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もっと 米 (こめ) の 麺 (めん) を、もっと たんぱく源としての米を

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、ひとりの社会人として、意見を書いたものです。地球温暖化の影響のみとおしのところだけ、専門家として見解をのべています。農業や食品衛生については専門外の者として書いています。】

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日本語で「主食」というと、米 (こめ) の飯、あるいは、パン、麺をさすことが多い。わたしは自分からはこの用語をつかいたくない。しかし、人の食べもののうちで、エネルギー (いわゆるカロリー) を得るための食べものが重要な群のひとつであり、おもなエネルギー源は糖類と脂肪であり、多くの人が糖類のうちの でんぷん (アミロースとアミロペクチン) を主成分とするものを多く食べていることは、たしかな事実であり、それにあてはまる食料群に注目することは有意義だと思う。

日本では、近世 (江戸時代) から近代にかけて、実際にみんなが米の飯をたべられたとはかぎらなかったが、米が食料の基本とされ、米の流通は政策のなかで重視されてきた。

第2次世界大戦の直後には食料不足があり、その後しばらくは、米の生産をふやす政策がとられた。しかし、国民がこのんで食べる「主食」のうちで小麦を主原料とするパン類や麺類のわりあいがふえ、米はあまりぎみになってしまった。

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ウクライナでの戦争で、世界の小麦供給が不足ぎみになっている。さらに、地球温暖化が進行すると、地中海・黒海周辺や北アメリカ西部など、大陸上の小麦がつくられている地帯のうちには、水不足で収量がへるところがでてくるだろう。われわれは、食料を外国の小麦にたよりすぎてはいけないと思う。

米のほうも、地球温暖化にともなう減産の心配はある。アジアの大規模な米作地帯は海抜標高の低いデルタ (三角州) 地帯でもあるから、温暖化にともなう海面上昇によって米がつくれなくなるところもあるだろう。また、日本の米の生産が温暖化でどう変わるか予測型のシミュレーションをすると、日本の南西部では温度上昇にともなって米の収量はへる見こみになっている。しかし、その予測計算は現在つくられている品種をつくりつづけることを想定したものだ。イネはもともと熱帯の植物だから、いまよりもいくらか高い温度に適応できる品種は見つかるだろうと思う。他方、日本のうちでも冬に積雪に覆われない地方では、伝統的には「裏作」として麦類がつくられていた。しかし、第2次大戦後の農地整備で、水田としての給水・排水だけが想定されて、裏作には適さなくなった農地が多いと思う。日本の人びとの食料源としては、米のほうが麦よりも期待できると思う。

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1970年代ごろからインスタント食品としていちばんひろまったのはインスタントラーメンのたぐい (「カップヌードル」のたぐいをふくむ) だ。また、都市部では深夜までひらいている手軽な外食店も「ラーメン屋」が多い。現代の日本で「主食」としての米の消費がへったぶんは、おもに小麦の麺にむかっただろう。

アジアには米でできた麺類がある。(ここでは「麺」ということばを「小麦粉」という意味ではなく、穀物を原料とした細長い食べものをさしてつかうことにする。) ベトナムのフォーや、タイのクイティアオ (そのうち太さが中くらいのものがセンレック) などだ。わたしはそういうものを、2000年ごろ以後に東南アジアに行ったときに知り日本でもベトナム料理やタイ料理の店で食べるようになった。そこで逆に、日本の食材に米の麺がないことをふしぎに思った。「ビーフン」 (語源はあきらかに「米粉」、台湾で聞かれる閩南語では「米」の字の音は bi なのだ) はまえからあったが、日本料理ではなく台湾ふうあるいは中華ふうの食材とされていたと思う。

ちかごろ日本のスーパーマーケットでは、ラーメンや焼きそば用の小麦の麺ならば なま麺を売っているし、うどんやそうめんの乾麺も売っている。しかし、日本産の米の麺は、地方物産展などでたまに見るだけだ。ベトナム産やタイ産の乾麺ならば、輸入食材の店で買うことができる。つなぎとしてタピオカでんぷんがつかわれているせいか、乾麺は日本のうどんなどよりずっとかたい。

わたしは、ベトナムのフォーの乾麺を買ってきて、ゆでて、日本のそうめんや、中華ふうの焼きそばの味つけで食べてみた。食感は麦の麺とおなじではないが、わたしとしては、これからずっと米の麺にきりかえることになってもかまわないと思った。ただし、日本の米があるのに外国産の乾麺を買うのは気がひけるところがある。日本でもっと米の麺が生産・流通されるようになるとよいと思う。そして、麺むきの品種が開発・栽培されるようになるとよいと思う。

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ところで、最近、米から人工肉をつくる技術が開発された、というニュースを見た。もうすこしくわしくいうと、米ぬか油をとったあとの「脱脂米ぬか」を原料とするそうだ。わたしは、この技術による製品が、食品安全や、環境保全の観点で、よいものかどうか、まだ判断できない。そして、動物の肉の代用品をつくることを、あまり積極的に奨励したくない。しかし、米を、でんぷんを食べるためだけでなく、たんぱく質を食べるための資源としても活用することは、積極的にすすめたいと思う。

現代日本では、たんぱく質は肉や魚からとり、米は白米の飯として食べることを前提として、コシヒカリをはじめとする、胚乳にたんぱく質がすくない (純粋なでんぷんに近い) 品種がこのまれる傾向がつづいてきた。それを変えることは簡単ではないだろう。しかしそれと並列に、たんぱく質をも米からとることをめざした、米の品種や加工方法の開発もされるべきだと思う。上にのべた米の麺も、たんぱく分が多いものがこのまれるかもしれない。

米からたんぱく質を得ようとすれば、玄米の形のままつかうにせよ、「ぬか」を白米と別に加工するにせよ、胚芽の部分も食べることになるだろう。1960年代、わたしの親の世代の人たちが、米の胚芽を食べるのをさけようとしていたのを思い出す。胚芽には有害物が濃縮しがちだから、という理由だった。有害物としては、カドミウムや水銀などの重金属が話題になったこともあったし、有機リン剤などの合成農薬が話題になったこともあった。実際に危険だったかどうかは知らない。おそらくいまならば安全性評価ができると思う。わたしは胚芽を積極的に食べようと言いたいのだが、そのまえに安全性がたしかになっていてほしい。