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NHKテレビ「10 Years After 未来への分岐点」をめぐって

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも明示しません。】

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2020年1月1日、21:00-22:15 の、NHK総合テレビの番組「10 Years After 未来への分岐点」を見た。

わたしはひごろから、マスメディアにはもっと、地球環境問題を一般の人びとにとっても課題であるという位置づけでつたえてほしいと思っているので、このような番組が企画されたことは、大きな意味で、よいことだと思った。

また、地球環境問題は、世代をこえた影響が重要なので、とくに若い世代を重視する構成になっていることも、よいと思った。

【ただし、副司会者に起用された清原 果耶さんが 定型的な発言しかしていなかったようだったのは残念だった。ドラマでの演技が注目された (わたしはうわさを聞いてその回だけ見た) 俳優だが、高校卒業をひかえた時期で時間の余裕がなかったのだと思う。下しらべ段階でビデオで登場した被災者や運動家などと会話をしていたら、効果的な役わりができただろうと思う。若い人を起用するばあいは長時間やとえるような態勢をくんでほしいと思った。】

話題は多岐にわたっていた。わたしなりにおおざっぱにまとめるとつぎのようになる。

  • 1. 地球温暖化
  • 2. そのほかの環境問題。とくに、海洋のプラスチックごみ。
  • 3. 持続可能性目標(SDGs)。とくに、水の確保。
  • 4. 「AI」技術がもたらす問題。とくに、AIの軍事への応用の問題。
  • 5. 生命工学がもたらす問題。とくに、ヒトの遺伝子操作の問題。

このうち1から3はさかいめなくつながっていた。(視野のちがう問題が混同される心配があると思った。) 4と5はそれぞれ別々の話題になっていた。(「AI」は「人工知能」ではなく「AI」という形で出てきた。)

番組の主題として「人間社会の活動がこのままつづくと、2030年ごろに「分岐点」に達し、そのさきではとりかえしがつかなくなる」という言説をとりあげていたようだ。そのように読むことができる国際機関の報告書が、地球環境関係、技術影響関係でそれぞれ出されていたので、おおざっぱな類似性でつなげてしまったらしい。(人類が同時にとりくむ必要があるという意味では、いっしょにあつかう意義はあるのかもしれない。) 「分岐点」があるという言説は、警告としてはよいかもしれないが、学術主流の知見とみられるとあやういと思う。

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「分岐点」と表現されていたのは、すくなくとも地球温暖化がらみの話題では、気候科学者の Tim Lenton さんなどがいう「tipping point」にちがいない。おおざっぱにいうと、気候システムには複数の安定状態がありうるが、ある点をこえると現在の安定状態の延長がなくなって、別の安定状態にむかう急激な変化が生じる、というような話だ。このブログでは[2015-11-30 地球温暖化の不確かさと「驚き」をどうとらえるか(2)]の記事で話題にした。

2019年11月に、Lentonさんが筆頭著者になった論説が出たので、また話題になっている。地球環境研究を主導するRockströmさんや主導してきたSteffenさん、Schellnhuberさんが共著者だから、注目すべきものではある。しかし、世界の学術的知見を見わたした報告ではなく、査読ずみ学術論文でもなく、論説であることにも注意してほしい。

気候システムは線形システム (おおざっぱにいうと、結果が原因に比例するようなシステム)ではないから、地球環境の変化に、その状態をこえるともとにもどれなくなるような tipping point (仮に「tp」と略す)がありうる。論説の表題にもあるように「tpがないと思いこむのは危険だ」というのはもっともだ。しかし、いまの科学では、tpがいつ出現するかを根拠をもって予想することはできていない。tpの可能性も考えながら、従来の(tpが出てこない)予測を使うしかないと思う。

また、地球温暖化がらみの tp の話題のうちには、気候システムに tp があるという話のほかに、気候システムの変化は連続的であっても、生態系の変化、あるいは人間社会の変化に tp があるという話もある。番組で、そのどちらを話題にしているのかは、よくわからなかった。

気候の専門家として出席していた江守 正多さんが、話題を、tp ではなく、IPCC関係者の主流の議論でつかわれる温暖化の見とおしのほうにひっぱっていたようだった。世界平均地表温度が(いわゆる産業革命前を基準として) +1.5℃に達することが tp であるという言説への賛否をたなあげにして、「温暖化を +1.5℃以内にくいとめるためには」という目標をたて、「2050年にはCO2排出量を正味でゼロにする」「2030年には排出量を半分にする」「いますぐ総排出量がへるようにする」ことが必要だと言った。そのためにどんな対策があるか、温暖化対策ではいつも出るものが列挙されたのにくわえて、江守さんは「常識をかえることが必要だ」と言っていた (しかしそのさきにはあまり進まずにつぎの話題にうつったと思う)。

【気候システムの tp として、グリーンランド氷床が消滅することをとりあげるならば、+1.5℃が tp だという説もあるが、すでにその tp はすぎているという説もある(らしい... 文献未確認だが)。人間は、北半球に「大陸氷床」とみとめられる規模の氷河がない世界を「予約して」しまったかもしれないのだ。しかし、グリーンランド氷床の消滅には千年程度の時間がかかるだろう。千年さきの人類にたいする責任、あるいは「地球にたいする責任」を考えるならば人類は重大なことをしてしまったかもしれないのだが、政策課題としてとらえる時間スケールで緊急の事件ではないと思う。】

文献

  • Timothy M. Lenton, Johan Rockström, Owen Gaffney, Stefan Rahmstorf, Katherine Richardson, Will Steffen & Hans Joachim Schellnhuber, 2019: [Comment] Climate tipping points -- too risky to bet against. Nature 575: 592-595. http://doi.org/10.1038/d41586-019-03595-0

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地球温暖化にともなっておこることの例として、アマゾン川流域の熱帯雨林がまばらな草原にかわってしまうような、衛星観測画像もどきの動画がしめされていた。わたしのかってな印象としては、そういう変化がありうることをしめすのはよいのだが、番組の見せかたは急速すぎて、いわゆる「恐怖をあおる」傾向があると感じた。

地球温暖化にともなう、熱帯の全球規模の気圧配置の変化によって、アマゾン川流域の水収支が乾燥のほうにかたむく可能性は指摘されている (ただしそちらむきの変化がおこるときまったわけではない)。それが熱帯雨林の生態系にとっての tp になるという説もある。さらに、森林の崩壊は正味の二酸化炭素排出をもたらすので、温暖化に正のフィードバックをもたらすだろうという理屈もある。

そういう心配があることはもっともだ。陸上水収支が乾燥化すれば、熱帯雨林がそのままでは維持できなくなるだろう。しかし(生態学の専門家ではないわたしのしろうと考えにすぎないが)、熱帯雨林を構成する多様な木の種類のうちにはいくらかの乾燥にたえるものもあるだろう。森林の消滅にいたる可能性は低いと思う。土壌が流出して植物にとっての栄養が不足する心配はある。しかしアマゾン川中流域の地形は平坦だから、土壌は海にまで流れることはすくなく流域中にはとどまるぶんが多いだろうと思う。その条件でどんな森林が成立しうるか、というふうに、専門家をまじえて考えを進めてほしいと思う。

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地球温暖化の対策にとりくむ若者がいるというふれこみで出てきたのが、海洋のプラスチックごみを回収する事業をはじめた人たちのことだった。これは問題の構造を誤解させる番組構成だったと思う。海洋のプラスチックごみ自体が魚などの海洋生態系に悪影響をあたえる環境問題であることと、人間社会全体の持続可能性の観点から産業や消費の構造をプラスチックの使いすてをしないものに変えていくべきであることの2点を、ひとまず地球温暖化とは別にとりあげたうえで、地球温暖化との連関もいくらかあることにふれる、というふうにしてほしかった。

地球温暖化との連関としては、プラスチックごみが自然界で分解する際に温室効果気体を排出することが指摘されていた。それはほんとうなのだろうと思う。しかし、わたしはむしろ、プラスチック製品をつくる段階でエネルギー資源を消費しており、それは現状ではたいてい化石燃料であることのほうが重要だろうと思った。ただし思っただけで定量的評価をしたわけではない。

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SDGsの関連では、おもに「すべての人に安全な水が供給されること」がとりあげられていた。この「水」は飲み水をさしている。いっしょに sanitation があげられていて、これはようするに(衛生的な)トイレだ。そのことも考えて、「飲み水」というときに、からだを清潔にたもつのに必要な水をふくめてとらえることにしたい。飲み水の確保は人権問題だといえるだろう。

番組では、飲み水は総量としてはたりているのだが、貧富の差があるために、富裕層や輸出向け農業が水を大量に使ってしまい、貧しい人の飲み水がじゅうぶんいきわたっていないことが問題になっていた。

飲み水の不足と、農業用水(灌漑用水)の不足が、切れめなしにあつかわれていることがあった。SDGsの別の目標に「飢餓をなくす」ことがはいっており、(最小限の)食料の確保も人権問題ではある。しかし、灌漑は持続可能でないこともある。気候の変化にともなって農業から撤退すべき土地もあるにちがいない。食料については、その場でつくるか、ほかの場でできたものを買うかという選択がある。農業用水は、大局的には、人権問題ではなく、政策上の選択の課題なのだと思う。

飲み水の問題と農業用水の問題は、ひとまず別々にあつかったうえで、連関しているばあいはそのこともとりあげるべきだと思う。