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「ユネスコ世界遺産」への日本からの登録について、わたしの断片的な考え

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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いわゆる「ユネスコ世界遺産」について、わたしは専門的に調べておらず、ニュースを追いかけてもいない。また、この制度がとてもよいものだと思っているわけでもないが、すぐ廃止するべきだと主張するわけでもない。

ただし、NHKで2005年から始まった「世界遺産100」という5分間番組 (実際は100件をはるかにこえていた。いつまで続いていたか知らない。)と、2005年から2009年まであった「探検ロマン 世界遺産」という45分番組は、2011年のアナログテレビ放送終了までは、だいたい毎回録画して、見ていたし、その多くはDVDに書きだしてとってある。(番組表による自動録画があったからできたことだった。テレビが全ディジタル化された当初、録画したものを他の機械で再生できるように記録することは不可能ではないものの値段の高い道具が必要だったので、番組を録画する習慣をなくして、今にいたる。) 【なお、それよりも前から民間放送世界遺産に関するテレビ番組のシリーズがあったことは知っているが、わたしはそちらは偶然に見たことはあるものの継続しては見ていない。】

それは世界遺産に関心があったのではなくて、まず世界のいろいろな地域の自然景観を見たかったので世界遺産のうちの「自然遺産」に注目したのであり、また、「文化遺産」に関する番組も、ときには、世界のいろいろな地域の人びとが自然環境に適応し天然資源を利用しているしかたについての知識を提供してくれると期待したからだった。

番組はわたしの関心にこたえてくれたとはかぎらないが、それぞれにおもしろかった。早く紹介されたものは、もとから有名だった壮大な建物などが多かったと思うが、だんだん、世界遺産に登録されたからこそ日本でも紹介されたものがふえてきたと思う。わりあい多くの事例に共通して、次のような主題があり、おそらく(テレビ番組作成者だけでなく)世界遺産の登録を決める人びとの価値観を反映しているのだろうと思った。

  • 人間社会の繁栄には、水を制御すること(治水・用水・排水・節水など)が重要だ。水の制御に成功して文明が栄え、それに失敗して衰退したところもある。【ただし、水の利用の話題には、飲み水やからだを清潔にするための水の場合と、農業のための灌漑用水の場合があり、両者を区別して認識することが必要だと思うのだが、テレビ番組などの一般の人向けの解説ではそこが不充分だと思うこともある。】
  • 都市が繁栄した事例の多くに、宗教・言語などがさまざまな複数の民族が共存して都市社会がなりたっていたことが指摘されていた。必ずしも差別がなかったわけではなく、敵対・排除・弾圧の歴史を含むことも多いのだが、とくに繁栄した時代に、多文化に寛容な社会があったという話題が含まれていることが多かったと思う。【これは、なるべく公平に考えた事実認識としてそうなのか、語る人の願望によって偏った認識なのかはよくわからないのだが、いずれにしても、世界遺産という制度を役だてたい目的として多文化への寛容があるのだろうと思った。】

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日本からの世界遺産の登録で、最初に気にかかったのは、富士山だった。

わたしは富士山を自然の地形として重要だと思っているので、これが「自然・文化の複合遺産」でなく「文化遺産」として登録されたことが、驚きでもあり残念でもあった。そうなった原因の説明のうちで、「ユネスコの自然遺産の審査委員は、自然保護のために人の立ち入りをきびしく規制することを要求するが、それに従うには富士登山をきびしく規制しなければならず、日本社会はそれを受け入れられない」という話があった。それがほんとうに原因だったのかは知らないが、なりゆきの説明としてはいちおう納得できる。日本の行政関係者も自然保護がこのままではまずいことを認識しており、まだ実施されてはいないものの、富士登山をある程度抑制するような規制(たとえば入山料)の構想もあるのだが、その計画を示しても審査委員を満足させるのはむずかしいのかもしれない。

文化遺産としても納得がいかなかったのは、対象物に三保の松原が含まれていることだった。これは富士山と連続していないし、三保を景勝地として成り立たせるには借景としての富士山が重要だろうが、富士山の側から見て三保が必須とは思えない。もし三保を入れるならば、三保と同じように富士山を借景とするほかのところをなぜ入れないか、ということになると思うのだ。たまたま安田喜憲氏の著書(2014年に出た『一万年前[読書メモ])を読んだら、安田氏が三保を含めるように積極的に運動したことを知った。安田氏によれば、三保の伝説の天女は富士山の化身とされているのだそうだ。しかし、静岡県で学校教育を受けたわたしは、三保の羽衣の伝説についてはいろいろな本で読んだけれども、どれにも天女が富士山の化身だと書いてあった記憶はない(正確に覚えているわけではないので、書かれていなかったと主張するわけではない)。伝説の天女は羽衣で直接に天にのぼっていくので富士山が出てくる必然性はないと思う(しろうとのわたしの主観にすぎないが)。

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石見銀山が登録されたのは、わたしにとって意外だった。しかし話をきいてみると、17世紀当時の世界の貿易にとって銀が重要であり、日本は(いわゆる鎖国の状態になってもその初期には) 銀を輸出して他の物品を輸入する国であり、世界に対する銀の供給者だったのだ、ということで、「世界」の産業遺産としての重要性はあるのだとわかった。また、世界の鉱山開発の多くが露天掘りで激しい環境破壊になるのに対して、石見銀山は環境への影響を比較的おだやかにおさえることができたことも、今の世界に対する参考例としての意義もあるのだと思った。

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2015年に「明治日本の産業革命遺産 -- 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が文化遺産として登録されたこと自体は、わたしはもっともだと思った。「産業革命」つまり化石燃料による動力を利用した産業を主軸とする社会の形成は、西ヨーロッパで始まったが、ヨーロッパとはちがう文明伝統をもつ人びとによって実現した最初の例として、日本での実現過程をとりあげることには意義があるだろう。日本の産業革命は繊維などの軽工業から始まったのだと思うが、富岡製糸所がすでにとりあげられているから、今回は製鉄をはじめとする重工業とそれに必要な石炭の産出を中心とすることも理解できる。

世界遺産」は具体的な物を登録するから、主題でまとめるのか、地域でまとめるのかの判断はむずかしいところだと思う。提案段階で「九州・山口」の地域でまとめていたのが、審査の段階で提案を変更し、いくらかは他の地域の物も含めている。

(地域として、八幡製鉄所筑豊炭田を含む九州北部を中心としたことはもっともだと思う。山口県を含める必然性はなかったと思うが、佐賀県とともに、幕末時代の物も対象としたいという動機があったことを前提とすれば、ありうる選択のうちではあったと思う。)

ただし、松下村塾が含められたことは、わたしは、含まれるべきでなかったものが、だれかの意図によって押しこまれてしまった、という印象をもっている。

萩の反射炉が含まれている。(なお、静岡県韮山反射炉も含まれているし、佐賀につくられた反射炉についても入れることが検討されたが遺跡が残っていないのであきらめたという話も見た。) 幕末に導入された反射炉(reverberatory furnace)という技術は、その後、転炉に負けてすたれたものであり、産業革命に向けた流れとしては重要でないと思うのだが、日本が西洋からの技術を導入した過程の記録として重要だという立場は理解できる。

松下村塾が、「萩の反射炉をつくった人びとがその知識を得た場」であるという証拠があるのならば、産業革命遺産の一環に含める立場は理解できる。しかし、わたしの理解では、一部分の人物が両方にかかわっているという程度の関係であり、それが正しければ、これを含めるのは無理があると思う。

おそらく、産業革命の遺産を登録したい人びとのほかに、明治維新という政治変革、あるいはいわゆる鎖国から開国への社会変革の遺産を登録したい人びとがいたにちがいない。そのような観点のユネスコ文化遺産も可能かもしれない。しかし、その主題で具体的にどの物を登録するかとなると、人びとの合意を得るのはむずかしいだろう。松下村塾を持ち出すのは、おそらく、明治維新での長州藩の働きを重視する人びとだろう。

わたしは、産業革命遺産に松下村塾を含められたのは、明治維新とくに長州藩の働きの遺産を登録したい人の意向がまざって、提案がゆがめられた、という疑いをもっている。さらに、そこに山口県出身の与党政治家が影響をおよぼしていることがありそうだと思う(必ずあると主張するわけではない)。

しかし、産業革命遺産をユネスコに提案したこと自体は、(ユネスコ自体が政治的だという意味では政治的だが) 日本の政治によってゆがめられたとは思っていない。

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あえて、きょう(2017-09-03)の数日前から話題になっている時事的な件に即して、わたしの意見を述べる。

  • 産業革命遺産」の登録をめざす基本的流れについて、安倍総理大臣を含む政治家集団による圧力が働いたと疑うことは、合理的でないと思う。
  • しかし、「産業革命遺産」に松下村塾を含めたことについて、安倍総理大臣を含む政治家集団による圧力が働いたと疑うことは、合理的な疑いだと思う。(必ずしも圧力が働いたと決めつけるわけではなく、事実関係の解明を求めたいという意味で。)

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産業革命遺産については、韓国から、炭鉱などで朝鮮人の徴用労働があったことが問題にされた。植民地支配や民族問題にわたる議論はむずかしい(のでわたしはここでは逃げてしまう)が、産業革命には過酷な労働が伴っていて誇れることばかりではなかったのであり、それも含めて記憶に残すという意味での「遺産」なのだと思う。

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日本(政府)は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」も文化遺産に指定されるよう推薦しようとしたが、ユネスコの審査にはいる前のICOMOSの判断で改訂が必要とされ、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として推薦準備中だそうだ。

これよりも産業革命遺産が優先されたことについて、政治的圧力があったと推測する人もいるようだが、わたしは、これがあとまわしになったのは順当だと思う。

文化的少数者・弱者の文化が見えるようにしていくことは、ユネスコのたてまえとしても、世界遺産の審査にかわわる人びとの意志としても、重要だとされていると思う。

しかし、弾圧や抵抗の記録を持ち出すと、またあらたな反感をもたらすおそれもある。そうならないためには、じゅうぶんな配慮が必要だ。それで、世界遺産に登録されるものは、多文化が共存していた実績のある場が優先される傾向があるのだと思う。

また、日本では「キリスト教徒の遺跡を指定することには世界のキリスト教国の人びとが賛同してくれるだろう」というような話も聞かれたが、そのようなあまいものではないと思う。

キリスト教徒は、日本では少数者だったが、近世・近代の世界の多くのところで強者として他の文化の人びとを抑圧してきた人びとを含んでいる。「少数者としてのキリスト教徒」の歴史の題材を提示し、そこに世界から人びとを迎えるのには、じゅうぶんな準備が必要だと思う。キリスト教を弾圧した体制や多数者についての現代日本による評価の記述は、キリスト教徒を自認する人の反発を招いてもまずいし、多文化共存の観点をもっている人から見て考えの浅いものでもまずいだろう。

しかし、(わたしの得ている情報が狭いとは思うが) 日本側でそのような意味での準備ができているとは思えないのだ。これを世界遺産に登録することが前に進むことならば、ゆっくり進むしかないと思う。

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宗像大社沖ノ島の件について、わたしは、いまも宗教施設として使われているものについての記述に、その宗教団体による認識、その地域の住民による認識、国や地方自治体の公式な認識、歴史学や考古学などの学術的認識が必ずしも一致しないとき、どれをどのように優先するかのむずかしさがあると感じた。(同様なむずかしさはどんな文化遺産についてもあるのだと思うが、とくに現役の宗教施設の場合に大きいと思う。) 記述の問題だけでなく、今後の運用、たとえば修復・改築や訪問者受け入れのルールづくりなどの方針にかかわる問題になりうる。