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「特区」で獣医学部新設を認めるか? という政策課題について思うこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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これは、[2017-06-18 このブログの記事の性格 (2)]でふれたうちの、時事的な問題についての記事だ。こういう記事を書くうえでわたしが悩んでしまうことは、そこに書いた。

わたしは、獣医学の専門家でもないし、大学行政の専門家でもない。しかし、大学の専任教員の経験者であり、今も非常勤や客員として大学とかかわっているという、経験にもとづくいくらかの専門性はある。また、科学技術政策を考えることを仕事にしていた時期もある。そういう位置から、だれでも述べられるのとはちがうことが言えることはあると思うので、ブログ記事にしてみることにした。

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加計(かけ)学園が岡山理科大学獣医学部愛媛県今治市に新設したいという大学設置申請をして、その審査が進んでいる。

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【この第3節は、このブログ記事にとっては わきすじ だが...】

この状態を、「もう設置が事実上内定した」ととる人も、「実質的にもまだ決定ではなくこれからの審査で決まるのだ」ととる人もいるようだ。わたしは、どちらの極端でもないと思うが、その幅のうちのどのあたりかはよくわからない。

大学設置の審査は、ふつう、申請者と文部科学省(の官僚)との間で詳しい事前調整があり、それがすんでいれば形式的になる。これは官僚による行政指導が実質的に規制になっているとして批判されることもあるが、国が品質保証する公共的サービスについては、規制も必要と考えられる面もある。

学部の種類は問わず、大学設置認可については、学生が入学してから大学がつぶれることで学生に対して迷惑をかけることを予防すべきだという考えが、自由競争が望ましいという考えよりも優先される、ということは、近代国家共通に、ありうることだと思う。

さらに、大学設置についての日本の現状は、申請段階で、建物の建設や、教員の採用(内定)まで要求するので、そこまで投資したのに認可されないというのは異常事態と思われるのも当然と感じられる。わたしは、審査を実質的にするべきだと思うが、それならば、机上の計画の段階で審査を進めて、仮合格になってから建物や教員の準備を要求するように、制度の運用を変えるべきだと思う。

今回の獣医学部新設の件は、「国家戦略特区」というしくみで、内閣府が担当して、文部科学省の慣例を破るものなので、内閣府でも文部科学省でも、大学設置の条件がととのっているかどうかの事前調整はじゅうぶんされていないと思う。もしそうならば、慣例とちがって、審査で落とされることがあってもおかしくない。ただし、内閣府側が強すぎると、事前調整はしないまま、審査は形式的になるかもしれない。それで、規制緩和論のいう意味での規制が弱められるのはよいとしても、(ここでは獣医教育という)サービスの品質についての公共的チェックがゆきとどかない心配があると思う。

【[2017-06-24補足] おおざっぱに「サービスの品質」とまとめてみたが、サービスの受益者以外の公衆への影響もありうる。申請された獣医学部の計画には、感染などの危険があるので環境から隔離する必要のある生物実験のための設備の計画が含まれていて、その安全性への配慮が不足しているのではないかという批判がされている。わたしはそのよしあしを判断する材料をもっていないが、大事な論点だとは思う。ただしこれは、まとまった計画を承認するかしないかの段階でなく変更可能な段階で検討すべきだったことで、それこそ事前調整の必要性を示すものだと思う。】

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【話は第2節から続く】

ところが、この件は、安倍総理大臣の友人に便宜をはかるように行政がゆがめられているのではないか、という疑いが出てきた。

他方、そういう批判こそ、文部科学省の官僚機構(あるいは官僚であった個人)の、あるいは、すでに獣医である人びとの職能集団の、利害によって、行政をゆがめるものだという、逆向きの批判も聞こえる。

この件について、2017年5月ごろからこれまでにわたしが見かける議論は、賛成か反対か、二項対立になりがちだ。しかし、その個別の件についての結論が同じ人びとのうちでも、論拠がちがうことがある。たとえば、次のA1とA2は、この件の方針では一致するが、政治責任に関する見解ではぜんぜんちがう。B1, B2, B3も、加計学園の申請に対する方針では一致するが、その次にどうするかについての考えはちがう。

  • A. これは国家戦略特区としては正当な行政決定であり、あとは(獣医学部特有でなく通常の)大学設置認定の審査をして決定すればよい。これを止めるのは、官僚による規制が強すぎる行政であり、あるいは、すでに獣医である人びとの既得権に行政がひっぱられることであり、よくない。
    • A1. 今治市を特区とすることは、前(民主党政権時代)から提案されていたものであり、特区に関する行政としては正常な手続きで進んできた。安倍総理大臣その他の政治家の圧力によって政策が変化したわけではない。(なお、京都産業大学の提案については、あとから出てきたものなので、同列に比較する必要はない。)
    • A2. 規制緩和が必要である。省庁の官僚にまかせたのでは規制が緩和されない。政治家主導でやる必要がある。首相官邸あるいは内閣官房あるいは内閣府が主導して大学設置認可の慣例を破ったのは正当な政治だ。特区は規制緩和を試みるために例外を認める制度で、そこでは形式的公平性の優先度は下がる。(特区制度の筋としては、今治を成功例として、他のところでもできるように獣医学部設置の制度が変わっていくのが望ましい。しかし特区は試行錯誤的な性格もある制度なので、今治1件の試みで終わることをも許容する。)
  • B. 加計学園の大学設置を認めるべきでない。(申請させるべきではなかった、あるいは、きびしく審査するべきだ。)
    • B1. 獣医は不足していないので、全国の獣医学部の合計定員をふやすべきではない。どこかで同規模の定員減がないかぎり獣医学部・学科の新設を認めるべきではない。
    • B2. 加計学園京都産業大学を同列に審査するべきだ。京都産業大学の計画のほうが研究・教育の体制がすぐれているので、おそらくそちらを認可することになるだろう。(地理的立地の空白域に追加すべきだという理屈に対しては、獣医は大学の近くに就職する傾向は強くないことで反論する。)
    • B3. 私立大学からの設置申請を受け身で審査するのでなく、公共にとって望ましい獣医教育体制を設計し、実現させる政策をとるべきだ。

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わたしの意見は、4節の分類でいえば、B3 だ。

【[2017-06-20補足] Bの類の政策をとると、国の行政の方針が変わることによって、すでに準備を始めている加計学園今治市のあてがはずれるので、国からなんらかの補償が必要になるだろう。どんな補償が正当かを決めるのはむずかしい問題で、裁判が必要かもしれないと思う。】

獣医は、日本の総人数では不足していないようだが、職種別、地域別に見ると、不足しているところがある。職種としては、公共部門で不足している。畜産行政、食品衛生、公衆衛生(人畜共通感染症など)、野生動物管理などに関連する業務がある。

ただし、獣医の人数をふやすのではなく、検査技師などの別の資格をつくって、その資格の人をふやせばよいという考えもある。

公共部門の獣医の不足を解消するには、獣医の養成よりも、公共部門の獣医の待遇改善が重要だ、という主張はもっともだと思う。

ただし、もしかすると、公共部門への就職を条件とする教育機関(いわば、自治医大と同様な、「自治医大」のようなもの)をつくるべきなのかもしれない。

なお、獣医に関しては、国際化の必要性が話題になっている。渡り鳥、感染家畜の輸送など、国境をまたがる問題もある。そして、外国へ支援に行く人が必要になることもある。獣医は、世界の動物に関する課題に関する知識をもつべきだし、日本での資格が外国でも共通に通用することも望ましい。ところが、日本の多くの獣医学部・学科は、外国の同様な教育機関の現状に比べると、教育内容が貧弱なのだそうだ。それを補うために、国立大学では複数大学による「共同獣医学科」がいくつもつくられているが、各大学ごとにやっていた状況からの実質的変化は小さい。

ここで求められているような高度な教育を、申請が出ているような孤立した新設学部ですることは困難だろう。農学部や医学部をもつ大学に獣医学部を増設するべきではないか、という意見も聞かれた。

わたしは、[2016-04-12 学術ディシプリンがそれぞれ全国センターをもつべきだろう][2016-10-09 日本社会が縮むことへの適応を考えよう (学術研究体制についても)]の記事で述べたように、各専門分科が全国センターをもち、全国センターが各地に分散した教育課程を支えるような体制にするべきだと思っている。

獣医養成という課題に対しても、獣医学の全国センターをつくるべきだと思う。全国センターに、獣医学やそれにかかわる公共的課題の情報を集める。各獣医学部は、それぞれの弱い分野の教育を、全国センターによって補足する。また、それぞれの強い分野について、全国センターを支援する。獣医学の指導者を養成する博士課程は、全国センターを本拠とする連合大学院にするべきかもしれない。

全国センターは、国立・公立・私立大学が共同利用する機関となる必要がある。農研機構との連携も必要と思うが、基本機能は大学教育支援なので、文科省傘下の国立大学共同利用機関または国立大学法人の中に置くか、国立・公立・私立の大学をメンバーとする組合として組織するべきだろう。現実的には、どこかの国立大学の獣医学科を母体として、他の大学の獣医学の教員も加わることによって陣容をととのえるべきだろう。

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獣医教育の制度設計については、次のような重要な分かれ道がある。

  • (ア) 獣医学部は学生がすべて国家試験を受けて獣医の資格をとることをめざす人だと想定してカリキュラムを組むのか? (現状はこちらだろう)
    • 獣医という職種の労働需給と、大学の獣医学課程の学生定員の設定とが、密接につながった問題になる。
      • 獣医学課程の新設を認めるとしても、その数をしぼることが合理的といえるだろう。
  • (イ) 獣医学の知識を得るが獣医以外の職業に進む人もいることを想定するのか?
    • 労働需給と学生定員との連関は弱くなる。
      • 獣医学課程の新設の規制はしない (基準に適合していれば認可する)のが合理的といえるだろう。

【[2017-06-25補足] (ア)は規制された社会であり、(イ)のほうが自由があってよいような気もする。しかし、(イ)の政策をとると、社会全体としては、獣医として働く人よりもたくさんの人数の人に、獣医養成と同等な教育を与えることになる。獣医教育が一般の大学よりもひとりあたりで資源をたくさん使うとすれば、これは(ア)よりも資源を多く消費する政策になりそうだ。これは、規制緩和が全体として得とは限らない例ではないだろうか? また、その費用の大きな部分を獣医になりたい個人(実際はたぶんその親)に負担させることは、貧しい人の職業選択の可能性を狭めることになり、まずい政策だろう。わたしは必ずしも(ア)がよいとは思わない。しかし総定員を適切に設定するなんらかの政策が必要と思う。】

【[2017-06-24補足] 6月24日、総理大臣が、獣医学部の件では特区の適用範囲を全国に拡大して、多数の申請を受けつけるようにしたい、という趣旨のことを述べたそうだ。これが本気だとすると、つじつまのあった獣医教育の政策は、わたしのいう(イ)のようなものでなければならないと思う。((ア)を続けながら多数の新設を認めると、ひとまず獣医として職につけるという期待をもってしまい、それが裏ぎられて政治にうらみをもつ浪人が多数生じるので、政権の立場から見て得策でないと思う。) しかしまだそういう政策判断はなされていないようだ。

わたしはむしろ、全国をひとつの「特区」(とても変な言いかただが)とみなすことによって、全国センターとなるいわば「スーパー獣医学部」をひとつつくることに向かうべきだと主張したい。(それをふつうの私立大学の設置申請を承認する形で実現することは不可能だろう。何千億円もの見返り要求なしの寄付を継続して受ける見通しがあるならば別だが。) 】

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獣医学部新設の話題に関連して、唐木英明氏の名まえを見かけた。

わたしは唐木さんの名まえを、2010年当時の日本学術会議の副会長として知っていた。Inter-Academy Council (IAC)がIPCCの運営のしかたをレビューすることになった(その話題は当時このブログに書いたがリンクは省略する)際に、IACに参加する機関である日本学術会議はどう対応したか、学術会議事務局にたずねたら、国際課題担当の副会長として唐木さんがIACの会議に出席したという情報をもらったのだった。ただし唐木さんが具体的にどう発言・行動したかは聞かなかった。また、唐木さんが(地球環境科学や科学技術政策の専門家でないことは確認したのだが、それ以外の)何の専門家かは気にとめなかった。

最近のニュースで、唐木さんが獣医学者だということを知った。さらに、加計学園に所属していたことがあると知って驚いた。(日本学術会議の副会長を退任したあと) 2011-2013年に、倉敷芸術科学大学の学長をつとめている。いま出ている設置申請には関係していないらしい。

唐木さんは2003年まで東京大学教授だった。獣医の資格を持っているが、基本的には大学で獣医学教育をしてきた人だ。そして、2001年に『獣医学教育の抜本的改善の方向と方法に関する研究』という研究報告書を出している。題名から推測すると、狭い意味の科学研究ではなく、制度改革の構想を練る仕事だったようだ。

学術会議副会長の仕事は、国の公職ではあるが、官僚ではなく、しかも非常勤だろうから、唐木さんの倉敷芸術科学大学学長への転職は、制度的な意味でのいわゆる「天下り」には含まれないだろう。学長に選ばれた理由が、獣医学と関係があったか、単に学術全般に対する見識を期待されたのか、わたしは知らないが、加計学園が獣医学教育を本気でやりたいのでそのビジョンを描ける人を採用したのならば、学校法人を評価する立場からみれば、よいことだと言える。しかし、認可行政に影響を与えられそうな人だから採用したとすれば、まさに実質的な意味でのあしき天下りだ。ビジョンを描けることと行政に影響を与えられることは、同じ人が兼ね備えやすい能力なので、価値判断がむずかしい。おそらく、この就任が悪いとは言えず、行政の側が見識と利害とをよりわける必要があるのだと思う。

歴史を巻きもどせるならば、唐木さんを個別大学にとられるまえに学術会議で(常勤でなくてよいと思うが実質的な労働時間を)確保して、内閣が学術会議に「獣医教育改革と公共獣医人材確保の案をつくれ」と諮問して、その案にもとづいて文科省農水省総務省(地方自治体の役割設定)を動かすべきだったと思う。アメリカ合衆国ならばNational Academies (旧制度ではNational Academy of Sciences, National Research Councilなど)の仕事だ。

今からでも、そのようなことをやるべきだと思うが、案づくりのまとめ役は、加計学園と利害関係ができてしまったあとの唐木さんでは、結論に信頼を得ることがむずかしいだろう。別の人がまとめ役になって、唐木さんには参考人として意見をもらうべきだろう。