【文部科学省が編集した高校生向け教材の中で、人の妊娠しやすさに関するグラフが不正確に引用されていたことと、さらにそのグラフが示す情報がそれを使った本文の記述に合っていないのではないかという疑いについて、見聞きしている。この教材は少子化対策の政策に関連すると位置づけられたので、内閣府の少子化対策担当の人が持ちこんだ材料があり、そこに情報の質の低下、あるいはもしかすると意図的なプロパガンダがはいりこんだ可能性があるようだ。この件はわたしにはむずかしいので、とうぶん立ち入った議論はしないことにする。】
気候の分野でも、人々の判断に影響しうる科学的データの選択と提示のしかたが不適切だった、という現象が起きていたのを思い出した。ただし政府機関は直接関与していない。この件は、共著者としてかかわった明日香ほか(2009)の文書中でもふれているが、それ以後に知ったこともあるので、今のわたしの認識としてまとめておく。
直接には、Keigwin (1996)による海底堆積物に基づく過去3千年の海水温復元推定のデータが使われた際に起きた事件だ。
使われた文脈は、いわゆる「ホッケースティック論争」([別記事]参照)と一連のもので、いま起きている温暖化が人間活動起源かどうかの判断に関連する。産業革命前の気温変動は人間活動起源ではなく自然に起こった変動だろう。西暦1000年前後の数百年(仮に「中世」と呼ぶ)は最近と同等あるいはそれ以上に温暖だったのではないかという考えがある。「人間活動起源の二酸化炭素の気温に対する影響は小さく、二酸化炭素排出を削減する必要はない」と考える人たち(仮に「地球温暖化懐疑論者」と呼ぶ)が、この考えを正しい事実として主張することが多くあった。
明日香ほか(2009)の第3章3.1節「議論6」では、赤祖父(2008)および武田(2008)によるKeigwin (1996)のデータの扱いを問題にした。なお武田(2008)は出典を「S. Akasofu, Feb.27,2008」としている。あとで述べるように、主張の根拠としてこのデータが適切かが主要な問題なのだが、むしろ副次的な問題である、データを図にする際のまちがいの件を先にとりあげる。その図はKeigwinの論文に印刷された図をそのままトレースしたものではなく、そのデータをだれかが作図しなおしたもので、その過程でまちがいがはいりこんでいるのだが、明日香ほか(2009)の文章を書いた時点では、赤祖父氏のオリジナルなのかだれか別の人のしわざなのかはわからなかった。
他方、明日香ほか(2009)の第1章「議論1」で、Oregon Petition (明日香ほかでは「オレゴン嘆願書」と訳した)という温暖化懐疑論の活動について述べた。これはもともと1998年に、アメリカ合衆国連邦議会に対して、1997年12月の気候変動枠組み条約締約国会議で合意された京都議定書を批准しないように求めるものだったが、その後も同じ趣旨で続けられた。ウェブサイト http://petitionproject.org/ は今もある。呼びかけの主導者はOregon Institute of Science and Medicineという私立の研究機関代表者のArthur B. Robinsonだったが、署名よびかけの文書にはGeorge Marshall InstituteのFrederick Seitzの手紙が「もと科学アカデミー会長」という肩書きつきで含まれ、またレビュー論文のようなものが科学アカデミーが出している学術雑誌とまぎらわしい形で含まれていた。(科学アカデミー理事会はこれはアカデミーとは無関係であるという声明(NAS, 1998)を出した。)
この「レビュー論文のようなもの」はRobinson, Robinson, Baliunas, Soon (1998)であり、当時は未出版だったのだが、1998年のうちにJournal of American Physicians and Surgeons (JPandS) という雑誌に出版されたそうだ。ただしJPandSのウェブサイトで公開されている論文は2003年以後のものでこれは含まれていない。ここではネット検索で見つかった雑誌名のないPDFファイルが署名呼びかけで配られた本物だと推測しておく。2007年にふたたび署名呼びかけがあり、このときにはRobinson, Robinson, Soon (2007)のレビュー論文が、今度はJPandSに出版されたもののコピーの形で含まれた。こちらはJPandSのサイトにある。なおArthur Robinsonとその息子のNoah Robinsonの専門は生化学、Soonの専門は天体物理学である。
これを見ると、赤祖父(2008)、武田(2008)が使った図は、Robinsonほか(2007)のFigure 1と同じものにちがいない。(といっても、Robinsonほかの文書が直接の出典だとは限らないが。) そして、それは、Robinsonほか(1998)のFig. 2に、「2006」の点を書きくわえたものにちがいない。もとのKeigwin (1996)の論文でこれに対応するのは、Fig. 4(B)である。
Robinsonほか(2007)の論述について気候科学者からいろいろな批評があったが、まとまったものとしてはMacCracken (2008)のものがある。とくにKeigwin (1996)のデータの扱いについては、Boslough と Keigwin自身が2010年にアメリカ地質学会(GSA)の会合で発表した内容が、Olson (2011)がネット上に置いたファイル中で紹介されていた。
Robinsonほかの図は、Keigwinの論文の図とは、見かけが明らかに違うが、これは図をトレースせず数値データをプロットしたからにちがいない。(とくに、時間軸をあらわす左右が反転しているが、同類の文献でも時間が右に進むものと左に進むものがあるので、引用する人が自分の流儀にそろえたくなるのはもっともなのだ。)
1990年代以後、古気候学の分野では、研究成果の数値データを、世界の研究者が共同利用できるように、データセンターに提供する慣習ができてきた。古気候学の世界データセンター(のひとつ)は、アメリカの海洋大気庁(NOAA)の下にある。NOAAのうち、かつてはNational Geophysical Data Center (NGDC)の中の部門だったが、その後、組織上はNational Climatic Data Center (NCDC)の中に移った。2015年になって、NCDC, NGDC, National Oceanographic Data Center (NODC)が再編成されてNational Centers for Environmental Information (NCEI) http://www.ncei.noaa.gov/ となったが、その傘下のウェブサイトはまだ旧組織名を使っており、古気候データの入り口はhttp://www.ncdc.noaa.gov/paleo/ である。そこの目録データベースを検索すると、Keigwin (1996)の論文に対応するデータは、https://www.ncdc.noaa.gov/paleo/study/2519 にある。
論文の図を引用する代わりに、論文の著者が提供したディジタルデータを使うことは、複数のデータの軸を合わせやすいことなど、いろいろな利点がある。わたしも第四紀の気候の解説(増田・阿部 1996)を書いたときに、当時NGDCの古気候データセンターから公開されていたデータを、自分で作図しなおして使った([教材ページ]の図24, 25など)。見かけがいくらか変わっても、データの意味を変えなければ、改ざんではなく、正当な引用であるはずだ。
ところが、Robinsonほかは、作図の際に、時間軸をyears BP (before present)つまり「今から何年前」から「西暦何年」に変えた。ここでまちがいがはいりこんでしまった。Keigwinの論文で「present」は西暦1950年だったのだ。わたしは、「炭素14年代」を示すときは1950年を原点とするルールがあることを知っていたのだが、この論文の場合は、較正をすませた暦年代(calendar year)なので、だれかが指摘したものを読むまでは原点がどう定義されているかわからなかった。今ではNCEIのサイトのこのデータの説明にはよく見えるところにpresentは1950年だと書いてあるが、1998年には明示されていなかったと思う。RobinsonほかはKeigwinのデータセットの最新のデータ点が1975年にあたると認識しているが、データセット自体には 25 yr BPとある。Robinsonたちは、presentを論文執筆時点での「現在」だと考え、概算で西暦2000年とみなしたのだろう。これだけならば、確かにまちがいだが、グラフ全体が時間軸上で50年ずれるだけだし、原因もおそらく、引用者が原著者の分野の習慣を知らなかっただけで、意図的ではないだろう。(もしわたしが2008年以前に作図したらRobinsonたちと同様にまちがえただろう。)
Keigwin (1996)の図4(B)のグラフには、堆積物の酸素同位体比からの復元推定水温のほかに、対象時期のうち比較的新しい時期に、観測定点「S」での機器観測による毎年の年平均の水温を重ねて示していた。ただしこれは横軸の狭い範囲で縦に変動するのが曲線としては読めず黒い帯になってしまい、帯の太さから変動の幅がわかるだけだ。Keigwinとしては、この変動の幅を見せたかったらしい。しかしこの機器観測データは、Keigwinのオリジナルではないので、古気候データセンターに置かれたKeigwinのデータセットには含まれなかった。Robinsonほかのグラフにこれが含まれないのはなりゆき上当然で、意図的に消したのではないだろう。
Robinsonほか(2007)は、このグラフに、現在の水温をあわせて示そうとした。彼らはこのグラフの最後のデータ点を1975年の水温だと思っており(上記の約束を知って読めば1925年とすべきところなのだが)、「この水域では2006年の水温は1975年よりも0.25℃だけ高くなった」という情報を持っていたので、最後のデータ点の水温に0.25℃をたした値を「2006年の水温」として表示してしまった。このことはFigure 1の説明文(caption)に述べてあり、しかもそれはKeigwinの論文への参照をしたあとの別の文なので、Keigwinの成果を勝手に改ざんしたとは言いがたい。しかし、結果として、図は、「西暦1000年ごろの温度が2006年よりもかなり高い」という、Keigwinの論文の正しい解釈からは出てこない情報を伝えるものになってしまった。さらに(これはRobinsonたちの責任ではないが)、赤祖父(2008)などによる引用では図の説明文が単純化され、追加された点もKeigwinに由来するように読める。
なお、Robinsonほか(1998, 2007とも)には、Keigwin (1996)の図にない、3000年間の平均温度を示す水平線もひかれている。これはたぶんKeigwinのディジタルデータから計算したもので、その限りで作為はないのだと思う。ところが、2007年版では、「2006」とかかれた点がこの線より下にきたので(上記の検討からこれは正しくないのだが)、「現在の温度は3000年間の平均値よりも低い」という(おそらく正しくない)主張の材料を提供することになってしまった。結果としてKeigwinの意図に反する改変になってしまったと思う。
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さて、この図がどのように使われたかという観点で考えてみると、これまでながながと書いてしまったこの図自体の問題よりも、それを使って議論する本文の問題のほうが大きいと思う。Robinsonほか(2007)のFigure 1の説明文には、これがSargasso Seaの海面水温であることが明示されている。(1998年版のFig. 2も、つづりがSargasoとなっているが、同様だ。) ところが、これを参照する本文の段落は「地球の平均温度は過去三千年間に約3℃の範囲の内で変動してきた」という文で始まり、グラフが示すのが特定の場所の温度であって地球全体の平均温度(の推定値)でないことをことわっていないのだ。(この点では、1998年版は、例として「Sargaso Sea」の水温を示した、と述べ、このデータに見られる変化傾向は歴史記録から読み取れる同様な特徴と対応する、と言っているので、空間代表性の問題をいちおう考慮したようだ。しかし実際に何をあわせて考慮して世界全体の変化傾向についての主張に至ったかはわからない。)
地点によって温度の変動はさまざまだ。たとえば、明日香ほか(2009)の「議論6」でも紹介したが、同じKeigwinがかかわったKeigwin and Pickart (1999)の論文によれば、同じ北大西洋でも違う緯度の地点では、「中世」よりもそのあとの(Sargasso Seaでは低温だった)時代のほうが温度が高かったという結果が出ている。
個別地点の温度の時系列が全地球平均の温度変化であるかのようにものを言うことは無理がある。全地球平均の温度変化を知るのは、とてもてまがかかることなのだ。
ところが、たとえば赤祖父(2008)は、図の説明文で「北大西洋の海底堆積物質の酸素同位体(O18)から推定した気温」であると、水温と気温の混同はともかくローカルなものであると認識しながらも、本文ではRobinsonほか(2007)の本文と同様に、これを世界を代表する温度変化とみなして議論を進めてしまっている。赤祖父氏は、気候が専門ではないものの、気候を主要課題とする研究所の所長をしていたことがあり、同じ本の別のところでも北極圏の気候変動を世界平均と区別して論じているのだが。おそらく、希望する結論があって、図で示された情報がそれに合っていると、ローカルとグローバルの区別といった注意事項に関する感覚がにぶってしまう、ということが、赤祖父氏に限らず多くの人に起こるのだろう。
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アメリカ合衆国・カナダなどの英語圏での地球温暖化懐疑論の論説のうちには、意図的にうそをついていると思われるものもある。今回紹介した件は、おそらくそうではなく、うっかり誤解してまちがいがはいりこんでしまったのだろう(とわたしは推測する)。ただし、温暖化懐疑論に限らず、「自分が主張したい結論があってその材料を探す態度であるために結論に合っている情報に対するチェックが甘くなる」ことと、「専門用語による記述を自己流に解釈してまちがえる」ことはありがちで、これもその事例なのだろうと思う。
文献
- 赤祖父 俊一, 2008: 正しく知る地球温暖化。誠文堂新光社。[読書ノート]
- 明日香 壽川, 河宮 未知生, 高橋 潔, 吉村 純, 江守 正多, 伊勢 武史, 増田 耕一, 野沢 徹, 川村 賢二, 山本 政一郎, 2009年: 地球温暖化懐疑論批判 (IR3S/TIGS叢書 1)。 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)・ 東京大学地球持続戦略研究イニシアティブ(TIGS)。[読書ノート]
- Mark B. Boslough and Lloyd D. Keigwin, (2010): "Misrepresentation of Sargasso Sea temperature by Arthur B. Robinson et al." Presented at the Annual Meeting of the Geological Society of America.
- Lloyd D. Keigwin, 1996: The Little Ice Age and Medieval Warm Period in the Sargasso Sea. Science 274:1504-1508.
- L.D. Keigwin and R.S. Pickart, 1999: Slope water current over the Laurentian Fan on interannual to millennial time scales. Science, 286: 520-522.
- Michael MacCracken, 2008: Analysis of the paper "Environmental Effects of Increased Atmospheric Carbon Dioxide" by Arthur B. Robinson, Noah E. Robinson, and Willie Soon (Robinson et al. paper published in Journal of American Physician and Surgeons (2007) 12, 79-90). http://www.climatesciencewatch.org/2008/07/25/michael-maccracken%E2%80%99s-analysis-of-errors-in-robinson-robinson-and-soon-2007-contrarian-article/
- 増田 耕一, 阿部 彩子, 1996: 第四紀の気候変動。「気候変動論」 (住 明正 ほか著, 岩波講座 地球惑星科学 11, 岩波書店), 103 -- 156.
- National Academy of Sciences (1998): Statement by the Council of the National Academy of Sciences regarding Global Change Petition. http://www8.nationalacademies.org/onpinews/newsitem.aspx?RecordID=s04201998
- Hilary Clement Olson, (2011): Misrepresentation of Scientific Data. http://www.txessarchive.org/documents/Misrepresentation_Activity.pdf
- A.B. Robinson, S. L. Baliunas, W. Soon, and Z. W. Robinson, 1998: Environmental effects of increased atmospheric carbon dioxide. Journal of American Physicians and Surgeons, 3: 171-178.
- Arthur B. Robinson, Noah E. Robinson and Willie Soon, 2007: Environmental effects of increased atmospheric carbon dioxide", Journal of American Physicians and Surgeons, 12: 79-90. http://www.jpands.org/vol12no3/robinson.pdf
- 武田 邦彦, 2008: 環境問題はなぜウソがまかり通るのか 3。洋泉社。