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Eoceneは暁新世ではない

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

地球の歴史の時代は、大きいほうから順に「代」「紀」「世」という階層構造のある名まえをもった期間に分割されている。地球科学に関心のある人ならば「古生代」「中生代」「新生代」は知っているだろう。地球科学のうちの地質学について、専門家でなくても関心のある人ならば、「紀」の名まえは知っていることが多いと思う。(「第三紀」ではなくそれが分割された「古第三紀」と「新第三紀」が標準になったことはじゅうぶん広まっていないと思うが。) しかし、「世」のレベルになると、新生代に限っては地質学のあまり専門的でない文献でも出てくるのだが、地球科学に関心があってもその時期に関心のある人でないと記憶していない人が多いと思う。

わたしは、1970年代から第四紀に関心を持っていたので、新しいほうから、第四紀の「完新世」「更新世」(関心を持ちはじめたころは「沖積世」「洪積世」に代わって新しい標準となる見こみの用語としてだったが)、新第三紀の「鮮新世」「中新世」は忘れないものの、古第三紀の「世」の名まえの記憶はおぼろげになっていた。気象学を基礎とする気候の専門家となって、第四紀よりも温暖な気候の参考例として、「新生代初期」を話題にすることはあったが、その時代を詳しく分けて考えることはないまま来たのだった。

ところが、21世紀になって、「人間が化石燃料を燃やすことによる大気中の二酸化炭素濃度の増加と、それによる温室効果で生じるだろう気温上昇が、これまでに知られた地質時代の気候変化のうちで、異常に速いのだろうか」という話題に関連して、もしかすると同じくらい速い温暖化が起きたかもしれない時期として「Paleocene-Eocene Thermal Maximum (PETM)」が話題になるようになった。Thermal maximum は「温度極大期」あるいは「高温期」でよいだろう。そしてPaleoceneとEoceneは古第三紀のうちの「世」の名まえなのだ。この2つの「世」の全体ではなくて、Paleoceneの末からEoceneの初めにかけての短い時期に激しい気候変化(温暖化とそれの解消)が起きたというのだ。

さて、わたしは、興味をとくに地球科学に向けたのは高校生のときなのだが、その前の中学生のころに、英語の学術用語などの単語の語源に関心を持っていろいろな本を読み、ギリシャ語やラテン語に由来する語の要素について学んでいた。ギリシャ語に「Eos」ということばがあって、明け方の光、あるいはそれの女神をさしていることを知った。【わたしが今つきあいのあるAGU(アメリカ地球物理学連合)という学会の機関誌の題名にこのEosが採用されている。】日本語ではどちらかというと「あけぼの」(曙)が近いようだが、「あかつき」(暁)と重なるところもあるようだった。この要素は「eo-」という形で複合語になることがあることも知った。

そして、わたしは日本語の地質時代名として「暁新世」と「始新世」というものがあることをなんとなく知っていた。「暁新世」は当然Eoceneの訳語だと思った。そして「始新世」のほうがPaleoceneにあたるのだろうと思った。

しかし、PETMを日本語で紹介するとなると、うろ覚えではまずいので、調べてみた。それで驚いた。古第三紀の「世」は、古いほうから、次のようになっているのだ(左が英語、右が日本語)。

  • Paleocene = 暁新世
  • Eocene = 始新世
  • Oligocene = 漸新世

【なぜこうなってしまったかは知らないが、たとえば次のようななりゆきを想像した。「世」の区分が今のようにかたまる前、PaleoceneとEoceneの区別はなく、どちらの用語も同じ時代をさしていた。そのときEoceneが「暁新世」と訳された。日本で「暁新世」を代表するとされた地層が、その後、「世」が二つに分割されたとき、Paleoceneのほうにはいっていた。... これはわたしの想像にすぎない。】

ともかく、学術用語としてそう決まっているのだから、個人がその意味を勝手に変えるわけにはいかない。

それにしても、わたしと同じようにまちがえる人は多いだろうと思う。

英語の名まえは、国際的な学会のとりきめなので、変えることはとてもむずかしいだろう。

しかし、日本語の名まえは、日本の地球科学者が合意すれば、変えられるのではないだろうか。もちろん、これまでに使われている用語がこれまでさしていたものと違うものをさすように変えてしまうのはまずい。それでも、もし日本の地球科学者がその気になれば、今後「暁新世」ということばを使わないようにすることはできると思う。(過去にそう書かれたものを変える必要はない)。Paleoceneに対応する日本語の用語を変えるのだ。たとえば直訳による「古新世」はどうだろうか。形容矛盾のようだが、その点ではPaleoceneも同様だ。そして、「地球の生物の歴史のうち新しい時代である『新生代』のうちではいちばん古い時期」をさすのだから、実は形容矛盾ではなく階層構造の正しい形容なのだ。

わたしは(まだ)実際に「暁新世」の用語変更を提案はしていない。しかし、提案したいと思いはじめている。