はこの日の講演では実質省略された。これも純粋科学というよりは社会のための科学であるはずだが、調査を行なった現地を直接助けるというよりは、福島に限らず世界各地での行政への助言となる普遍的知見を得ることが中心なのだろう。

近藤さんの話の中心は、千葉大学が震災以前からつきあいのあった、川俣町山木屋地区の復興支援活動だった。その中で、放射能対策を助けるために、行政の調査より細かい線量分布図を歩いて移動観測することによって作ったり、ヘリコプターに多波長センサーを積んで植生分布図を作ったりしている。

すべての地域に同様に科学者がかかわれるわけではないのだが、このような直接の地域への貢献も、行政への助言とならんで、科学者の社会的役割として考えていくべきことなのだろうと思う。