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天皇の制度について、2016年12月の時点で考えること

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事はわたしの社会に対する意見を含んでいます。しかし、明確に意見を主張する文章にはなっていません。】

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[2016-08-08の「天皇ビデオメッセージをきっかけに考えたこと」]を書いてから、ときどき、天皇という制度について、国民のひとりとしての意見を言いたくなることがあったが、政治家のところに持っていけるほどには考えがまとまっていない。天皇誕生日という国の祝日をきっかけに、覚え書きとして書き出しておくことにする。

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わたしは、前から述べているように、日本国憲法の背景にある理念を尊重する立場から、最善は憲法改正による天皇制廃止、次善は天皇空位にすることだと思っている。しかし、こういったことを主張しても実現に向かう見通しはない。今の制度との飛びが少ない範囲で、だれにも無理な負荷がかからないような制度の改良を考える必要もあるだろうと思う。

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2016年10月から、首相官邸のもとに、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がつくられていた。

わたしはそこでの議論を追いかけなかったが、ときどき見た報道によると、いま天皇の位にある人の負担軽減を目的と考えて、その手段として天皇の退位(を可能とする法制度整備)が適切かどうかに賛否両論があったようだ。この問題枠組みは、わたしが会議の名まえを見て期待したものとちがっていた。

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わたしは、退位があろうがなかろうが、もし日本国が天皇がいる状態を継続したいのならば、本来の意味での「天皇の公務の負担軽減等」、というよりもむしろ「天皇の公務等の負担軽減」を具体的に進めることが、急務だと思う。

それは基本的には、今の天皇のためではない。今の天皇のように高齢の人を前にすれば、その人の実質的な負担は、明示的に制度を変えなくても、いわば「自然に」軽減されていくと思う。個別業務ごとに、代理をたてる必要のあるものはそうするし、天皇でなく他の皇族でもつとまるものはそうなっていくだろう。

「負担軽減」が必要なのは、天皇(あるいは「摂政」などの業務代行者)や皇后などになる人のためだ。今の天皇が、自分では納得してふやしてしまった業務が、天皇という職種に伴う業務としてあたりまえになると、次の天皇にとって重荷になるので、負担軽減が必要なのだ。これは、労働条件を、困難な条件でも喜んで働く労働者の働きかたを標準にして決めてしまってはいけない、ということの一例なのだ。業務見なおしで第一に考慮すべきなのは国の機関としての天皇の機能だろう。今の天皇の意向を尊重しすぎてはいけないのだと思う。

横田(2016)を参考に述べると、天皇の行為は、国事行為私的行為、「公的行為」に分けられる。

国事行為日本国憲法に規定されたものである。

現実の天皇の活動の多くを占めているらしい宮中祭祀は、法的には天皇私的行為に含まれるものだ。日本国憲法政教分離の原則によって、宗教行事には国が関与することはできない。

憲法の解釈としては、国事行為以外はすべて私的行為だという考えかたもある。しかし、現在の政府見解では多くの「公的行為」を公務と位置づけている。宮内庁ホームページには次のようなものが例示されている(横田 2016から引用)。

国民体育大会・植樹祭などへの出席、園遊会パラオやフィリピン等への外国訪問、外国元首との親書・親電交換、被災者のお見舞いなど

国事行為については、天皇の体調が職務をまったくとれないところまでおとろえなくても、おりにふれた判断で代理にまかせられるように制度を整備すればよいのだと思う。ただし、法律公布や人事に関する署名だけでも、件数が多いので、重い肉体労働といえる、とも聞くことがある。ほんとうならば、件数を減らすなり、技術的手段によって肉体的負担を減らすなりの、暫定でなく恒久的な改革をしたほうがよいと思う。

公的行為」の法的根拠は、国事行為に準じるもののはずであるが、国事行為の場合の内閣の「助言と承認」に準じることを無制限に広げると、ときの行政府が天皇を政治的に利用できることになる。現実には、あからさまな政治利用にならないような節度をもって行なわれていると思われるが、それは制度的に保証されていないので、この部類を(廃止せよというのは現実的でないものの)ふくらませるべきではないのだと思う。現実の各行為の実行には、行政機構の意志と、天皇である個人の意志とが関与しているはずだ。行政機構の意志のうちには、昔の判断が慣例となっていて、今判断するならば不要となるものもあると思う。(行事への天皇の出席の見なおしというよりもむしろ、行事自体の見なおしをすべきこともあると思う。) 天皇の意志については、今の天皇が前例をつくって次の天皇に義務としておしつけることがないように、という面にも注意すべきだろう。

宮中祭祀や皇室行事(皇室典範に規定のある「即位の礼」「大喪の礼」は別とする)は法的には「公務」ではなく私的行為なので、その内容については、国の機関(有識者会議も含まれる)が関与するべきではない。しかし、天皇である個人が私的行為の負担が重すぎて国事行為を担当するのにさしつかえる場合は、国として、私的行為の活動を減らすことをお願いするべきだろう。また、国が出している皇室費の使いみちがむやみにふくらまないように制約を課すことも、国の側の職務だろう。だから、国の側から、法的な「公務」の負担軽減について決定することとは明確に区別して、私的行為の負担軽減について天皇・皇室に勧告することを考えてよいのではないかと思う。宮中祭祀や皇室行事は古い伝統とされているものが多いが、明治時代の天皇が最高権力者である状況で、過去の天皇がやりたかったができなかったもの、神仏分離によって仏教行事が神道行事で置きかえられたもの、西洋の王室との横並びで発明されたものなどが追加されただろう。「負担軽減」が課題となる状況ではこの私的行為のほうの整理も必要だと思う。それは原理的には皇室メンバーの意志で決めればよいことだが、国としてきっかけを与えることも必要かもしれない。

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話は退位のことに移る。まず、用語の件。

2016年にマスメディアに「生前退位」という表現がたびたび現われた。これは「退位」でじゅうぶんであり「生前」とつけるのは変だ、という意見もよく聞かれた。わたしもそう思う。(ただし、わたしは冗長な表現を一般的に否定はしない。)

伝統的に使われていた表現は「譲位」「位を譲る」だったようだ。そして、2016年10月の報道によれば、2010年の宮内庁参与会議で天皇が意向表明したときの表現は「譲位」だったそうだ。

理屈を考えると、「譲位」は、「退位」とそれに伴う皇位継承をあわせたものをさすことばだと思う。

わたしのように、空位になることもありうると考えるならば、退位と皇位継承を分けて考える必要があるので、「譲位」では不適切なのだ。

しかし、日本で退位の可否を論じていた人のほとんどは、空位になることを考えていなかった。

それでも「譲位」という表現が避けられたのは、「譲」の主体は現天皇(「譲位」が行なわれる時点で天皇である人、という意味)だと感じられ、すると、退位することだけでなく、後継者をだれにするかにも、現天皇の意志が働くような感じがする、それは日本国憲法のもとの制度の原則に反する、という判断があったかもしれないと思う。

実際には、後継者がだれになるかは、現天皇の意志とは関係なく、日本国憲法のもとの法律である皇室典範のルールによってほぼ自動的に決まる。(「ほぼ」と書いたのは、後継候補者が固辞した場合に無理じいはできないと思うからだ。) 退位のほうは、これから整備されるだろう法制度では国会の議決を必要とすることになるだろうが、国会への提案の段階で現天皇の意志が反映されるだろう。だから、退位皇位継承があきらかに切り離された用語を使うのがよいという考えはもっともだと、わたしは思う。

(「譲位」という用語を、退位と皇位継承が続くことであり、だれの意志かを問題にしないと定義して、書き手・読み手みんなが了解すればそれでもいいはずだが。)

生前退位」の「生前」はよけいなのだが、おそらくもともとは、天皇が亡くなった場合の皇位継承に対して、「生前の皇位継承」であることを明示するために持ち出されたことばが、まぎれこんだのだと思う。

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退位を決めるのに、憲法改正は不要のはずだ。皇室典範改正か特別立法が必要だろう。ただし、最小限でよい。

もし国会で退位だけを決めて、皇室典範を変えないと、(皇位継承の規定は皇室典範4条の天皇崩御にともなうものだけなので) 皇位継承は行なわれず、天皇の位は空位になる。

国の政治に必要な国事行為のためには「摂政」がいればよい。退位前に摂政を選任しておけば、その人が業務をおこなえるだろう。摂政を決めずに退位してしまうと、皇室典範17条の摂政にだれがなるかの規定が意味不明になり、皇室典範の少なくともその部分を改正しないと先に進めない。国会の会期中ならばその場で改正すればよいのだが、会期中でないと、天皇摂政もいないので、国会を召集できない。しかし、日本国憲法のもとの日本の公権力の根源は天皇ではなく国民にあるのだから、召集を受けずに議員が自主的に集まった国会でも最小限の立法はできると考えてよいと思う。

皇室典範は法律だから、国会が(その摂政に関するところを)適切に改正すれば、(そして、もし もと天皇であった人の死去を皇位継承の原因となる「天皇崩御」と認めないとすれば)、空位をずっと続けることも可能なはずだ。

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皇室典範について、退位に伴う皇位継承を認めることに伴って、どのような改正が必要になるのか考えようとした。(皇位継承を男系男子に限るという原則は、ひとまず日本国憲法に反すると主張せず認めておくことにした。)

考え始めて、皇室典範の用語の定義があいまいだと思った。とくに、条文中の「天皇」が現天皇(条文が適用される時点で天皇の位にある人)に限定されるのか、天皇経験者をさすのか、その他の皇族に関する「皇子」などの用語も、現天皇を参照点とした場合に限定しているのか、歴代のどの天皇を参照点とした場合も含まれるのか。どうも、同じ法律のうちでも条項によってちがう意味で使われていると思われる。おそらく標準的な解釈は決まっていて、適切な専門書に書いてあると思うのだが、わたしにはよくわからない。ここでは、わたしなりに筋が通ると思った解釈で考えてみたことを述べる。

まず、もと天皇であった人の退位後の身分をどう規定するかが問題になる。皇族ではあるとするべきだろう。すると、皇室典範にある皇族の内わけのすでにある類に含まれるようにするか、新たな類をたてる必要がある。いちばん単純にすませようとすれば、「退位した天皇は「親王」にもどる」とすることが考えられる。オランダの三代の女王が「Prinses」(英語ではPrincess、日本語では「王女」と書かれることが多い)にもどっているのが参考例になる。

そして、皇位継承候補者とその順位に関する問題がある。いま個別に想定されている事態ではないのだが、制度として退位を認めれば、退位した人の復位の可能性も問題になりうるし、退位後の「もと天皇」の子が生まれた場合にその子には皇位継承の可能性があるか、あるならば順位はどうなるかが問題になりうる。(もと天皇に子が生まれる場合を考慮する必要性については、わたしは8月に気づいたのだが、さかのぼってTwitterを検索すると、7月に指摘している人がいた。ただし、どう対策するかなどに議論を進めてはいないようだった。) これも、単純に、皇位継承順位は現天皇を基準とし、もと天皇との関係はとくに考えない、と決めればよいと思う。(参考例として、今の天皇の直系の祖先をさかのぼると、霊元天皇後水尾天皇上皇になってから生まれた子なのだが、皇位は「後西天皇の弟」という立場で継承したと考えることができ、「上皇の子」という立場を持ち出す必要はないだろう。)

これだけならば、皇室典範の明示的改正は必要なく、解釈の明確化ですむのではないか?

ただし、皇室典範には「皇太后」が規定されていて、皇太后に対する敬称は「陛下」とされている。すると、前天皇は「親王殿下」だがその配偶者が「皇太后陛下」と呼ばれるというのは、どうにもバランスが悪いだろう。やはり、前天皇に対する称号を規定して、その敬称を「陛下」とすべきなのかもしれない。わたしの意見としては、称号は「上皇」で、それは「太上天皇」の略ではない、とするのがよいと思う。そうすると、皇室典範のあちこちの皇族の類別列挙に「上皇」を加えるような改正が必要になりそうだ。

【これに関連して、「皇太后」の定義が、前皇后のことなのか、天皇の母のことなのか、不明確だと思った。皇位継承が父から子へであれば両者は一致するにちがいないのだが、兄から弟、おじから甥などの場合はちがってくるのだ。皇室典範自体を見てもわからないが、解釈は決まっているのかもしれない。もし天皇の母をさすならば、天皇の母でない前皇后はどう呼ばれるべきかも問題になる。】

【世の中には、皇室典範に「皇太弟」の規定がないことを問題にする人がいる。これは退位と関係なく、皇位継承候補者が現天皇の子でないという状況に関することだ。わたしはこれは困ったことではないと思う。天皇の直系の男の子・孫がいなくて、弟がいるならば、その弟が皇室典範2条の継承順序最上位の人、3・4条でいう「皇嗣」になる。そして、親王であるにちがいないので、17条の摂政になる人の最上位にもなる。法的には「親王」で「皇嗣」であるということでじゅうぶんであり、非公式に「皇太弟」と呼んでもかまわないと思う。

しかし、この問題も皇太后に関する疑問と同様に、皇室典範が父から子への継承しか考えていないことに由来する欠陥だと考えられる。筋を通した改正をするとすれば、親子関係と関係なしに、「皇嗣」を「皇太子」と呼ぶことにしてしまったほうがよいかもしれない。】

葬儀の扱いの問題もある。皇室典範25条の「大喪の礼」は天皇の葬儀だが、過去の天皇の葬儀は含むのか含まないのか。一方に、退位の趣旨として、現役の天皇よりは葬儀を簡素にしたいということがある。他方で、天皇経験者の葬儀が他の親王と同格では軽すぎるようにも思われる。過去の天皇の葬儀を、「大喪の礼」に含むとするか、別に規定するかのいずれかが必要だ(別に規定する場は皇室典範でなくてもよい)。陵墓(典範27条)についても同様な問題がある。

- 8 - [2017-01-10 追加, 2017-01-25 改訂・補足]
「退位は皇室典範改正によらなければならず、特例法ではいけない」という主張を見かけた。【その主張の根拠として、皇位継承が時の政権の意向の影響を受けてはいけない、という理屈を見かけた。それは日本国憲法の原則を堅持するべきだという立場の人から出たものも、明治憲法体制に近づけるべきだという立場の人から出たものもあるようだったが、源にたどれるように記録していない。】

わたしは、特例法でよいと考えている。ただし、その特例法は、内容が実質的に皇室典範への補足になるものなので、形式的にも皇室典範のしかるべき条項への参照が必要だとは思う。

皇室典範改正で退位に関する規定をもりこむならば、7節に述べたように、復位の可否や、もし退位後の もと天皇 の子が生まれた場合のその人の地位も、明示するにせよ現行法の規定の解釈によるにせよ、考えに入れておくべきだと思う。将来のいろいろな可能性まできちんと考えるのには時間がかかる。しかし、特例法ならば、考える範囲を、いまの天皇の退位にともなって起きる可能性があることに限定できるだろう。いまの状況ではそのように限定して進めるのが現実的だと思う。

【退位をひとつ認めれば、次に天皇が退位を望む(あるいは、まわりの人々が退位してもらいたいと思う)事態は遠からず起こりうると考えておくべきだとは思う。しかし、それも視野に入れてあらかじめ立法することは困難だと思う。次も高齢で公務担当が困難という理由ならば、今回と同様で固有名詞と日時だけ変えた特例法をまた制定すればよい。他方、別の理由の場合は、意向が示された時点で国としての対応を考えて特例法を起草するのが現実的だ。これは対象となる人が限られた法制なので、高齢のほかにどんな理由がありうるかをあらかじめ想像することは、的中率も低いだろうし、(地位ではなくて個人に対して)失礼にあたるともいえるだろうと思う。】

文献

  • 横田 耕一, 2016: 憲法からみた天皇の「公務」そして「生前退位」。『世界』 2016年9月号 (886号), 40-43.