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ふみきり が あく の を まち ながら

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

【この記事は個人的おぼえがきです。専門的知識を提供するものでも、社会に向けて意見をのべるものでもありません。】

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[2020-03-14 変更] Lilypond の入力としたファイル [humikiri.ly] 【URLは暫定です。】

1970年ごろ、わたしが中学生だったときに思いついた曲だ。

家の近くに、電車のとおる鉄道があった。立体交差はほとんどなく、線路のむこうにわたるには ふみきり をとおらなければならなかった。それよりも数年むかしは、遮断器も警報器もなく人が注意してわたるしかない ふみきり もあったが、ちょうどそのころ、ほとんどの ふみきり が警報器つきになった。

警報器は、電車が ふみきり から一定距離以内にあるあいだ、同じ音を、みじかい時間間隔(0.5秒ぐらいだろう)でくりかえし鳴らす。ふみきり に近づいた自動車の運転者に聞こえるようにしたいのだから、ふみきり のすぐそばで立っている歩行者にとっては、とてもうるさい。そして、音をならす条件は、電車と ふみきり の位置関係だけで決めていたので、駅にちかい ふみきり では、駅に電車がとまっているあいだも、警報はなりつづける。電車が行ってしまっても、反対向きの電車がつづいてくるので、警報がとまらないこともある。5分ぐらいまたされることもよくあった。

そのころの古い機種の警報器は、金属のベルを、モーターにつながった棒のようなものでたたくしくみだった。新しい機種は、電気によって音を発生させていた。ベルをたたく方式の音をいくらかまねて、ひとつひとつの音は、強くはじまり、だんだんよわまるようになっていた。うるささの点では、ブザーや電磁石式のベルのように同じ強さでずっとなりつづけるものよりは ましだったが、それでも、なん分もつづくとうるさく感じた。

そのころわたしはメトロノームというものも知った。警報器の音をメトロノームであるかのように考えて、メロディーを思いうかべた。メロディーには、ピアノをならっているときにきいた、ヨーロッパの舞曲のたぐいの影響がいくらかあると思う。中間部は、電車がとおっていくところのような感じになっている。

メロディーで音をのばすところだけ、伴奏の音の流れも思いうかべた。Lilypond で 複数声部をもつ曲の楽譜をかくことはできるのだが、わたしがその方法をまだ身につけていないので、暫定的に、単声部で表現してある。「<>」という記号があるところは、その記号をつけた音を小節のおわりまでのばすもの、そのつぎから小節のおわりまでの音は伴奏、と解釈していただきたい。複数声部の楽譜のかきかたがわかったら、楽譜を改訂して さしかえたい。