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「#専門家が選ぶ新書3冊」をめぐって

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

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2021年2月9日に、Twitter 上で、「#専門家が選ぶ新書3冊」という「ハッシュタグ」による投稿のよびかけがあった。そのまとめが Togetter の https://togetter.com/li/1665573 にある。

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発端は、専門外のことに口をだすしろうとに、その分野の専門家が、新書本ぐらい読んでから発言せよ、と言ったことだったと思う。それは、その話題の新書本ならばなんでもよいという意味ではありえない。基礎知識を得るのに適した新書本を具体的に例示したはずだ。そこですすめられる本は、大学の教員が大学初級の学生にすすめる本ともかさなってくる。

ここから、(よびかけに賛同した時点の) わたしなりに、趣旨を構成してみる。

大学では学生が論文や学術書を読めるように教育するべきだ、というのは正論だが、それは、教員が材料を指定して精読するかたちをとる必要があるだろう。(さらに、専門にすすむならば、多数の論文を速読することも必要になるだろうが、それは上級の課題だろう。)

また、学生が専攻する専門の基礎教育としては、授業で教科書をつかわないとしても、教科書的な本を読むことをすすめるべきだと思う。

それ以外に、学生に自発的に文章を読んでほしい。つぎの2種類の意義がある。

  • 1 授業であつかう学問分野の背景知識をもつ
  • 2 大量の文章を読む習慣をつける (精読ではなく速読が重点)

それには、学生にとって手にはいりやすい本をすすめる必要がある。図書館にあっても、たいてい複本はなくて、だれかが借りているとほかの人は借りられないから、買うことをすすめることになり、ねだんが安い本でないとすすめにくい。安い本はあるが、玉石混交だ。本を読みなれていない学生に自由にえらばせると、1の意味では、まちがった知識を身につけてしまうおそれがあるし、2の意味でも、議論のくみたてが論理にかなっていない本など、すすめられないものもある。教員側から例をあげる必要があるだろう。(読む習慣ができたら自発性にまかせてもよいだろう。)

この文脈で新書本が出てくるのだ。

ここでえらばれる本は、大学教育以外の文脈でも意義がある。自分の専門とは別の専門分野(Xとする)の初歩的知識をもちたい人にとって、Xの分野の専門家がすすめる本は参考になるだろう。

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わたしは、1節で紹介したよびかけに、地学概論のうちの大気・水圏の部を地学専攻でない学生におしえる専門家として答えた。ツイートにはURLリンクをつけなかったのだが、ここではそれぞれの本についてのわたしのメモへのリンクをつけておく。

MASUDA Kooiti @masuda_ko_1
2月9日
#専門家が選ぶ新書3冊
専門の中だと新書本がすくないので、総論的なものをふくめて。
中谷宇吉郎 (1962) 『科学の方法』岩波新書 [読書メモ]
朝永振一郎 (1979)『物理学とは何だろうか』岩波新書 上下2冊ですが、しぼるならば上巻。[読書ノート]
保坂直紀 (2003) 『謎解き 海洋と大気の物理』講談社ブルーバックス [読書メモ]

いずれも、判形は「新書判」だが、「新しい本」ではない。1, 2 は、いわば現代の古典だ。3も、これからもっとよい本が出れば入れかわるかもしれないが、準古典だ。

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新書本とはどんなものか。そして、なぜ、新書本の中から本をすすめる話になったのか。

日本の出版形態で、横はA6、縦はB6なみの判のペーパーバックは、シリーズ名が「新書」のことが多い。A6のペーパーバックは「文庫」のことが多い。シリーズ名と判形が対応しないこともあるが、ここでは判形を優先して見ることにする。文庫・新書よりも大きな判形の本をひとまず「単行本」と総称しておく。

現在、小さな小売書店では、文庫・新書だけが常備されていて、単行本は新刊であらわれるがすぐ入れかわってしまうことが多い。そこで、大きな書店が近くにない学生にとって手にいれやすい本は文庫・新書になる。

また、ねだんの問題もある。日本では、1990年ごろから、所得がふえていない。外国ではふえている。したがって、日本の物価は、材料などが外国に由来するぶんだけあがっている。日本にすむ人の家計は (大局的に)、実質購買力がさがっている。だから、むかしはすすめられた本が、いまは学生にとって高すぎるということがおきる。ねだんの安い本でないと、買って読めとはいいにくい。

文庫本の内容はおもに文芸と学術古典で、いったん単行本で出た本の再版のことが多い。学術的主題の入門的解説の本は新書になることが多い。(しかし新書の大部分が学術的主題の入門的解説だというわけではない。)

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ここですすめたい本は、学術知識の体系に慣れていくことを助けるような本だ。かならずしも「なになに学入門」ではなく、「なになに学」全体からみれば個別的な主題をあつかう。書きかたも、体系的とはかぎらず、探索的でも、問答型でもよい。しかし、気まぐれな随筆の本や著者独自の主張の本ではない (新書本にはそのようなものも多い)。他方、きっちりした教科書でもない。

(きっちりした教科書も読んでほしいのだが、それは、この記事の話題の外としておく。)

わたしの専門分野は、新書本にかぎると、講談社ブルーバックスでカバーされる部分もあるが、どの新書シリーズでもカバーされていない部分もある。

理科、とくに地学の話題には、図解が必要だし、数式が必要なこともあるから、紙面の狭い新書判ではやりにくい、という事情もある。

いきがかり上 新書本で考えはじめたけれど、提案の趣旨を生かすには、新書判にこだわらず、入門的解説をふくみ、安く買える本をすすめたほうがよいだろう。(小さい本屋の店頭にはあまり置かれておらず、買うには注文するか大きい本屋に行く必要がある、という問題はあるけれど。)

B6判程度の判形のペーパーバックによいものがある。「選書」「叢書」などのシリーズになっていることもある。わたしの授業の教材でときどきあげるものとしては、

  • ベレ出版 (その出版社のだす大部分の本がそうで、シリーズ名はない)
  • 化学同人 (DOJIN選書)
  • 技術評論社 (「知りたいサイエンス」や、シリーズ名のないもの)
  • 成山堂書店 (気象ブックス)

などの出版社のものがある。

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Twitter上でのこの「ハッシュタグ」の投稿群に関する話題は、ジェンダーあるいは性別の問題がおもになってしまった。

「#専門家が選ぶ新書3冊」であげられた新書本の著者をかぞえてみると、女性が 1割程度しかいなかった (数値のだしかたに疑問はあるけれども、性別による偏りがあることはまちがいない)。そのようなリストを出すことは、女性差別を容認・強化するものだ、という趣旨の批判があった。

推薦者の意識に男の著者の本をえらぶ偏りがなかったか、という問いが生じた。それがなかったとは言いきれないけれど、リストの偏りの主要な原因ではない。大きな問題は、現実世界の日本語圏に、女性である著者が書いた新書本がすくないことなのだ。それでも、男の著者が多いリストを積極的に見せることは、差別強化に働くから、やめるべきだ、という意見はありうる。わたしは、リストはそのままで、批判の発言もあわせて示す、という現在のまとめの形でよいと思う。

【140字で言いっぱなしのTwitterという情報媒体の上でのやりとりだったせいで、感情的対立が(わたしからみて、必要以上に) 高まってしまったと思う。】

ただし、「新書」「3冊」というしばりによって かたよりが大きくなった面もある。入門的解説の本にひろげれば、女性の著者の本の比率をふやすことができる分野もある (できない分野もある)。

それにしても、同じ分野の入門解説書のなかからえらぶばあいに、判断基準として、主題や、論述の構成 よりも著者の性別を優先させることは、上の2節にあげた目的1ならば、不適切だと思う。(目的2ならば適切かもしれない。)

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いわれてみて、自分があげた3冊の著者も男ばかりだったことを反省した。

また、新書にかぎらないが、自分が授業ですすめている本のリストで、著者名をみると、著者が女性である本は、1わり以下ぐらいしかない。

これはまずい事態だと思う。しかし、わたしがどの本をリストにとりあげるかで なおせるものではない。まずい事態は、日本語圏に女性の著者による入門解説書がすくないことなのだ。

新書本一般ならば、著者が女性のものはめずらしくない。しかし、学術的主題への入門的解説をふくむ新書本にしぼって、さらに著者が女性としぼると、多くの分野で、適切な本が出てこないだろう。

わたしの授業の関連の分野にかぎると、女性の著者による本がそもそもないか、あっても、題材や構成の面で、わたしが学生にすすめたいものからずれていると感じるばあいが多い。おそらく、理科系分野に共通する状況だ (そのうち生物系は比較的には女性が多いが)。

現役の研究者のうちの女の人のわりあいは、新書本のうちのわりあいよりはだいぶ多い。これから、女の人にもっと本を書いてもらうことは有意義だと思う。ただし、一般向けの本を書くことと、専門の研究成果を出すことには得意不得意があるし、大学教員ならば大学の業務がある。数すくない女性常勤教員は、すくないからこそ女性代表として呼び出される頻度が高くて多忙になっているという構造的問題もある。それにくわえて (ここは日本社会にねづよいジェンダー問題で) 女性は家庭の負担が多くなりがちだ。ただでさえ忙しい人に、さらに働くように要求したら、無理が生じるだろう。

複数の人のチームで本をつくるならば、メンバーを男女混成にすることは可能だし、すすめるべきだろう。ただし、分担執筆の本は (それだからよいこともあるのだけれど) ひとりの著者がすじをとおして書いた本のかわりにならない。

おそらく、専門家に材料を提供してもらって、専門の用語と一般の用語をこころえた著述業の人が書く、という形の、対等で きちんとかみあった共著がふえるとよいのだろう。そのとき、両方あるいは一方が女性であることがふえることがのぞましいし、たぶんそうなると思う。

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わたしは、yuku kawa というブログ ( http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa ) に、2009年以来、読書メモを書いている。

専門と関係ない個人的関心で読んだものも多い。すすめられないと判断し、そのことを明示するために記事にした本もある。しかし、授業ですすめた本や、その候補に考えた本の大部分はふくめている。

わたしには、(この読書ブログをはじめたころから) 本を読みはじめるとき、著者が女性かどうかを気にかける習慣ができている。(その理由は無意識になっているが、意識にだしてみると、女性の著者がすくないことを不満に感じ、もっとふえてほしいと思っているからなのだと思う。) しかし、本の内容を読んでいるときは、(著者個人の経験がかたられているところを別とすれば) 著者の性別を気にかけていない。

わたしは、著者の性別を、まず、名まえから推測し、英語の本ならば、著者紹介で he か she かを見る。顔写真を見て推測することもある。(本か、本のウェブサイトに写真がのっていればそれを見るし、著者が大学教員などのばあいはその職場のウェブサイトをさがすこともある。) それで、読書メモのブログ記事にあげた著者についてはだいたい推測できている。(名まえや顔からの推測が正確とはかぎらないことは承知している。個別の本ではなく本の集団についての、誤差のある推定としてならばつかえると思っている。)

複数著者の本が多く、著者の数が多いときは全部を記録していないこともあるので、ひとまず、統計はとらず、目分量でのべてみる。著者のうち女性は1わり程度。男性が7わり、団体著作が2わりぐらいだ。(ここでは翻訳者はかぞえていない。翻訳者はおおまかに男女半々だ。)

わたしが本を読むとき、あるいは読書メモ記事をブログに出すときの判断で、女性著者がすくなめになったことはないと思う。多めになったことはありうるが、それは、名まえを知っている女性の著者の著書をすこし積極的にひろっただけで、大きなわりあいではないと思う。世の中に、わたしが読みたくなる分野の、女性の著者による本が、すくないのだ。

【実は、わたしの読書メモでは、表紙や奥付に出ていなくても、本の文章を書いたと記述されている人を、著者あつかいした例がいくつかある。また、執筆の補助者とされていたので著者あつかいしなかったが、もしかすると共著者にあげるべきかもしれないと思った例もあった。 (それはいずれも女性だった。この職種にはジェンダー不平等が生じていると思う。) 学術論文ならば、学術的内容に貢献せず、文章の形をととのえることに貢献した人は、著者にふくめるべきではないだろう。しかし、一般向けの本では、読者にわかるように書くことも重要なスキルなので、著者にふくめたほうがよいばあいが多くなると思う。学術的書物ではどうするか、きりわけのむずかしい問題だ。なお、本文よりもむしろ図が重要な本があるが、わたしは読書メモで、図をつくった人を著者に準じてしめすことはできていない。(読書メモの本文で名まえをあげることはときたまあるが、一貫してやってはいない。) これも、業績評価に関連して、むずかしい問題だと思う。】

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読書メモのリストを見ていて、女性の著者が多い部類があると思った。英語圏の科学読みもの (科学史読みものをふくむ) の本だ。日本語訳でみつけたものも、英語版でみつけたがその後に日本語版も出たものもある。英語圏にはもっとあるだろう。

著者は、もの書き専業のばあいもあるし、大学教員のばあいも、雑誌などの記者のばあいもあるが、本を書くことを本業のうちとみとめられているようだ。男の人もいるのだが、女の人のほうが多いように感じられる (ただし定量的な確認はしていない)。女のしごとと思われがちな職業なのだろうか?

英語圏 (英語でかかれた本が読まれる世界という意味だが、出版産業の状況から、発信地はおもにアメリカ合衆国とイギリスである) と日本語圏のちがいは、たぶんジェンダー問題ではなくて、「科学読みものの本の著者」という職業がなりたつかどうかのちがいだと思う。英語ならば、潜在的読者人口が多いから、このしごとで食える可能性がある。日本語は読者人口が (世界の言語のうちでは多いほうなのだが、英語よりは) すくないから、なりたちにくい。そのうえ、科学雑誌が減ってしまったので、まず雑誌に連載してから本にするとか、雑誌の細かい記事でかせぎながら並行して時間のかかる本のしごともする、というやりかたもむずかしくなった。

わたしが学生にすすめる本としては、この種類の本には、むずかしいところがある。英語圏で売れて日本語訳が出るような読みものは (文芸的にすぐれていると評価されて生き残ったのだと思うが)、いずれも、厚く (たとえばB6判500ページ)、しかし、学問体系にそった構成ではないことが多い。(アメリカの大学教科書はもっと厚いことが多いが、こちらは学問体系を意識した構成になっている。) わたしからみると、すでに多読ができる学生がさらに多読する材料としてはすすめられるのだが、まだ多読に慣れていない人にすすめる本にはならない。判形にこだわらないとしても、ここでいう「新書本」のかわりにならないのだ。

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英語圏では日本の新書相当の分量の入門書もあると思うが、思いあたるのは、Oxford University Press の Very Short Introduction のシリーズだ。このうちいくつかは、日本語版が丸善出版の「サイエンス パレット」で出ていて、ここでいう「新書本」にふくめてよいだろう。

Yale University Press の「Little History」シリーズは、日本語版が すばる舎 から「若い読者のための ... 史」として (判形でわければ単行本として) 出ている。

そのほか、新書相当の分量の入門書があるならば、その日本語版を出すとよいかもしれない。ただし、その具体的な例をすぐには思いつかない。ときどき amazon.com の新刊をキーワード検索してみた印象では、アメリカで出版された、わたしの専門に近い分野の入門書は、厚いものか、子どもむけらしいものが多い。(子どもむけらしいものは、著者の名まえが女性らしいものが多い。ここにもジェンダー現象がある。) 子どもむけとされていても、学問的知識をふまえていて、おとなの読者にもおもしろい本ならばよいのだが、単価が (いまの日本語圏の感覚でみると) 高めなので、ためしに買ってみる気になれないでいる。