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「ヴ」を使うか使わないかは一本化できないと思う

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2019年3月14日、NHKのウェブサイトのニュース関連の「WEB特集」というところに、「世界から『ヴ』が消える」という題名の記事が出た。Twitterなどでとびかっていた この記事の見出しだけを見た人、あるいは本文をすこし読みはじめても「この春、世界からこの「ヴ」が消えようとしている。」までを読んでつぎの「といっても...」を読まなかった人のうちに、たとえば「日本の国の標準、あるいはNHKの標準として、「ヴ」の字を使わないことが決められた」かのような、まちがった認識をして、びっくりしたり、反発したりしてしまった人が多かったようだ。

NHKは読者の関心をひくために驚きのある表現をしたのだと思うが、マスメディアとしては軽率すぎる表現だったと思う。

実際におきていることは、日本の国としての公文書に使われている外国の国名の表記を変更する、ということだ。(法律を変える必要があるので、3月14日の段階では、外務省が国会に提案することが報道された。それから3月19日に衆議院で可決されたことが報道された。これから参議院で可決されれば法改正になる。) その結果、「ヴ」をふくむ国名がなくなるのだ。

しかも、過去に「ヴ」がふくまれていた国名の大部分は、2003年に表記が変えられた。たとえば「ヴィエトナム」から「ベトナム」になった。今回は、最後の2つを変えた、という話なのだ。

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この話題について、わたしがTwitterで見ていた範囲では、「ヴ」表記をやめることをなげかわしいと考えている論調が多いように見えた。Twitter全体なのか、わたしが見る範囲にかぎってかはわからないが、外国語のつづりや発音の知識があり、日本語の中でもそれをつたえることが教養のあらわれだと感じる人が多いようなのだ。しかしそれは日本語話者全体のうちではかなりかたよった部分ではないかと、わたしは思う。なお、外務省の動きに不満を感じる人がよく発言し、不満に思わない人はだまっている、という傾向もあるかもしれない。

「ヴ」がなくなることをなげく人でも、外来語の[v]音に由来するところを一貫して「ヴ」と書いている人はすくないと思う。たとえば「テレヴィ」という表記はほとんど見かけない。多くの人が「テレビ」と書いていると思う。略さずに「テレヴィジョン」と書くか、英語の頭文字略語由来の「TV」という表現をしている人もいるかもしれないが。また、中学生にも身近な「バレーボール」について、「ヴァレーボール」または「ヴォレーボール」という表記は見かけない。

日本語のうちの外来語には、「テレビ」「バレーボール」のように日本語にとけこんでもはや原語を意識しない語から、ほとんどの日本語話者にとって初耳の語まである。そのあいだは明確なさかいめのない連続分布だろう。

「ヴ」の字は、原語を意識しやすい単語には使われるが、日本語にとけこんで原語が意識されない語については、使われないのがふつうなのだと思う。

外国の国名は、さししめす対象はあきらかに外国のものだが、その表記の標準が必要なのは、日本国の法的手続きに使われるからであり、手続きをする人の多くは原語のつづりや発音を知らないだろうと想定される。だから、「日本語にとけこんだもの」の端に近い表現がえらばれるのはもっともだと思う。

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日本語のなかで外来語(外国の固有名もふくめた意味で)をどう書くかは、むずかしい問題だ。この問題については、[2019-02-02の記事「日本語のなかでの外来語をローマ字でどう書くか 」]でも論じた。その記事では、かたかな表記も、いくらか話題にしたが、きちんと論じていなかった。

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日本語の文字体系のなかで、「ヴ」という文字の位置づけは微妙だ。漢字か かな かといわれれば かな だが、かなの体系を構成する字だとはいいがたい。

日本語の発音とかなの対応をあらわす体系としては、「五十音図」を、濁音・半濁音(ガ行、パ行など)と拗音(「キャ」など)を含めて拡張したものが標準的だと思う。そこに「ヴ」はない。

「ヴ」は、「ティ」「トゥ」や「テュ」などとともに、さらにその外側の、外国語由来・方言由来・擬音などの、いわば exotic な音をあらわすための拡張なのだ。

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わたしの記憶をたどると、1960年代の小学生、1970年代前半の中学生としてならった日本語の読み書きには、「ヴ」の字を使うことはふくまれていなかったと思う。外来語の[v]音は、英語などに由来する場合はバ行、ドイツ語・ロシア語・ポーランド語などに由来する場合は、「ワ」や「ウ」をつかって(ウィーン、モスクワ、ワルシャワなどのように)書かれていたことが多い。(しかしバ行のこともあった。ロシア語の Vostok は「ボストーク」だった。Vladivostok は「ウラジオストク」だったのだが。)

わたしは調べていないが、1960年代の日本のおとなが読み書きする日本語もだいたいそうだったと思う。当時の外務省は国名に「ヴ」の字を使うことがあったそうだが、それは日本語圏全体のうちでは特殊だったと思う。

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計算機で、ローマ字(ラテンアルファベット)のほかに、日本語の文字があつかえるようになった。まず1970年代にあらわれたのは かたかな の1バイトコードだった。そこでは、たとえば「ガ」は「カ」と濁点の「2文字」で表現された。「ウ」と濁点をならべることも可能ではあったが、それを使った人は、いたとしても、少なかっただろう。

それから1980年代に「漢字」が2バイトコードで使われるようになった。実際は漢字だけでなく、ひらがな、かたかなもふくまれていた。「ヴ」は かたかな のグループにふくまれた。ただし、対応するひらがなは収録されなかった。「ヴ」は、ひらがな と かたかな の1対1の対応がくずれる特異点になってしまった。

いまではUnicodeがふつうになっているが、そのうちの かな の文字集合は以前の「JIS漢字」をひきついでいる。

わたしは調べていないが、日本語圏に流通する文書に「ヴ」が使われたものが多くなったのは1990年代ごろからだろうと推測している。そのきっかけは、パソコンで、「ヴ」が他の かたかな と同程度の手軽さで入力できるようになったことだろうと思う。

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日本語のなかの外来語の[v]音の表記を標準化しようとするならば、候補となる案は、つねに「ヴ」を使うか、まったく使わないか、だろう。しかし、どちらもむずかしいところがある。

「ヴ」を使うほうを標準にしようとすると、すでにバ行の形で日本語にとけこんでしまったたくさんの外来語の表記を変える必要がある。たとえば「サーヴィス」「インターヴァル」と書く気になるだろうか? あるいは「とけこんだ」語と「とけこんでいない」語のあいだに線をひくことができるだろうか?

また、スペイン語では v と b の (文字は歴史的に書きわけられているが) 発音の区別がなくなっている。スペイン語由来の外来語の v はバ行で受けたほうがよいのだ。(国名の「ヴェネズエラ」を「ベネズエラ」にしたのはこれにあっている。) しかし、ポルトガル語では v と b の区別があるのだが、ある単語がスペイン語由来かポルトガル語由来かはわからない場合も多い。これも「ヴ」を使うか使わないかのゆらぎのもとになる。

他方、「ヴ」を使わないほうを標準にしようとすると、すでに「ヴ」を使って書かれたものをどう書きかえるかという問題がある。英語やフランス語の v ならば、バ行におきかえればよいだろう。しかし、ドイツ語の w 、ポーランド語の w、ロシア語の в (ローマ字転写 v )などは「ウ」や「ワ」にするべきで、もしバ行に書きかえられると原語とのつながりがわかりにくくなる。

また、サンスクリットなどのインド系言語や、インド系文字を使う言語では、v と w の区別がなく、b とは区別されているのがふつうだ。(ラオスの Vientiane はラオ語をフランス語音で近似してローマ字転写したのでこうなっているのだが、タイ語とみなして英語で近似してローマ字転写すれば Wiang Chan となるそうだ。) このばあいも、 v が「ウ」や「ワ」になるのは許容できるが、バ行になるのはまずい。

しかし、日本語のなかにとりこまれて かたかな表記されている語を、いちいちもとの言語を確認して書きわけることは、たいていの人にとって無理な注文だろう。

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わたしは、ながらく、小学校でならったように、「ヴ」をつかわない表記を使ってきた。

しかし、20-00年代に、東南アジアにかかわるようになって、v を b と区別したくなり、固有名やサンスクリット由来の語について「ヴ」を使うようになった。

そして、2010年代になって、「ヴ」を使うならば使うことで一貫させたほうがよいと思うようになり、英語由来の学術用語などについても、もとが v であると気づけば「ヴ」を使うことがふえてきた。しかし、これまでバ行で書いてきた語はそのままになっていることが多い。そして、v と b の書きわけを徹底するのはむずかしいと感じるようになった。これからわたしは、「ヴ」を「日本語にとけこんでいない語に限定して」使う態度にもどることになりそうだ。

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日本語圏の表記スタイルとしては、「ヴ」を使うものと使わないものの両方を許容するしかないと思う。

(ローマ字の「v」の字のなまえも、「ヴ」を使う日本語で英語のなまえを近似した「ヴィー」と、「ヴ」を使わない日本語での表現である「ブイ」の両方がある。)

まだ外国語を学んでいない小学校の段階で教えるスタイルとしては、「ヴ」を使わないものが適切だと思う。そして、おとなになってもそれを使いつづけても、まちがいでも恥でもないとするべきだと思う。