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「コンピュータ シミュレーションの科学論」研究会に参加して考えたこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2017年3月27-28日、「コンピュータ シミュレーションの科学論」研究会に参加した。わたしが話した内容については[2017-03-28の記事]のリンク先ページに書いた。

この研究会の顔ぶれは、シミュレーションを実際に使っている科学分野の人(その内わけも理学、工学、社会科学などさまざま)と、科学という活動を対象として考えている科学論(科学史、科学哲学、科学社会学、科学コミュニケーション)の人を含む、とても多様なものだった。わたしにとっては初対面の人が多かった。そのわりには話がかみあっていたと思うが、それはおそらく、大部分が主催者の有賀さんのほうから声をかけた人であり、有賀さんが接点を知っているからなのだろう。

それにしても、研究会の話題をまとめて論じることはむずかしい。

ここでは、この研究会の話題そのものではなく、それをきっかけにわたしが考えたことを、いくつか書き出してみる。(討論中にちょっと話したがじゅうぶん説明できなかったことを含む。)

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シミュレーションはコンピュータによるものだけではない。(囲碁や将棋が戦争か何かのシミュレーションだったかはともかく、現代に考案されたものでも) 板の上に人が駒を置くことで進めるシミュレーションもあるのだ(最近は同じ理屈をコンピュータ上で実現することが多くなったが)。

数値天気予報の研究も (アメリカでは電子計算機を使いはじめたが日本ではまだだったころ)、手計算(筆算、そろばん、手まわし計算器)も使ったし、図式解法(等値線図を重ね合わせて変化量を読み取るとか、積分を図形の面積をはかることで実現するとか)も使った。

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コンピュータ シミュレーションもいつもそう呼ばれるわけではない。

有賀さんが日本語圏の本の題名や雑誌の特集の題目などを調べたところでは、「シミュレーション」は1960年ごろからあるが、そのころの対象は、OR (operations research)や経済学など人間の行動や社会に関する分野がおもだった。自然科学・工学でも、今から見ればコンピュータ シミュレーションと言える仕事があるが、それはたとえば「数値実験」「計算機実験」などと呼ばれていた。

この件は用語の出現件数の時系列を調べるべきだろうと思うが、ひとまずわたしの感覚で述べると、おそらく1970年代後半ごろから、シミュレーションと言えば自然科学・工学が主である時期があり、今も続いているが、近ごろは人間社会に関するものもまたふえてきたかと思う。

ともかく、コンピュータ シミュレーションについて考えたいときには、シミュレーションという語の検索にかかったものを見るだけではじゅうぶんでなく、自分がコンピュータ シミュレーションだと思うものがほかの用語で表現されている場合もおさえておく必要があるのだ。

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日本語圏の地球科学では、気象以外の対象のコンピュータ シミュレーションが活発になったことに関しても、「シミュレーション」という表現が使われたことに関しても、島津康男さん(当時 名古屋大学 理学部 地球科学科 教授)の1970年代の仕事の重みが大きいと思う。島津さんは研究室の標語として「SMLES」をかかげ、これは seamless earth science でもあり、simulation earth science でもあると言っていた。

島津さんとその弟子たち以外の地球科学者にも、これをきっかけにシミュレーションを始めた人がいると思うのだが、シミュレーションということばを積極的に使ったか、むしろ島津さんとは一線を画す意味で別の表現をしたか、わたしはよく知らない。

わたしは島津さんのシミュレーションの仕事を、『自然の数理』(島津・岸保・高野, 1975)という本で知った。この本は分担執筆で、岸保(がんぼ)さんのところは数値天気予報や大気大循環モデル、高野さんのところは海洋大循環モデルについての、発端から執筆当時の到達点までの総説だ。(わたしにとって、この本がその主題への入門だった。)

島津さんの仕事の遍歴は、1983年までは、『国土学への道』(島津, 1983)にまとめられている。【なお、この記事を書きながら検索したら、科学史家の山田俊弘さんによる論考(山田, 2015)を見つけた。まだよく読んでいないが、今後検討したい。】

島津さんはもともと固体地球物理を専門にしていた。1960年代のおもな仕事は、地球形成以来の地球内部の成層構造や温度鉛直分布の変遷(「地球の進化」と表現したこともあったがDarwin型の進化ではない)の、物理法則に基づく計算だ(それをシミュレーションと言ったかどうかは未確認)。

1970年代には人間にとっての地球環境問題に関心を移し、大気水圏・生態系・人間社会を含むシステムのシミュレーションに取り組んだ。地球全体の環境をマクロにとらえるものが多かった。『自然の数理』の島津さん担当部分では進行中のその研究の紹介が重要な位置を占めている。そのほか、地形の形成のシミュレーションや、生態系の個体数動態モデルの例としてのVolterra-Lotkaモデルを変形したものなどが紹介されている。

1980年代の島津さんは、環境アセスメントや防災などの、それぞれの地域でローカルな課題に取り組む「環境の現場監督」を養成することに関心を移した。

自然の数理』のマクロな環境モデルのところでは、『成長の限界』 (Meadowsほか, 1972)も論じている。ただし島津さんはその本が出る前から、そのもとになった Forrester の World Dynamics などに関心をもち、同様なことを考えはじめていたらしい。

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シミュレーションは、対象によって、あるいは取り組む専門集団によって、性格が違うところがあると思う。

気候モデル(大気・海洋大循環モデル)と、『成長の限界』 のWorld Dynamicsモデルを念頭に置いて、シミュレーションの目標設定として、現実世界の定量的近似を重視するか、(定量的モデルであっても)むしろ定性的類似性をめざすか、という分かれ道があると思った。ただし中間もあって連続分布なのかもしれない。

気象や気候システムの詳しいモデル(大循環モデル)では、現実のシステムが従う物理法則を精密に表現するほどよいとされる。空間分解能を高くしたりparameterizationから直接表現に変えたりすることが進歩とされ、それは計算機の能力が高まるにつれて可能になってきた。そして、現実とよく対応する条件を与えてシミュレーションすれば、結果も定量的に現実に近いことが期待される。そしてモデルが詳しくなるほど近似がよくなることが期待される。

ときには、モデルを詳しくすると結果の現実への適合が悪くなることもある。それへの対策も、物理法則をよりよく近似する道をさぐるのが本道とされる。(1980年ごろ、大気モデルの空間分解能を上げて温帯低気圧の表現がよくなると、北半球温帯の西風が強くなりすぎた。原因は(当時のモデルの格子間隔よりもやや小さい空間規模の)内部重力波が表現されていなかったことだとわかってきた。ひとまず、それが平均の西風におよぼす効果をparameterizationで入れることがモデルの改良となった。)

成長の限界』のモデルは、現実の世界の精密な定量的近似をねらったものではないのだと思う。資源が有限なところで経済活動の限りない成長は不可能なのはシミュレーションするまでもなくあたりまえだ。政策を考える人に対して示唆があったのは、どのように行き詰まるかの複数の類型が示されたことだと思う。パラメータの値を変えると、資源不足で行き詰まる場合と、環境汚染で行き詰まる場合が生じた。また、その本に書いてあったかどうか覚えていないのだが、静かに減衰していく場合もあるし、激しく変化した末につぶれる場合もある。これは定量的な計算ではあるが、定性的に現実との類似性を考えるシミュレーションだと思う。

「『成長の限界』の予測ははずれた」とよく言われる。現実の人間社会・環境結合系の定量的予測とみなせば、確かにはずれたのだと思う。しかし、このモデルによるシミュレーションははじめからそのような「あたり」をめざしていなかったのだと思う。そして、その基本の形を変えずに詳しくしていくことでは定量的な予測に近づかないだろうと思う。(経験則を使ってごく近い将来の予測精度を上げることはできるだろうが。)

気象・気候システムは、物理法則がしっかりしている。物理法則があまりしっかりしていなかったり定式化がむずかしかったりする系(生物、人間社会、固体地球)との相互作用が(ないわけではないが)小さいので、それをひとまず無視して現実との定量的類似性を考えてよい。まず微分方程式で表現された物理法則に基づく連続体のモデルを想定し、それをなん段階か近似して、離散化された数値モデルを構築する。連続体のモデルのままで実際に計算をすることは不可能だが、理想としてのそれを保ったままそれへの近似を改良することによって仕事が進んだ。これは、気象・気候のシステムがもつ特徴からくる幸運なのだと思う。(7節で述べるNorton & Suppeの議論は、気候の連続体モデルと離散モデルの2段階の構造を前提としているところがあり、他の対象のモデルにそのままではあてはまらないかもしれない。)

近ごろ、IPCC第3作業部会がらみで、気候・経済結合系の統合評価モデル(代表例はNordhausのDICEモデル、[Nordhausの著書の読書メモ]参照)によるシミュレーションがよく行なわれる。その結果の数値が定量的に(社会要因の不確かさが大きいので「予測」とは言いがたいがそれに似たものとして)使われているのを見る。しかし、統合評価モデルは『成長の限界』のモデルと同じではないものの同類であり、定性的類似性しか議論できないのかもしれないと思う。

今後、気候変化に伴う移住や農作物の変更などを考えるためには、agent-basedのモデルによるシミュレーションをすることも多くなると思うが、その結果を定量的に現実と対応させることもむずかしいだろうと思う。

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現実と定量的にあわせられるモデルを使う分野のうちでも、使う人の価値観の違いがある。研究会で紹介された、天文学を対象とする科学社会学の研究を参考にして、realistic派とidealized派と言うことにしたい。気候シミュレーションの場合はこのようになる。

Realistic派は、観測と定量的に合うこと、観測された現象の特徴を再現することを重視する。境界条件、たとえば地形はモデルの分解能の限りでなるべく現実の地球に近くしたものを基本とする(それを意図的に変えた実験をすることもあるが)。

Idealized派は、対象を理論的に理解することを重視する。境界条件、たとえば地形は理屈がわかりやすい形、たとえば全部海、半分海で半分陸などのような形を与える。

(これは連続分布だろう。真鍋さんは、比較するあいてによってどちらとも言える。[2013-07-05の記事]で紹介したShackley (2001)の対比では、真鍋さんはidealized側にいる。)

昔(1980年ごろまで)、気象には「モデル屋」と区別して「理論屋」と呼ばれる人たちがいた。彼らは、解析解や摂動法を使い、あまり数値シミュレーションをしなかった。今では、気象の理論家の大部分は idealized なシミュレーションをする。「理論屋」と「モデル屋」が同じになったわけではないが、両者の関係は連続分布になっていると思う。

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伊勢田さんの話によれば、科学哲学では、モデルやシミュレーションへの関心は、Mary Hesseの1960年代の仕事はあるが、多くの人がとりくんだのは1990年代からだそうだ。[2013-06-26の記事]で紹介したNorton & Suppe (2001)は、この主題をとりあげたうちでは早い研究例だそうだ。

シミュレーションを対象とした近ごろの科学哲学の研究では、地球温暖化にかかわる気候のシミュレーションが話題になることが多い。政策に使われるため、信頼できる知識なのかが問題になるのだ。問題にする人には、懐疑的な人もいれば、信頼できる根拠を示したい人もいる。そういう動機はわかるのだが、シミュレーションや(それに使われる)モデルの一般論を考える材料としては特殊かもしれないと思う。気候モデルと統合評価モデルの両方を見ることをおすすめしたい。

Oreskesほか(1994)は、モデルによる知識は信頼できないと言っているようだが、Oreskesさんの2004年ごろ以後の言動は、気候モデルによるシミュレーションの結果を(なんらかの意味で)信頼しているようだ。考えが変わったのだろうか。あるいは、1994年の論文で論評されたおもな対象は、放射性廃物処分場のアセスメントに使われる地下環境のモデルなので、気候モデルとは状況が違うということなのだろうか。

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1990年代の大気海洋結合気候モデルで使われたflux correctionの件をどうとらえるか。

当時の気候モデルで数値実験をすると、大気・海洋のそれぞれを他方の状態を境界条件として与えた場合はうまくいくのだが、結合すると温度がずれていく(driftする)という結果が生じた。結合モデルによる予測型シミュレーションの結果をいつまでに出したいという期限があったので、ひとまず、エネルギー保存という理論との適合よりも、温度の観測への適合を重視することにした。温度の長期変化傾向を観測事実に近づけるような補正を追加し(部品として簡単な経験的モデルを追加したととらえることができる)、観測事実との比較ができない条件のシミュレーションにもその補正を引き続き使った。

気候モデルで本来いちばん重要である(と考える人が多い)エネルギー保存則を破る補正の追加である。また、物理法則に基づかない経験的補正では、過去の観測事実の再現に有効な補正が、将来の条件でも有効である保証はない。したがって、同業者のうちにも、また状況を理解している専門外の人のうちにも、それを含めた研究の成果にまったく意義を認めない人もいた。

モデルの長期的発展としては、flux correction なしに温度がずれないのが望ましい。実際、その方向に改良された。今では温暖化予測型シミュレーションで大気・海洋間の大規模なflux correctionはしていない。

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大気や海洋のデータ同化では、観測値と予報値を統計的に組み合わせて「解析値」をつくり、それを初期値にして予報を進める。予報値の使われかたが再帰的である(ただし対象時刻が変わっていく)。同化の最初までさかのぼると、根拠があやふやな初期推定値(initial guessまたはfirst guess)に頼っている。しかし新しい情報がとりこまれるにつれて初期推定値の影響は薄れていくはずだ(そのように同化システムは設計されている)。

知識の基礎づけ主義に立てば、同化プロダクトは、観測からも理論からも正当化されないだろう。

しかし、知識は逐次改良されていくという考えにたてば、データ同化はまさにその実践例だと言えるだろう。

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数値天気予報の構想を定式化したRichardsonは平和主義者であり、軍との関係が強まった気象庁を離れて、国際紛争などの社会現象に関する数理科学的な研究をした([Richardsonの著書の読書ノート]参照)。わたしはその社会現象に関する著作を直接見ておらず、その後の人びとにどう引き継がれたかも知らないのだが、そちらも調べてみたくなった。

文献 (リンク先で示したものは省略している。)