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気候適応史プロジェクトの話を聞いて考えたこと

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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地球研(総合地球環境学研究所)の中塚 武さんの講演の動画がウェブ公開されているという情報を得て、視聴した。
Youtubeに [第77回地球研市民セミナー「 “雨降って地固まる”−気候変動と日本史の怖くて深い関係−」]として置かれている。2018年6月8日に京都でおこなわれた約1時間半の講演で、スクリーンでプレゼンテーションファイルを見せながら、中塚さんが話している。

これは、2014年度(準備期間を含めれば2013年度)から2018年度までの地球研プロジェクト「高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索」(気候適応史プロジェクト、http://www.chikyu.ac.jp/nenrin/ )の、まとめの段階にかかっているところでの外向けの報告といえるだろう。

わたしはこのプロジェクトの研究集会に参加したこともあり(2014年12月)、そのあとも断片的には話を聞いているが、この動画ではじめて知る成果もあった。

地球研のほとんどの仕事が、5-6年のプロジェクトで動いている。中塚プロジェクトも、地球研の仕事としては2019年3月で終わってしまう。それは残念でもあるが、人の組み合わせを変えて別の場で続くきっかけでもあるだろう。

実はわたしも中塚プロジェクトで集められた資料のうちの小さな部分を引き継ぐことになり、それをどう活用するか考えようともしている。(ただし、この記事では、その話題にはふれない。)

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地球研は、いわゆる文科系と理科系にまたがる学際的研究を特徴としている。中塚さんは自然科学者だが、そのプロジェクトには歴史学者がおおぜい加わっている。

このような学際的な、しかも時限のプロジェクトの評価はむずかしい。研究を始めるにあたって、まだメンバーどうしでもおたがいに何ができるかよくわからないうちに かかげる目標は、全部できればすごいが全部やるのは無理な「大ぶろしき」になるのは当然のなりゆきで、それを基準に成功失敗を論じても意味がないだろうと思う。ただし、何も達成せず雲散霧消するのでは、あきらかにまずい。

一方で、代表者を含む小集団が、その専門領域で高く評価されて、他分野への応用価値も見える成果を手堅く出すことができ、他方で、その小集団と、ちがった伝統をもつ小集団とのあいだで、共同作業がなりたち、それをしなければ出てこなかった知見が得られれば、「よくやった」というべきなのだと思う。

ここで「他方」とした学際的な仕事では、具体的な共同作業よりもまえに共通の目標をたてるところに困難がある。中塚プロジェクトの場合は、歴史学者が歴史資料をもとに(解析の作業をすれば)提示でき、しかも、自然科学者(中塚さん)が提供できる気候指標の時系列と比較できる、という両条件をみたす知的生産物の仕様を構想するまでの交渉過程のほうが、実際にその知的生産物の内容をつくる作業よりも、重要なステップだっただろう。

せっかく知的生産物を生産できても、自然科学者にとっても歴史学者にとっても、そのよしあしの評価は困難だ。もしかすると、材料や方法の欠陥がみつかって、せっかくの努力の成果物は有用でないかもしれない。学際的な部分で成功する約束はできないのだ。その担保として、狭い専門分野の手堅い仕事もやることが必要なのかもしれない。

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中塚プロジェクトの手堅い成果は、木の年輪のセルロースの酸素と水素の同位体分析によって、日本の、最近2千年にわたる、1年きざみの、夏の乾湿に関する定量的気候指標の時系列を示したことだ。

酸素同位体比(酸素18が含まれる比率)で乾湿を復元推定することは、中塚さんが、地球研プロジェクトを始める前からとりかかっていたことだった。プロジェクトをやったおかげで、多数のサンプルをあわせて使うことができて、精度評価もできた。

わたしがこの講演で新しく知ったこととしては、個々の木の樹齢にともなって酸素同位体比が減る傾向があり、時系列として総合するためのさしつかえになっていた。ところが、水素同位体比(重水素が含まれる比率)は、基本的には酸素と同じしくみの分別の結果でありながら、逆に樹齢によってふえることがわかり、両者をあわせることによって樹齢効果を打ち消せるのだそうだ。(これは、プロジェクトの評価としては、実施中に困難が生じ、実施中にそれを解決して目標達成に至った、よい例だろう。)

また (副次的成果、かつ、さらに成果を出す基盤技術として) 遺跡や建築物の木材の年輪の酸素同位体比の年々変動の時系列パタンを年代確認ずみのものと照合することによって、木材の年代を決めることができる。従来から、年輪の目に見える特徴のパタン照合による年代決定はあり、放射性炭素同位体のパタン照合の話も聞いたことがあるが、安定同位体のパタン照合は新しい技法なのだろう。

夏というのは、だいたい6,7,8月なのだが、そのうちの期間選択はなんとおりもやっているようで、どれが適切と考えているのかよくわからなかった。

どのくらい広い地域を代表しているかが重要だ。年輪のサンプルをとった場所は日本全国にわたるが、そのうち西日本(屋久島を含む)から中部日本のものをおもに見ている。気象観測データのある時代について、降水量の観測値との相関を見てみると、日本の九州・中国四国・近畿・中部・関東 (中塚さんの表現ではなくわたしの仮の表現で「日本東西軸地方」)ではほぼ同調したシグナルらしい。また、相関はやや弱いが、中国の長江下流域も同位相だそうだ。

そうすると、わたしには、梅雨(梅雨前線)の変動と関係がありそうだと思える。単純に考えると「つゆあけが早いか遅いか」ということだろうと思うのだが、そう単純ではないかもしれない。

毎日の天気記録を使えば、つゆあけの時期を判定することも、梅雨期と盛夏の特徴をわけて考えることもできるだろう。(中塚プロジェクトは天気記録を使う研究も含んでいて成果も出ているのだが、この講演には出てこなかった。年輪同位体で見た「夏」のうちわけの時間を天気記録で分解してみる、という検討にはまだ手がまわっていないようだ。)

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得られたのはどういう気候要素の指標なのか。わたしは「乾湿」という表現が適切だと思っているが、中塚さんの講演では「降水量」という表現をしていた。降水量は、気候の指標として学校教育を通じてよく知られているし、水収支の重要な構成要素でもある。そして、中塚さんは人間社会が気候にどう応答したかという話題につなげようとしている。洪水やかんばつを起こす原因としては、(すくなくとも日本の状況では) 乾湿というよりは雨のほうが直接的だろう。この講演で「降水量」という表現をする必然性はあったのかもしれない。

しかし、わたしが、降水量の観測データをあつかう気象・気候研究者としてみれば、降水量という数値は、たとえ月や年の合計値をあつかうばあいでも、わりあい短時間のはげしい雨の雨量の影響が強く出てしまう。そして、はげしい雨の雨量は、狭い地域のうちでも地点間のばらつきが大きいし、現代の機器観測でも、定量的精度をよくすることがむずかしい。同位体などの気候指標をもとに推定する目標変数としては、うまくないのだ。

それに、講演中に説明があったが、酸素同位体が気候の乾湿を反映するおもなしくみは、葉の気孔を通じての水の蒸散が活発なほど、葉に重い酸素18が残る傾向の同位体分別が進む、ということなのだ。それならば、原因にあたる物理的気候要素は、降水量ではなく、空気の乾湿だろう。

中塚さん自身が、『気候変動の事典』という本(山川ほか, 2017)の「樹木年輪からさぐる気候環境の変遷」という項目(348-351ページ)で、この件を説明しているところでは、蒸散を通じた分別のしくみに関与する気候要素としては相対湿度をあげているし、復元推定対象としても降水量と並列に相対湿度をあげている。

ただし、講演ではふれていなかったが、『気候変動の事典』のほうでは、蒸散の際の分別のほかに、植物が根からとりいれる水の同位体比の変化があり、それは大気中の水蒸気が雲になり雨になる過程での分別を反映しており、そこには降水量が少ないほど同位体比が高くなる「雨量効果」があるのだとも言っている。もしこちらが重要ならば、復元推定対象として降水量が適切なのかもしれない。

どちらかといえば湿度なのだとしたら、「降水量」と言ってほしくない。時系列データを降水量の推定値という形では示してほしくない。同位体比のままではわかりにくいと思うが、それをなんらかの規格化(標準化)して、「乾湿指標」として示すのがよいと思う。たとえば、WMOの平年値にあわせて1961-1990年を標準期間として、標準期間の平均値と標準偏差を使って規格化することが考えられる。

【なお、雨水や水蒸気の酸素または水素の同位体の研究をしている人の話を思い出してみると、土壌からの蒸発の際には同位体分別がみられるのだが、植物の葉からの蒸散では分別がみられない(同位体比が変わらない)のだそうだ。蒸散(と光合成)の際に、セルロース分子に移る部分に注目すれば分別がみられても、水分子でありつづける大多数にとっては無視できる量なのだろうと考えればつじつまはあうが、それでよいか確認するためにはもっと勉強する必要がありそうだ。】

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もうひとつ気になったのは、最近30年ほどの信州大学構内の木の年輪の同位体比と気象データとを比較したところで、同位体比と夏の降水量との間に負の相関があるだけでなく、同位体比と夏の気温との間に正の相関があることも、かなり明確に示されていたことだ。(ただし、同位体比が気温の指標として使えるとは考えていないのだが、それはなぜだろうか?)

理屈のほうからも、同位体分別が蒸散によるならば、湿度がじゅうぶんあるどうしでくらべれば気温が高いほど蒸散が多いので年輪の同位体比が大きくなることがありそうだと思う。

中塚さんは、できあがった乾湿指標の時系列を、既存の研究による北半球の寒暖の時系列とくらべて、百年のけたで大まかにみると似ている(日本が湿潤なとき北半球が寒い)という認識を述べていた。

また、中塚さんが、講演の序論部分で話していたことによれば、日本の木の年輪は、気温の復元に使える情報をあまりもっていない。PAGESの一環として、アジアの最近2千年の気候復元推定をした際(Cookほか 2013 の論文、中塚さんも共著者)には、年輪にもとづく東アジアの夏の気温を示したが、それはおもに、モンゴル、チベット、ヒマラヤなどの、木が寒冷ストレスを受けやすいところの年輪の(おそらく年輪幅の)情報によっている。中塚さんは、日本の寒暖もこれと同様だと考えている。講演では、これと日本の乾湿との時系列を比較した議論はなかったと思うが、わたしがスクリーンの図を見た印象では、湿潤なとき寒いという相関の傾向があるように思われた。

そうすると、せっかくつくった日本の乾湿の指標が、東アジアあるいは北半球の寒暖と、基本的に同じものを見ている可能性があると思う。雨と気温とは別々に変動しうるのに、酸素同位体比は、気候状態を「雨が少なくて気温が高い」か「雨が多くて気温が低い」かという軸上に投影したようなものを見ているのではないか?

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東アジアで夏に寒冷なほうが湿潤な傾向があるという話に、わたしは納得がいく面もある。1980年や1993年(この夏わたしはいなかったのだが)の関東は、つゆあけが不明確で、(だんだん梅雨らしくはなくなるのだが) 盛夏らしい日がなかった。こういう夏は、平年にくらべて、寒冷で、湿潤だ。

しかし、いつもそうとはかぎらないと思う。理屈で考えただけなのだが、梅雨前線が日本よりもじゅうぶん南で停滞して北上しない場合は、日本は、寒冷で、よく晴れている、ということがおこりそうだ。

また、Hsü (2000)の本の、歴史時代の気候変動を論じているところで、ヨーロッパでは、寒冷=湿潤、温暖=乾燥だが、中国では、寒冷=乾燥、温暖=湿潤だ、といっていた(のをわたしはおぼえている)。Hsüさんは堆積物をあつかってきた地質学者なので、堆積物にもとづく古環境の研究をふまえた話なのだと思う。ただし、この本は、公務を引退してから書いた主観的な評論なので、出版当時としても最新の知見ではなく古い考えだった可能性もあると思う。

わたしなりに考えてみると、もしかすると、夏の南よりのモンスーンが強ければ、雨が多いだけでなく、熱帯の空気がたくさんくるので温度も高い、という関係があるかもしれない(モンスーンがこないときの空気が亜熱帯高圧帯でなく温帯のものであることが前提となる)。また、もし冬に注目すれば、北よりの季節風が強いときは、寒くて、(風上に日本海のような海がない大陸上では)乾燥するだろう。

わたしは、中塚さんが得た 寒冷=湿潤 対 温暖=乾燥 という軸の変動はあると考えてよいと思うが、もうひとつ、寒冷=乾燥 対 温暖=湿潤 という軸の変動も考えてみるべきか、とも思う。

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中塚さんの話は、気候変動と社会の変動との関連に向かっていった。社会の変動の指標として何を見るかは、まだ試行錯誤なのだと思う。

おもしろかった話題のひとつは、鎌倉時代後半から室町時代前半には、前後の期間よりも飢饉は少ないのだが、地域内の紛争を示す記述(具体的には「悪党」という語の出現)は多い、ということだ。

この期間には、食料の流通(売買)が活発になった。それで、作物のとれない農村でも、飢えないですむようになった。(反面、人びとの利害関係が複雑になって紛争がふえたのかもしれない。) なお、さらに流通が進むと、都市住民が遠方の食料に依存するようになって、作物のとれない年に、こんどは都市で飢饉が生じた、ということだ。

もうひとつの話題は (プロジェクトメンバーの鎌谷さんの研究だそうだ)、琵琶湖に面した村で、江戸時代のうち、(年輪からみて)雨の多い年には、(納税関係の記録によれば)米の収穫が少ない。この場所では琵琶湖の水位が高いと農地が水没してしまって収穫できなかった、と説明されている。(講演ではふれられていなかったが、同じ地方でも、立地がちがうと、雨の多い年のほうが収穫が多かった村もありそうだと思った。)

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中塚さんが新発見であるかのように言っていたのは、社会の変動が大きくなるのは、(数十年平均で乾燥が続いたり湿潤が続いたりするときではなく) 乾湿が数十年安定していたあとに急激な変化が起きるときだ、ということだ。

これは、毎年という時間分解能でデータが得られたから言えるようになったのだという。数十年ごとの時間分解能だと、数十年で平均された気候状態と社会を関連づけることになりやすい。(実際、たとえば、わたしの[2017-05-19の記事]でふれた川幡穂高さんの論文では、寒冷期に社会の体制変化がおきるという議論をしていた。)

人間社会は、たいていの時点で、そのときの最近の数十年(たとえば30年)の経験に適応している。数十年のあいだ環境の年々変動が小さければ、その状態に適応して、人口がふえたり、建物をたてたりするだろう。そこで環境変動が大きくなって、適応してきたのとちがう環境状態が出現すると、社会は困難に直面する。たとえば、飢饉になる。(この「適応」は「過適応」だったのだと言える。ただし「過適応」ということばはプレゼンテーションの文字には出てきたが、講演のことばには出てこなかった。) 人間社会の環境への適応には、個人の寿命よりも長い経験にもとづく視点が必要なのだ。

この概念は、中塚さんは名古屋大学での仕事をまとめた『臨床環境学』(渡邊ほか, 2014)の本ですでに述べていたのだし、地球研プロジェクトの略称を「気候適応史」としたときにも意識していたことだと思うのだが、やっとデータで示すことができた、ということらしい。

この発想が今後広く参照されるようになれば、学際的な面でも成功したプロジェクトだといえるだろう。

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わたしは『臨床環境学』の本が出るまえから、8節の話と似たことを考えていた。(しかしわたしは研究プロジェクトを構想する力も実行する力もなかった。文章にすることさえしなかったので、わたしのほうが早かったと主張するつもりはない。)

わたしがそれを考えたきっかけは、過去の災害(かんばつや洪水)の記録を、地球科学現象としての乾湿あるいは降水量の変動として解釈する研究例を見たことだった。中国で1981年に出た『中国近五百年旱澇分布図集』や、そのデータを使った研究論文がその代表的なものだ。

もし、かんばつや洪水がおこるかどうかが、自然現象としての水位や流量で決まっていて、そのしきい値が時代とともに変わらないならば、そのような読みかえができる。しかし、この前提は、うたがわしい。水位が高い状態が百年も続けば、人びとはその水位に適応してしまい、その水位はもはや洪水でないだろう。(証拠を参照しないで頭で考えたことにすぎないが) 洪水・かんばつとして記録されている事件は、自然現象としては「それまで数十年(たとえば30年)の経験の範囲をこえて水位が高い・低い」という現象に対応するのではないか、と思った。

そのときは、自然現象としての降水あるいは乾湿の変動を知りたいという問題意識で考えていた。人間社会の応答は、それに対する観測フィルターとして働くだろう、時系列解析用語でいえばハイパス (高周波を通す)フィルターだろう、と思ったのだ。

その後、人間社会の立場になって、適応を主題として考えることもするようになった。自然現象としての乾湿や降水の変動と、社会が受ける被害あるいは社会による対応とのあいだに、適応というフィルターがはいる、ととらえることもできる。

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社会が適応していた範囲をこえて気候が変動したことに対する社会の対応は、時代や地域によって、さまざまだ。

講演でも、政治体制の変革、市場経済の発達、移住、侵略、技術革新、富の再分配、固定社会などの類型が列挙されていた。(最後の「固定社会」というのは、たとえ環境の収容力が数十年間拡大しても人口や産業の規模を拡大しないような規範がある社会をさす。実例があるかはわからないが。)

どのような状況で、社会はどのような対応をするのか、という問題は、プロジェクトの課題というよりも、今後、社会科学あるいは歴史学を専門とする人が、その本来の仕事のうちで、気候の情報を参照しながら、考えていくことになるのだろう。中塚プロジェクトの役割は、乾湿指標(あるいはその将来の改訂版)を、そのような形で使える情報として残すことなのだろう。

文献

  • Edward R. Cook, Paul J. Krusic, Kevin J. Anchukaitis, Brendan M. Buckley, Takeshi Nakatsuka, Masaki Sano, PAGES Asia2k Members, 2013: Tree-ring reconstructed summer temperature anomalies for temperate East Asia since 800 C.E. Climate Dynamics, 41: 2957-2972. https://doi.org/10.1007/s00382-012-1611-x
  • Kenneth J. Hsü, 2000: Klima Macht Geschichte (気候が歴史をつくる): Menschheitsgeschichte als Abbild der Klimaentwicklung. Zürich: Orell Füssli Verlag, 334 pp. ISBN 3-280-02406-4. [読書メモ (2018-07-19追加)]
  • 渡邊 誠一郎, 中塚 武, 智弘 編, 2014: 臨床環境学。名古屋大学出版会。[読書メモ]
  • 山川 修治, 常盤 勝美, 渡来 靖 編, 2017: 気候変動の事典。朝倉書店。[読書メモ]
  • (中国) 中央気象局 気象科学研究院 主編, 1981: 中国近五百年旱澇分布図集。北京: 地図出版社。