macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

いわゆる「放射能の のろい」の件: 不確かな危険についての知識共有の問題

【この記事の最初の状態は2017-08-20にツイッターに書いたものです。その後、書きかえて、ツイッターと一致しなくなるところもあるでしょう。論旨が変わる場合は、どこをいつ書きかえたか明示しますが、補足や明確化の場合は必ずしも明示しません。】

- 1 -
放射線ひばくによる健康被害に関する言説について、A氏たちが、X氏たちの発言を「のろい[注]」という形容をしながら批判を続けている。Y氏たちが、そのA氏たちの言動を批判している。という構造のことが起きている。

  • [注] 「呪い」と書かれることが多いが、この文字列は「まじない」と読む場合もあるので、わたしは ひらがな書きにする。(「遅い」の意味の「のろい」ではない。)

この件には、一定の主張をもっている人たち(A氏たち)が、発言をくりかえしているうちに、なかまうちで通用する言いまわしが固定してしまい、他の人(Y氏たち)はその用語を違った意味で受け取って発言を解釈するので、対立を深めている、という構造があると思う。

- 2 -
危険がある可能性があるが、その危険の大きさの不確かさはとても大きい、という状況はあちこちにある。放射線の低線量ひばくによる発ガンなどの確率的影響はその例だ。確率的影響が確かにあるとしても、運がよい人は放射線をあびても発ガンしないですむかもしれない。

一方で、不確かな危険があるとき、危険の大きさの見積もりの大きいほうに重点を置いて考えることは、社会が危険を避けるために意義がある。いわゆる予防原則(「事前警戒原則」と言ったほうがよさそうだ)は、このような理屈だ。

他方で、薬の有効成分がなくても薬を飲んだことでききめが生じる「プラセボ効果」の逆向きで、有害物質が実際に作用しなくても有害だという認識が健康をそこなう「ノセボ効果」がある。放射線をあびてしまった人に、危険の大きさの見積もりの大きい側だけ伝えることは、健康被害を与える可能性がある。

このような不確かな危険の情報の出しかたはとてもむずかしい。政策決定向けと当事者向けを使いわける必要もあるだろう。しかし、(現実は必ずしもそうなっていないが) 政策決定に当事者の意志も反映されるべきでもあるから、両者を切り離すこともできない。

- 3 -
ノセボ効果ということばは広く知られていないので、「のろい」という表現がされた。その表現の当初の意味は、「物質ではないが毒と同様に健康に害を与えることば」という意味であって、そのことばを発する人に悪意があるという想定を含んでいなかったと思う。

【なお、「のろい」という表現は比喩あるいは意味の拡張であって、そのことばを発することが宗教的あるいは呪術的な行動だという意味も含んでいなかったと思う。まずこの点で、受け手が宗教や呪術について考えている場合には論旨がうまく伝わらないという問題もあったと思う。】

- 4 -
ところが、ノセボ効果をもたらす発言が長く続けられたので、それを受けて怒る人びとの間に、発言者が悪意をもっているという疑いが強まったのだと思う。想定された悪意は、たとえば「原子力利用反対などの政治的主張を実現するためには、被災地で健康被害が出たほうがつごうがよい」、あるいは、もっと利己的な「自分が書いたものが売れるためには、被災地で健康被害が出たほうがつごうがよい」、などというものだ。【ここのかぎかっこは実際の発言の引用を示すものではない。】

わたしは、このような悪意を読み取ることに賛成しない。しかし、悪意を読みとってしまった人に対して、敵対的に応じたのでは、問題解決が遠のくばかりだと思う。不確かな危険をどう伝えるかのむずかしさに立ちもどって、共通認識を得る場をつくっていくしかないと思う。

- 5 -
放射能の件ほど急性の被害がないから話題になりにくいけれども、地球温暖化などの地球環境問題の不確かな危険をどう伝えるかにも、同様な問題があると思っている。