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しむらしおん と しむらとおる

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたか、かならずしもしめしません。】

【この文章はフィクションではありませんが、フィクション中のキャラクター(人物のようなもの)を思いついたという話なので、記事カテゴリーを「フィクション」にしました。】

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20-00年代のあるとき、わたしは、ある2人組のキャラクター(人物のようなもの)を思いついた。それをつかった作品を書こうと思っていたのだが、わたしにはつかいこなせそうもない。このまま うもれさせるのは残念なので、これまでに考えたことを書きだしておく。同じことを思いついた人がいたかもしれない。そのばあいはお知らせくだされば記述にふくめたい。このキャラクターをつかいたいかたは つかってくださってかまわないが、できれば共同で作業できるとうれしい。

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20-00年代のあるとき、中学生ぐらいにむけた自然科学の課外教材をつくるしごとにちょっとだけ かかわった。企画はもうきまっていて、専門家として自然科学的内容を提供するたちばでかかわれただけだった。教材は、読者よりは年上だが若者である人物が、専門家にインタビューして、読者に説明する、というような構造になっていたと思う。

その教材自体への関心はうすれてしまったのだが、科学や技術の内容をしろうとに説明するための設定についてはいろいろ考えるようになった。

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わたしが説明したい主題のひとつに、シミュレーション (simulation) がある。この単語は「シュミレーション」というまちがった形でひろまりがちだし、文字数が多いという欠点がある。もともとラテン語で構成されているのに、英語経由でとりいれているせいだ。インドネシア語ならば simulasi だから、日本語でも「しむらし」にすればよかったのに、などと思った([2013-06-27の記事]とそのリンクさき参照)。さらに、フランス語からかたかなにすれば「シミュラシオン」だろうし、ドイツ語からならば「ズィムラツィオン」だろう、と考えているうちに、「シムラシオン」という形ならば日本語でもおさまりがよいと思えてきた。

「しむら」は、「志村」とすれば、わたしは東京都 板橋区の地名として意識しているが、日本人のみょうじでもありうる。「しおん」は、(シオニズムのシオン(Zion)を連想したりするとやっかいではあるが)、花をさかせる「紫苑」という植物の名まえでもあり、人名になっていることもある。「しむら しおん」という人物を登場させて simulation の話をしてもらうというのはおもしろそうだ、と思うようになった。

わたしには、シオンという音は(おそらくギリシャ語由来の語の影響で)中性と感じられるし、この読みの名まえをもつ男の人がいることも知っているけれど、「しむら しおん」は女の人の名まえのように感じられる。それは、三浦 しをん という作家がいることを知っているからかもしれない。(歴史的かなづかいにしたがえば「紫苑」は「しをん」となる。) 『舟を編む』についてのわたしの[読書メモ]で ほのめかした架空の人物の名まえが「しむら しおん」なのだ。

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シミュレーションに関連して、シミュレーターということばがある。(英語の -er や -or でおわることばを かたかな になおすとき、長音にするかどうかという問題がある。ここではひとまず長音のほうにしておく。) この simulator も、ローマ字読みして、o が長音だとすれば、「しむら とおる」という日本人(こちらは男)の名まえのようにひびく。ラテン語についてしらべてみると、単数主格の simulator では、(aは長音だが) o は短音になっている。しかし、活用形で r のあとになにかつくと、o が長音になる。たとえば複数主格の simulatores では、o は ( e も)長音だ。「シムラシオン」と同様な西洋語もどきとしては「シムラトール」はそうわるくない形だという気がしている。

そこで、「しおん」と「とおる」の かけあいで simulation の話をするというのを思いついた。

「しおん」は、夢みる おねえさんで、なにか あたらしいものごとを知ると、それを計算機のなかで再現したいと言う。「とおる」は、まじめな弟で、姉の希望をそのままかなえることは不可能であることを知っているけれど、目標を設定しなおしたり、近似計算をしたりして、希望と似たものを提供しようとする。「とおる」の口ぐせは、「それは無理だよ。でも、これならできるよ」というものだ。

しかし、これは つかわないまま きてしまった。(思いついた当時のわたしの職が、シミュレーションの解説をすることはあったのだが、シミュレーターの広報をするたちばではなかったので、「とおる」を もちだすのをためらった、という事情もあった。)