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雲量

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】

【この記事は、気象学の専門家のたちばからの解説として書いています。それならば知っているべきなのに知識があやふやなことがあることに気づきましたが、そこの正確を期するよりもさきに、まず、おおまかな理解にもとづく説明をだしておくことにしました。】

理解していただきたい要点の第1は第2節の、「雲量は面積比である」という考えかたです。第2は第5節の、地上観測の雲量は、頻度分布が正規分布とだいぶちがい、統計的にあつかいにくい量であることです。

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雲量[うんりょう]は、主要な気象要素のひとつで、数量だ。英語での代表的な表現は「cloud amount」だ。「cloud cover」や「cloudiness」は、数量をあらわすとはかぎらないが、もし数量をあらわすならば、たいていこれと同じ「雲量」をさしている。

雲量は雲の量だ、という理解は、ごくおおまかな意味では、まちがっていない。しかし、「量」といえば、質量(mass)か、体積(volume)か、と思うが、雲量は雲の質量でも雲の体積でもない。「amount」といえば、現代の物理・化学では「amount of substance」(物質量、いわゆるモル数、分子数をアヴォガドロ定数でわったもの)がでてくる。しかし雲粒[くもつぶ]の個数をアヴォガドロ数のなん倍とはかぞえないし、雲を水分子のモル数で論じることもないだろう。

雲の形で水がどれだけあるかについては、「雲水量」[くもみずりょう]という学術用語が「雲量」とは別にある。これについてはあとの第8節で説明する。

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ちかごろ、わたしは、「雲量」とは「地表面積のうち、雲でおおわれた面積のわりあい」である、と言うことがおおい。

わりあいなので、原則としては、無次元で、0と1の間の値をとる (たとえば「0.6」)。しかし、実際の数値は「10分の6」とか「60 %」とかいう形でしめされることもおおい。

雲という物体は明確な境界面をもたないが、なんらかの定義によって雲の内外をきめる。(たとえば、空気の体積あたりの雲水量が ある しきい値以上のところを雲とする)。そして、地表面から鉛直の線をたくさん均一にたてたとすると、雲にぶつかる線、ぶつからない線がある。ぶつかるものの わりあい が雲量だといえる。大気全層についてこのように考えた雲量を「全雲量」ともいう。(雲のほとんどは対流圏にあるので、対流圏全層について考えても、ほとんど同じである。)

大気を層にわけて、それぞれの気層中の雲量を考えることもある。対流圏を3つにわけて「上層」「中層」「下層」の雲量とすることがおおい。

全雲量 ≦ 上層雲量 + 中層雲量 + 下層雲量

という関係がある。(雲がかさなりあうことがあるので、この不等号のところは、等号とはかぎらない。)

ただし、「雲量」といえばだいたいこの意味になったのは、気象衛星観測で得られた雲量や、数値天気予報モデル・気候モデルで計算された雲量が、ふつうにつかわれるようになってからのことだと思う。だいたい1990年代のあいだに、代表的な意味がいれかわったのだ。

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もともと、雲量とは、人が地上から見て、空のうちどれだけが雲におおわれていたかをさしていた。今でもこの意味は有効ではある。

国際的な地上気象観測データ交換の約束ごとでは、cloud cover として、全天を 8 としてそのうち雲がしめるわりあいをしめしてきた。(この方式を「okta」という)。しかし、日本の気象庁の方式では、全天を 10 としてそのうちのわりあいを雲量といい、0から10の整数でしめす。【「okta」のよこならびで考えると、この方式は「deka」になると思うが、そういうよびかたを聞いたことはない。】

1地点からの目視でも、雲の形や動きをも観測すれば、雲のおよその高さがわかるので、上層雲量、中層雲量、下層雲量をそれぞれもとめる観測がされることもある。

上に、仮に「空のうちどれだけ」という表現をしたが、これは雲量の定義としてはあいまいだ。

近代的気象観測がはじまっても、早いうちは、人が空を見上げて雲量をみつもっていたはずだ。しかし、わたしは、1970-80年代ごろ現在の話として、魚眼レンズをつかっているときいたおぼえがある。いずれにしても、すなおに「全天のうちのわりあい」といえば、見かけの天球の上半球の球面のうちで雲におおわれた面積のわりあい、つまり、水平面から上の立体角 2πステラジアンのうち雲におおわれた立体角のわりあい、をさすような気がする。地上観測の雲量は、立体角のわりあいとして定義されているのか、それとも、水平面上の面積のわりあいとして定義されているのか、わたしは、この記事を書きはじめたとき、まだ知らなかった。ただし、もし水平面上の面積のわりあいとして定義されていたとしたばあい、それを1点からみわたすかたちの地上観測で精度よく測定することはむずかしい、ということは言えそうだと思った。

この記事をいったんだしたあとで、WMO (2018) の地上気象観測指針を見た。雲の観測は第15章にある。15.1.1 節「definition」(487ページ)にある「cloud amount」の定義は、「The amount of sky estimated to be covered by a specified cloud type (partial cloud amount), or by all cloud types (total cloud amount). 」とあって、「空のうちどれだけ」と言っているだけで、くわしいことがわからない。15.1.4節「Observation and measurement methods」のうちの15.1.4.1 「Cloud amount」をみると、「The total cloud amount, or total cloud cover, is the fraction of the celestial dome covered by all clouds visible.」とある。「celestial dome」はわたしが上に「見かけの天球の上半球」とのべたものと同じにちがいないので、すなおに読むと、立体角のわりあいとして定義されているのだと思える。ただし、ほかの解釈も可能かもしれない。実際の観測に従事した経験のある人にきく機会があったらきいてみたい。

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日本の気象庁の用語としての「天気」には雲量の情報がつかわれている。

日本の気象庁のいう、気象要素としての「天気」は、「晴れ」「くもり」「雨」「雪」などの定性的な定型の値をとる。【地上気象観測データの「天気概況」は、もうすこし複雑な表現をふくむが、その基本要素は上記のようなものだ。】 このうち「雨」「雪」は降水現象によってわけている。それと並列に「砂塵あらし」などの現象もある。降水などの現象がないばあいを、「快晴」「晴れ」「くもり」と、雲量によってわけている。(全天を10とした整数値の雲量 0~1が快晴、2~8が晴れ、9~10が くもり だ。) 太陽が見えているか(直達日射があるか)による区別ではないのだ。

気象庁の天気の定義は、日常用語での「晴れ」「くもり」の認識とは、ずれている。ただし、現代には、学校教育によって、「晴れ」「くもり」の語を日常でも気象庁式につかう人もいるかもしれない。

なお、国際的な地上気象の通報では、「天気」(weather)には雲量の情報をふくめず、それとは別に雲量(全天を8としたもの)を報告する形をとっている。国際式の地上天気図では、雲量を まる の中に、現在天気をその横(左)にしめす。

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地上観測の雲量の観測値の頻度分布(度数分布)のヒストグラムをつくってみると、U字型になる。快晴と、全天が雲におおわれた状態 (英語で「overcast」という)とが、頻度がたかく、中間の頻度がひくいのだ。これは正規分布とはまったくにていない。気象要素のうちでも、気温の頻度分布は正規分布に近い。気温のような量を想定した統計手法が、雲量にはうまくつかえないことがある。【わたしはこのことを、鈴木 (1968)の教科書で知った。】

例として、東京での、1981~2010年の毎日1回(日本時間午前9時)の雲量のヒストグラムが、藤部(2014)の本の図6.7 (130ページ) にしめされている。(藤部(2015)の講義資料の5ページにも同じ図がある。)

ただし、地上観測雲量も、たとえば月平均にすると、だいぶ正規分布にちかづく(藤部 (2014)の図6.8参照)。

他方、衛星観測や、数値予報モデルで、空間を、たとえば 100 km 四方の升目にわけてもとめられた、升ごとの雲量は、瞬間値でも、まずまず正規分布に近い。

地上観測の雲量と、衛星観測や数値モデルの雲量とは、統計的性質がかなりちがう変量なのだ。ちがいのおもな理由は、地上観測でみえる空の大部分は観測点から半径 約 10 km 以内のところにあるものだからだろう。地上雲量は、観測点付近の 水平スケール 約 20 km 以下の状態を反映しているのだ。しかも、そのうちでも観測点に近いところのおもみが大きくなる。雲は水平方向の寸法が 1 km から 数 km のかたまりになっていることが多い。そうすると、たとえば、100 km 四方の 升目 のうち半分ぐらいの面積が雲でおおわれているときでも、地上の観測点からみた空は、大部分が雲でおおわれているか、大部分が晴れているかのどちらかになることが多くなるだろう。

【衛星観測や数値モデルの空間分解能がこまかくなると、衛星観測や数値モデルから得た雲量の性質が、地上観測の雲量に近づいてくるのだろうか? これは検討してみるべき課題だと思う。】

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気象衛星観測をディジタルデータとしてつかえるようになった初期から、衛星観測によって雲量をもとめる努力がされた。そして、衛星観測による雲量と地上観測による雲量の比較もされた。(わたし自身、衛星観測データをつかいながら、そのようなことを考えはしたのだが、地上雲量との比較を自分ではしなかった。)

1980年代の研究報告の例として、謝・光田 (1989)がある。気象衛星 ひまわり1号(GMS)のデータを解析している。この衛星のセンサーは2つの波長帯で観測している。「可視」は、入射する太陽光のうち反射されてきたわりあい、「赤外」は、黒体放射とみなしたときの黒体の温度として、値がしめされていた。

謝・光田(1989)の356-357ページに、地上観測の雲量を縦軸、衛星データからもとめた雲量を横軸にとった散布図がある。 図6が赤外、図7が可視、図8が両方の衛星観測値をつかったものだ。なお、ここでの地上観測の雲量は、約100 km四方の範囲に存在する4~5観測点の平均値をとっている。散布図をみると、正の相関はあるが、散布図上での点はおおきくばらついている。つまり、衛星観測と地上観測とは、多数の観測の平均値どうしならば相互に代用可能だが、個別時刻の観測値は、かならずしも似ていないのだ。

【この 謝 平平 (Pingping Xie)さんは、中国で学士をとって日本に来て、京都大学の大学院で、このような気象衛星データ利用の研究で博士をとったあと、アメリカ合衆国の NOAA Climate Prediction Center で働いて、衛星データをつかった「CMAP」という降水量データセットをつくったことでよく知られている。蛇足ながら、謝 尚平 (Shang-Ping Xie) さんとは別人である。】

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天気予報で「晴れ」「くもり」を予報するときには、地上観測の雲量にあたるものの予測にもとづいているはずだ。それは、数値天気予報モデルで得られた雲量そのものではなくて、そこから、これまでの数値モデルの雲量と地上観測の雲量との統計的関係にもとづく経験式によって、推定されたものだろう。

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「雲水量」(くもみずりょう)という学術用語がある。 (英語の表現は一定しないが、わたしが妥当と思うものとして「cloud water mass」をあげておく。) これは、雲粒になっている水の質量 [SI単位は kg]だ。【この「水」には氷をふくめるばあいと、液体の水にかぎり、氷は「雲氷量」として別にかぞえるばあいがある。】実際には、空気の体積あたりの雲水の質量 [kg / m3]をあつかうばあい、空気の質量あたりの雲水の質量 [ kg / kg で無次元] をあつかうばあい、鉛直に積算して、地表面の面積あたりの(そのうえの気柱中の) 雲水の質量 [kg / m2]をあつかうばあいがある。気柱を層にわけて、それぞれの気層中にかぎって鉛直に積算した(地表面の面積あたりの)雲水の質量をあつかうこともある。

なお、英語の文献で「(液体の) 雲水量」に相当するところで「liquid water path」ということばを見かけることがある。観測の話題では、観測機器と観測対象をむすぶ視線方向の光の経路を考えて、その経路に垂直な面の単位面積あたりの雲水の質量をしめすことがある。しかし、雲の状態を論じるときは、鉛直の線を path と考え、水平面の単位面積あたりの雲水の質量をしめしているだろう。

文献