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学術論文の「オープン化」と費用負担

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== 1. 問題 ==
「学術の成果である知識は社会に提供されるべきだ」という考えは前からあったが、ここ十年ほどの間に、「学術知識のオープン化」という要求が高まっている。それには、特定の組織(研究機関や学会など)に所属している人だけでなく、だれでも知識にアクセスできるようにするべきだ、という主張が含まれている。それには次のようないくつかの理由がある。

  • 政策決定に使われる知識は、市民がアクセス可能でなければならない。
  • 公共資金でおこなわれた学問の成果は、市民に還元されるべきだ。
  • 専門の枠を越えた学問のため、学会などのメンバー限定でなく、広く公開するべきだ。

「だれでも」には「貧しい人でも」という意味が含まれるので、オープン化の主張は、提供は無料であるべきだという主張を含むこともある。だが、知識を社会に提供するのには費用がかかる。知識が提供されるためには、その費用をだれかが分担するように制度をつくっておくことが必要だ。そして、知識が提供されるしくみが持続してくれないと困る。

どんな形がありうるか、答えを出すのを急がずに、幅広く考えてみたい。

== 2. 対象の限定 ==
ここでは、今のところ学術雑誌論文の形で発表されているものについて考えることにする。これは、対象を次のように限定するということだ。

-- 限定 1 --
学術の成果を、専門外の人に向けて発表することも重要であり、学術に従事する人(以下「学者」という)全員がひとりひとり負う義務とする必要はないと思うが、学者集団全体としての義務といえるだろう。しかし(学問にかかわった経験がない人にはわかりにくいかもしれないが)、学問の質を確保して知識を発展させるためには、学者が学術の成果を共通の基盤となる専門知識をもった学者に向けて発表することも必要なのだ。(これの短い表現として「同僚に向けて」と書くことにするが、同じ職場の同僚という意味ではない。)

専門外の人に向けて発表するもののうちには、出版物自体に、学者以外の人々がお金を出す気になるだけの需要があり、商業出版として成り立つものもある。もちろんすべてがそうではなく、こちらの費用負担もむずかしい課題である。しかし、(読者数が社会全体に比べるとだいぶ少なくならざるをえない)同僚に向けた発表の費用負担のほうがむずかしさが大きいと思うので、今回はこちらに話題をしぼりたい。

知識を記述する際に、毎回専門外の人に理解できるところまで説明しようとすると、書く側も読む側もてまがかかりすぎ、労働の総量に制約されて書き出される知識内容が少なくなってしまう。読者が一定の共通基盤知識を持っていることを前提に、追加された知識を簡潔に述べることができる。このパッケージが学術論文である。

-- 限定 2 --
学術の成果の発表としては、「データの公開」も重視されるようになってきた。これと論文の発表との境は、必ずしも明確ではない。不正確を承知で、ひとまず分ければ、データは主として(人が)機械に読ませるもので、論文は主として人が読むものだ。(機械可読かどうかの区別ではないことに注意。) 論文の主要部分は自然言語(英語や日本語などの人間の言語)で書かれている。論文には模式図や数量のグラフなどの図が含まれることがあるが、これも人が視覚などの知覚を通じて情報を認識するためのものだ。

-- 限定 3 --
学術論文は、同じ専門の共通基盤知識を持っているが論文に記述された研究にはかかわらなかった人による「査読」つまり同僚評価(peer review)を受ける。すべてではないが多くの専門分野で、査読によって合格と判断されたものだけが、有効な学術論文として認められる。(このしくみはおよそ百年前から続いているが、査読で合格となる基準は何か、だれが合格と判断するのか、学者の業績評価にとって査読済み論文とそれ以外の出版物の重みづけはどうなるかなどは、専門分野や国や時代によって一様ではない。ここではその話題に深入りしないことにしたい。)

大部分の学術分野で、学術論文がのる主要な媒体は、逐次刊行物 (その多くは定期刊行物)で、「雑誌」と呼ばれる。ただし、英語ではふつう journal であって、magazineではない。このような雑誌を、ここでは、専門外の人向けの記事がのるものや、学術論文でない専門家どうしの情報交換がのるものと区別して、「学術雑誌」と呼んでおくことにする。学術分野によっては、会議論文集に査読済み論文がのる分野もあるし、学術論文に相当するものを単行本の形で出版する慣例がある分野もある。一連の会議論文集に通し番号がついていたり、単行本が一定の編集方針で叢書として出ることもあり、学術雑誌との境は不明確である。ここでは、学術雑誌の形をとる状況を正面に見て論じることにするが、他の出版形態の場合でも共通に通用する論点が多いだろう。

-- 限定 4 --
学術論文がのる媒体である学術雑誌は、従来、紙の冊子として出版され、共通の表題の逐次刊行物に、体裁をだいたい統一された複数の論文が収録されていく。冊子は多くの場合1年ごとに「巻」としてまとめられ、逐次刊行物名、巻、巻内のページを指定すれば論文が指定できる構造をもつことが多い。学術雑誌は、個人が保有することもあるが、とくに大学・研究機関などの図書として所蔵されることによって、のちの研究者・学習者にとって参照可能なものとして持続する。

21世紀にはいったころから、ディジタル媒体の重みがましてきた。ディジタル媒体は多様だが、ここでは学術雑誌の定型を保った、ディジタル版(「電子版」ともいう)の学術雑誌と呼ぶことができるものに話題をしぼってみる。紙の冊子として刊行が続いている雑誌のディジタル版が作られている場合もあるし、ディジタル版だけの雑誌もある。ディジタル雑誌の論文は、インターネット上の論文提供機関(出版社など)のサーバーに、人が読むことを想定した機械可読ファイル(PDF形式のことが多い)で置かれている。読者はネット越しにサーバーにアクセスして、論文のファイルを受信(ダウンロード)して、読者側のパソコンの画面で読んだりプリントして読んだりする、という形になることが多い。無料公開のもの以外は、論文ごとあるいはアクセスごとに個別に料金を払うやりかたもあるが、研究機関が所属する研究者のために定期購読することが多い。紙の雑誌の場合と違って、定期購読契約が切れると研究機関に雑誌は残らない。

ここでは、紙雑誌とディジタル版雑誌とをあわせて考えることにする。(ディジタル版が主になると、個別の論文が検索できてアクセスできればよく、雑誌という形をとる必然性はなくなるが、一定の査読・編集方針に従う論文群をまとめて認識することは必要だろうから、それを雑誌に準ずるものと考えよう。)

== 3. 何に費用がかかるか ==
学術雑誌の出版には費用がかかる。紙雑誌ならば、材料、印刷・製本、在庫管理、発送。ディジタル版ならば、ウェブサイト設営・維持、文書ファイル加工、データベース更新などの運営費用がかかる。

内容をつくることにも人間の労働がかかわっている。現状では、論文を書くことだけでなく、査読することも、無報酬で(査読者の個人負担あるいは給料をもらっている本務の一部として)おこなわれていることが多い。しかし今後もそれで続けられるかは不確かだと思う。編集の仕事には、査読を依頼し、その結果をもとに出版すべき論文を決定すること、雑誌の定型に整えること、校正などがある。これも、学会誌などでは学会員のうちの編集委員がボランティアでかかわることが多かったが、研究職の時間が所属機関や研究費制度などの雑務にとられて雑誌編集にさける時間がある人が減っているようだ。今後は、内容のプロがやるべき仕事と編集のプロがやるべき仕事とを分けて、それぞれ人を雇う(あるいは業務を外注する)ことがふつうになる(それができない雑誌はつぶれていく)だろうと思う。

== 4. だれが負担するのか ==
まず、「オープン化」の主張にとらわれず、学術論文の媒体となる学術雑誌の費用の負担の形を、幅広く列挙してみたい。大きく分けて、読者(情報利用者)、著者、出版者、その他、がある。

  • 読者(情報利用者)負担
    • 雑誌定期購読 (図書館、個人)
    • 雑誌単発購入
    • 論文ごとの購入
      • 電子版では、定期購読以外の読者が個別に(クレジットカードなどで)支払いをしてダウンロードすることが多い。
      • 紙版では「別刷り」(offprintあるいはreprint)というものが作られてきた。これは従来、著者が買って配ることが多かったので、むしろ著者負担に含めるべきかもしれない。
    • コピー・再利用許諾料金
  • 著者負担
    • 掲載料 (page charge。査読がすんで掲載が決まってから印刷ページ数に応じて料金を払う。なお、次に述べるものでなくこれを「投稿料」と呼んでしまうことがある。)
    • 投稿料・編集手続き料金 (原稿を投稿する際に払う。)
  • 出版者負担
    • 研究機関などがその知識発信機能として予算をつけてやっている場合 (大学(の学部など)の「紀要」出版、大学・研究機関リポジトリーからの発信など。)
    • 学会がその知識発信機能として予算をつけてやっている場合
      • (雑誌を会員に配布する場合は、読者負担の性格もある。)
      • (投稿者を会員に限る場合は、潜在的著者負担の性格もある。)
  • その他
    • 国などからの政策的資金・補助金
    • 基金・継続的寄付
    • 単発的寄付

== 5. オープン化と費用負担 ==
オープン化の主張を認めると、無料で論文にアクセスすることを認めることになるので、読者負担が大きな割合をしめることがむずかしくなる。(ディジタル版を無料にして紙雑誌だけ有料にすることはできるが、そうすると紙雑誌購読希望者は少なくなり財源としてはあまり期待できないだろう。)

著者負担は、公的研究費が出る場合は、研究計画に出版費用を含めることで可能になる。(ただし、研究を実行する段階では、論文が掲載に至るかどうかは不確かなので、予算執行を変更できることが不可欠である。) しかし、研究のうちには公的研究費をもらわずに自発的に行なわれるものもあるが、著者負担では出版に至らず、せっかく行なわれた研究が知られずに終わるおそれがある。また、出版される知見が研究費を出す国などの政策的意図に合ったものに偏るおそれがある。

少なくとも部分的には、出版者負担その他の費用負担の形が必要だろう。商業的に採算をとることはできそうもないので、税金に基づく国・自治体からの支出、あるいは免税措置などによる寄付の促進が必要になると思う。

すでに、ディジタル版に関しては、読者にとっては無料の「オープンアクセス誌」が多数出てきている。そのうち商業出版のもののほとんどは、著者負担が主になっている。学会が出版するものは、出版者である学会が負担(間接的に会員が負担)するものもある。また、日本にはJST (科学技術振興機構)が運営するJ-Stageがあるが、これは費用の一部を、日本からの学術情報の発信を趣旨とする国の事業として、JSTを通じて国が負担している(各雑誌固有の部分は学会などの出版者の負担になる)。

また、有料記事を含む雑誌でも、個別の論文がオープンアクセスになっていることがある。その制度は出版者ごとにまちまちだ。著者から掲載料に上乗せでお金をとることによる著者負担のオープンアクセスがある。また、出版者が選んだものをオープンにする場合や、出版後一定期間たった論文はオープンにする場合がある。これらは直接的には出版者負担のオープンアクセスと言えるだろう(出版者の収入は何でまかなわれているかも考える必要があるが)。

== 6. ネット上で見つかりやすくすること、それにまつわるややこしいこと ==
ここまでの議論との理屈のつながりが不明確になるが、関連のある問題についての考えを書きとめておく。

わたし自身、ネット情報で専門外の話題にふれるとき、おもに読むのは解説だが、解説の信頼度をチェックするために、原論文へのリンクがほしいと思うことがある。逆に、自分の専門に近い話題について、専門外の人が議論しているとき、原論文を確認することを勧めたいこともある。英語圏のネット上の新聞・放送サイトやブログなどでは、原論文へのリンクが示されていることが多いのだが、日本語圏ではそれが少なく、もっとふえてほしいと思う。ただし、ネット上に論文が置かれていることが、著作権制度上、合法と思われるものも違法と思われるものもある。違法の疑いなくアクセスできるものがふえるとありがたいと思う。【わたしにとっては、有料でも安ければよいのだが、有料のサービスの現状には、支払いにてまがかかることや、自分の個人情報を知らせる必要があることに、抵抗を感じることがある。使いやすくするためのくふうがほしいと思う。】

まず、出版者のサイトで論文がオープンアクセスになっているのに、知られていないことが多いと思う。とくに、同じ雑誌にオープンの論文と有料の論文が混ざっている場合、上に述べたように出版者ごとにルールも表示方法もまちまちなので、みんな有料だろうと思って敬遠してしまうことが起こりがちだ。また、J-Stageには、日本発の英語の雑誌も多いのだが、英語圏からのリンクは最近までほとんど見かけなかった。J-Stageが各論文にDOI (digital object idenfier)をつけるようになったので、今後はJ-Stageの論文が外国から参照されることはふえると思う。(そのリンクのURLはdoi.orgになってjstage.jst.go.jpに気づくのは論文を読みに行った人だけになるが。)

次に、研究者自身やその所属機関からの発信がある。論文が有料(読者負担)で、著作権が出版者に移転されている場合でも、出版者が研究者または所属機関に、なんらかのライセンス条件のもとで、無料発信を許諾していることが多い。紙の別刷りを送るのと同様に、著者が論文のディジタルファイルを配ることが、すでに研究者社会の文化になっており、出版者としてもいちがいに禁止するわけにはいかないのだ。

ただし、このライセンス条件が出版者ごとに違っていて、多数の雑誌にかかわる場合にはとても覚えきれない。条件を統一することは困難であり、論文を発信したい側が、ライセンス条件の知識ベースを整備する必要があるのだろう。

とくに、いわば「版面権」への期待が出版者ごとに違う。たとえば、Elsevier社は、著者の所属機関が論文を置くことができるが、その内容は出版されたものと同等にし、レイアウトは出版された雑誌のものではなく著者による原稿のものにせよと言う。他方、アメリカ気象学会(ametsoc.org)は、出版された雑誌のレイアウトのものにせよと言う。

また、著者が自分のウェブページに置くこと、第三者のサイト(いわゆるプレプリントサーバー)に置くこと、所属機関が(いわゆる機関リポジトリなどに)置くこと、のうちどれを許諾するかの違いもある。

学者は異動し、引退する。機関も再編成されることがある。個人サイトと機関リポジトリのどちらが持続性がよいかは場合によるだろう。また、異動・引退してしまった著者の論文の発信を旧所属機関が担い続ける(べき)かどいう問題もある。

論文に訂正情報がある場合は、出版者が確認してそのサイトから発信するのが主な対応となるだろう。しかし、基本は変わらないがデータを追加した場合などのupdate情報は著者あるいは研究が行なわれた機関からの発信があったほうがよいだろう。しかしそれを持続させるのも難問だ。(このあたりになると学術論文の発信というよりもデータの発信として考えたほうがよいかもしれないが。)

== 7. 長期保存という課題 ==
2節で述べたように、紙の雑誌は、購読契約が切れても蔵書は残る。しかしその保存には、保存場所や、紙の変質などの問題がある。

ディジタル版の場合には、いろいろな不安要因がある。

  • 出版者は続いても、購読契約が切れた機関では、バックナンバーも読めなくなることが多いだろう。
  • さらに、出版者がなくなったり、情報提供能力を失ったら、雑誌の情報が完全に消滅してしまったり、どこかにオフラインでは存在してもインターネットからアクセス不可能になってしまったりする可能性がある。だれも費用を払わなかったら、たぶんそうなるだろう。

「出版された時点で想定されたライセンス制度での費用負担が不可能になったが、公共の利益のために残したほうがよい」と判断されるものについて、私有財から公共財へ移管したうえで、公共財として維持する、文化財トラストのような制度があるべきだと思う。