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「ラプラスの魔物」と気象・気候の「予測」

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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3月23日はラプラス (Pierre-Simon Laplace, 1749 - 1827)の誕生日だそうだ。

数値天気予報や、気候の予測型シミュレーションの特徴について、[2017-03-16の記事]でも述べたが、基本的物理法則をあらわす方程式があって、初期状態を与えると、それ以後の予測ができる、という構造は、「ラプラスの魔物」を思わせるところがある。フランスの気候モデル研究のセンターに IPSL (Institut Pierre-Simon Laplace)という名まえがついているのも、もっともなのだ。

ただし、ラプラス自身による表現は、「魔物」(demon、ときには「悪魔」ともされる)ではなく、「知性」(intelligence)だった。

そして、その議論は、決定論的予測の可能性について述べているにもかかわらず、それが書かれている場所は、確率論を解説する本の序論なのだ。

確率の哲学的試論』(内井 惣七 訳, 岩波文庫)の10ページから引用:

....われわれは、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以後の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにそれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかに最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つないであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう。人間の精神は、天文学に与えることができた完全さのうちに、この知性のささやかな素描を提示している。人間の精神が力学と幾何学とにおいて発見したものは、万有引力の発見と結合することによって、同じ解析的な表現のもとで世界体系の過去と未来の状態を理解できるようにした。同じ方法を他のいくつかの知識対象に適用することによって、人間の精神は、観察された現象を一般法則に帰着させたり、与えられた状況のもとで何が生じるかを予見することに成功してきた。...

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ラプラスは、人間の予測能力が将来このような「知性」に達することはないと考えていたようだが(上の引用箇所の続きに「人間精神はこの知性からはいつも無限に遠く隔たっている。」とある)、それに近づくことを続けていく方向で科学を進めようとしていたのだろうか。

わたしは、Gillispie (1997)によるラプラス科学史的伝記を読みかけている(まだ読み終えていない)。上の疑問への答えは得られていないが、次のようなことがわかった。

ラプラスは若いころから、確率に関する理論を考えようとしていた。その動機はサイコロなどの偶然性によるゲーム(あるいは賭け事)の問題だった。時間については離散的で、差分方程式で定式化された。

並行して、天体(惑星、彗星、月)などの運動を力学(オイラーラグランジュによって定式化されたニュートン力学)によって説明・予測することを考えていた。こちらは、決定論的な問題と考えられており、時間について連続で、微分方程式で定式化された。ただしそのままでは微分積分で解けないので、摂動法などの近似を考えた。

ところが、天体の運動を実際に予測しようとすると、軌道要素と初期状態を、観測に基づいて決めなければならない。そこで観測値に誤差があることを考慮に入れる必要がある。誤差を扱うために、確率論がかかわってくる。

これをもとにわたしが思うには、ラプラスは、人間がつくる科学の将来の発展について、天体力学の理論が完全なものになることは期待したかもしれないが、観測誤差がなくなることは期待できなかっただろう。したがって、いちばん予測可能性のある天体の運動についても、完全な知性の水準に達することは期待せず、純粋に決定論的な予測よりもむしろ確率論をまじえた予測に期待していただろう。

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数値天気予報は、「ラプラスの魔物」の議論、あるいはその具体例としての天体の運動の予測と、どう違っているだろうか。

気象のモデルの基本には、力学とともに熱力学が含まれている。熱力学第1法則(エネルギー保存)の方程式は、基本方程式系に含まれている。熱力学第2法則(エントロピー増大)は、定量的には含まれていないが、起こりうるプロセスを限定するところで定性的に考慮されている。

気象モデルの基本方程式は、連続の時空間で定式化されているが、実際の計算は有限個の数値でおこなうので、差分その他の離散化近似が必要になる。差分の場合で言えば、格子間隔よりも細かい空間規模の現象は表現できない。細かい現象の効果を単純に無視するとまずい場合は、経験則による近似表現(parameterization)を導入する。気象モデルで予測することは、離散化誤差とparameterizationのぶん、「基本方程式に基づく予測」と違う。

初期条件の不確かさは現実に避けられないが、気象モデルに限らずおそらく現実の大気が、初期値のわずかな違いが時間とともに拡大していくという意味でのカオス性をもっている([2016-05-23「(勧めたくない用語) バタフライ効果」]参照)。これが決定論的予測の主要な限界をもたらす。これをいくらか克服するために、予測問題を確率論的に定式化したうえで、決定論的モデルで初期値をわずかずつ変えた多数の試行によって予報対象変数の確率分布を推定するような「アンサンブル予測」という方法が実用化されはじめている。

文献

  • Charles Coulston Gillispie (with the collaboration of Robert Fox and Ivor Grattan-Guiness), 1997, paperback 2000: Pierre-Simon Laplace, 1749-1827 -- A Life in Exact Science. Princeton University Press, 322 pp. ISBN 978-0-691-05027-0 (pbk.)
  • Pierre-Simon Laplace, 1814: Essai Philosophique sur les Probabilités. (1825年に第5版が出ている。)
  • [同、日本語版] ラプラス 著, 内井 惣七 訳 (1997): 確率の哲学的試論 (岩波文庫 青 925-1)。岩波書店。(1814年の初版に基づいた訳)