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ある研究室での盗作連発(Wegman & Said)

学術雑誌論文や博士論文についての盗作 【いわゆる「コピペ」。出典を明示した引用でない、まる写し。ただし、少し変更した場合も含む。わたしは「剽窃」の「剽」の字をこの目的のために覚える気が起きないので、芸術作品でなくても「盗作」を使いたい。】の話題が出てくると、わたしは、ある事例を思い出す。

【ただし、この事例についてのわたしの知識は少数の情報源によっており、自分で原文にあたって確認していないことが多いので、偏りがあるかと思う。それで、だいぶ迷ったのだが、おそらく日本語圏ではわたしがこの件についていちばん詳しい人だろうと思うので、書いておくことにした。また、この件は、気候に関する科学への信頼の問題と複雑にからんでいるのだが、ここではなるべく研究不正あるいは学術の品質(-管理)の問題にしぼって紹介したいと思う。】

話は、Mann, Bradley, Hughes (1998, 1999)による最近千年間の気候復元推定にかかわる、いわゆる「ホッケースティック論争」[別ページ]から始まる。Mannたちの研究がまちがっているという主張をする人びとがいた。とくにカナダの元鉱山会社経営者でClimate Auditというブログを始めたSteve McIntyreの主張が激しかった。上記のわたしのページの「アメリカ合衆国国会の動き」の節で述べたように、2005年、アメリカ合衆国連邦議会下院のエネルギー・商業委員会のBarton委員長が、Mannたちに、情報提供を要求する手紙を出した。Mannたちは不満に思いながらも期限までに回答した(Mann, 2012; Bradley, 2011)。それをもとに、Barton委員長はGeorge Mason大学(GMU)の統計学者Edward WegmanにMannたちの研究について検討させた。Wegmanは約1年後に、GMUで博士をとってまもない(他大学に移っていた) Yasmin Saidと、Rice大学の統計学者David Scottとの共著で報告書(Wegmanほか, 2006)を出した。他方、下院科学委員会のBoehlert委員長は、 科学アカデミーに検討を依頼した。 科学アカデミーはNational Research Councilの下にNorth (物理育ちの気候学者, Texas A&M 大学)を 座長とする委員会を作り、Mannたちの研究に限定せず、 最近2000年間の地上気温の復元推定についての知見をまとめさせた(NRC, 2006)。2006年7月、下院エネルギー・商業委員会は2回の聴問会(hearing)を開き、Wegman, North, McIntyre, Mannなどの証言を求めた(記録の所在は上記別ページ参照)。その結果、何か結論が出たというものではないようだ。わたしはNRC (2006)の報告書は読んでこの問題に関する知識を整理するのに有用だったと思うが、Wegmanの報告書は一見してつくりが雑だと思ったので読まなかった。しかし温暖化懐疑論者の議論のうちにはWegmanのほうを重視しているものも見かけた。

ところが、2009年、Deep Climateとなのるカナダのブロガー(ブログのサイトはhttp://deepclimate.org/ )が、Wegman報告書の記述の出典を調べはじめた。当初、Rapp (2008)の本との類似性を見つけて、RappがWegman報告書に匿名でかかわったのではないかと疑ったそうだが、Rappから違うと言われた。その類似部分は、実はBradley (1999)の文章であり、Rappは引用であることの表示が不明確であるもののこの本を参考文献としてあげてはいたが、Wegman報告書はあげていなかった。ここで、計算機科学者(常勤職からは引退しているらしい) John MasheyがDeep Climateと協力して、テキストの比較をした。その結果、Wegman報告書の文章には、Bradleyのテキストとの類似性が高く、細かい変更はあるものの写しと認められる部分があった。Bradley自身もこれを問題にし、2010年3月、GMUに調査を要請した。GMUは調査手続きにはいったものの、その進行は遅かった(Deep Climateブログ 2010年10月8日、12月23日; Bradley 2011)。そして、Deep Climateブログの2012年2月22日の記事によれば、GMUの調査委員会は、(次に述べる別件は盗作と認めたのだが)、2006年の報告書については不正はないとしてしまった。これにはDeep Climateは不満であり、Bradleyも不満にちがいない。ただし不正としない側の理屈をあげるとすれば、この報告書は学術論文や学術的著書とちがって学者のオリジナリティが問われるものではなく、そして問題の箇所は序論のうちで古気候学の基礎知識を述べた部分であり必ずしも出典を示す必要はないと考えられる。わたしも、もし文章が大幅に組みかえられていれば、出典を示さないことに道義的な批判はできても、不正とはいいがたいと思う。

しかしWegman報告書にあった盗作はこれだけではなかった。Wegman報告書では大きく分けて、Mannたちの使った統計手法が不適切だという主張と、Mannたち古気候研究者が小さな閉じた集団を作っていてその研究が充分な批判的同僚評価にさらされていないという主張をしている。後者の議論をするために、社会ネットワーク解析(social network analysis)という、方法の面からは統計学、対象の面からは社会学の中に位置づけられるであろう分野の方法を使い、学者各人を節(ふし)、論文などの共著者となる関係を節をつなぐ線としたネットワーク構造を考えて、実際にいくらかのデータ処理をした結果を示している。Wegmanはその作業を学問的オリジナリティもあるものだと考えたらしく、他の大学院生による同類の作業と合わせて、Saidが第1著者となってComputational Statistics & Data Analysisという雑誌に論文を出した(Saidほか, 2008)。ところが、これに(やはり序論部分だが)、Wasserman & Faust (1994)やde Nooyほか(2005)の社会ネットワーク解析の教科書およびWikipedia記事からの出典を明示しない写しがあることが指摘され、2010年、雑誌発行者はこの論文を取り消し(retracted)扱いにした(論文は今も雑誌ウェブサイトに置かれているが、大きく「RETRACTED」という字が表示される)。GMUの調査委員会も、これについては研究不正がありWegmanに研究チームリーダーとしての責任があるとした。ところが、この出典を明示しない写しは2006年のWegman報告書にもあるのだが、調査委員会はこれを問題にしなかった。

また、Wiley社が始めたWiley Interdisciplinary Reviews (WIREs)というシリーズのComputational Statisticsの雑誌は、Wegmanが編集委員長、Saidも編集委員をつとめていた(編集委員長を助けるためにその関係者が編集委員にはいること自体はまずいことではないと思う)。そこにのせた、最適化について(Said and Wegman 2009, Deep Climate 2011年10月4日)と色の利用について(Wegman and Said 2011, Deep Climate 2011年3月26日, 5月15日)のレビュー論文についても盗作箇所がある疑い(およびじゅうぶんな査読を受けていない疑い)が指摘されている。雑誌編集者も問題があることを認め、著者に書きなおしを要請したそうだ。また、編集委員長は他の人に代わり、WegmanとSaidは編集委員からはずれた。

Deep Climate (2010年9月15日の記事)は、Said (2005年)、社会ネットワーク論文の共著者であるSharabati (2008年)、もうひとり(2009年)の3人の博士論文にも、盗作と思われる箇所が多数あることを指摘している。おもに背景知識の部分なので、出典明示しなければいけないものであったか、論文を直接読んでいないわたしには判断することがむずかしい。盗作の疑いよりもむしろ、(Deep Climateの指摘によれば)写しまちがいにより意味がとおらなくなっているところがあるのに、指導教員なり審査員なりが気づかず合格にしてしまったところに、指導体制の不備があったと思う。(3人ともアラブ系かと思われる名まえをもつ(留学生か移民の子孫かは知らないが)。大学院生にしては英語文献の読み書きが得意でなかったが、それを補う訓練が不足していたのかもしれないと思う。)

ここまで盗作問題に話題をしぼってきたが、学問的な質の問題もある。

社会ネットワークの論文については、盗作問題のほかに、学問的オリジナリティに関する批判もされたようだ。

わたしは取り消しになった論文を読んでいないが、Wegman報告書で、Mannをめぐる共著関係ネットワークを調べて、閉じた集団だという結果になったのは、方法が不適切だったのだろうという疑いをもっている。確かに、千年の時間規模、全球あるいは半球の空間規模での古気候の復元推定をしている人の数は少なく、たとえライバル関係にあってもときには結果をつきあわせた共著論文を書くので、彼らだけに注目すれば閉じた集団に見えるかもしれない。しかしMannの共著者には、千年規模の仕事もするがむしろ百年規模の観測データによる研究を主にするPhil Jonesなどの気象学者もいるし、地質学者もいる。Mannの共著者の共著者はたくさんの分野の研究者集団に広がっており、共著関係ネットワークを可視化すればそれが見えるはずだ。

それから、もともとBartonがWegmanに調査を依頼した主題は、Mannたちの統計手法が適切なものだったかどうかだったのだ。ところが、(わたしはまだ報告書の論旨がとおっているか確認していないのだが) Deep Climateの2010年10月25日の記事によれば、Wegman報告書のこの問題を扱った部分は、McIntyre and McKitrick (2005)の議論の受け売りであり、さらに、その議論で使われている理屈を正しく理解しないで書きまちがえているところがあるそうだ。Deep Climateの判断が正しいとすれば、Wegmanは肝腎のところで統計学の専門家としての評価能力を発揮していなかったことになる。(McIntyreは大学の数学科を出ているが学者ではなく、その理屈は自己流のところがある。)

わたしが「ホッケースティック」以外の文脈でWegmanの名まえを見たのはUnwinほか(2005)の本の分担執筆者としてだった。Wegmanは、大量データを計算機で扱うことの先駆者であったらしい(この点でわたしは一種の同業者であると感じる)。軍関係のさまざまな研究に関与してきたらしい(この点にはおそろしさを感じるが、かつて大量の計算機資源を使う研究ができる機会はほかに少なかったかもしれない)。たぶん科学アカデミーの統計学部会長に推薦されるだけの業績や見識はあった人なのだと思う。そういう人がどうしてこんな雑な仕事をしてしまったのだろう。共和党の政治的意図に協力しようとしたことは明らかだが、その目的に対しては、報告書の質が低いとわかった時点でむしろ負の貢献になってしまったはずだ。弟子のSaidたちや共和党議員のスタッフなどの協力者たちの仕事の質が高いと思いこんで、チェックしなくても自分は貢献できると考えていたのだろうか?

Wegmanは依然としてGMUの教授ではあるが(主所属がSchool of Physics, Astronomy, and Computational Sciences http://spacs.gmu.edu/profile/edward-wegman/、副所属が Department of Statistics http://statistics.gmu.edu/people_pages/wegman.html )、かつての研究室ホームページだった http://www.galaxy.gmu.edu/stats/wegman.html は読めなくなっている。単なる世代交代かもしれないが、その影響力は少なくなっているように見える。

わたしは、GMUの組織としての盗作問題への対応は鈍すぎると思う。しかし大学全体が「腐っている」とは思わない。わたしが知っている分野は限られるが、GMUの気候研究者の学問の質は高いと思う(地球温暖化よりも年々変動がおもな対象のようだが)。GMUに限らず、学術組織の運営は、経営者が強権的にやればよいというものではない。不正がはびこってはいけないが、多様な意見に配慮する結果、鈍いのはしかたがないとも思う。研究倫理に関する機動的な動きは学者の自主的な集団に期待したいと思う。

文献

  • Raymond Bradley, 1999: Paleoclimatology ― Reconstructing Climates of the Quaternary. Academic Press. [第3版が2014年に出た。なお初版は1985年に別の出版社からQuaternary Paleoclimatologyという題で出た。]
  • Raymond S. Bradley, 2011: Global Warming and Political Intimidation. Amherst MA USA: University of Massachusetts Press, 167 pp. [読書メモ].
  • [同、日本語版] レイモンド S. ブラッドレー 著、 藤倉 良、桂井 太郎 訳 (2012): 地球温暖化バッシング化学同人
  • Wouter de Nooy, Andrej Mrvar & Vladimir Batagelj, 2005: Exploratory Social Network Analysis with Pajek. Cambridge University Press. [わたしは読んでいない。]
  • Michael E. Mann, 2012: The Hockey Stick and the Climate Wars: Dispatches from the Front Lines. New York: Columbia University Press.
  • [同、日本語版] マイケル E. マン 著、藤倉 良、桂井 太郎 訳 (2014): 地球温暖化論争 ― 標的にされたホッケースティック曲線。京都: 化学同人[読書メモ].
  • M.E. Mann, R.S. Bradley & M.K. Hughes, 1998: Global-scale temperature patterns and climate forcing over the past six centuries. Nature, 392, 779 - 787. http://dx.doi.org/10.1038/33859
  • M.E. Mann, R.S. Bradley & M.K. Hughes, 1999: Northern Hemisphere temperatures during the past millennium: inferences, uncertainties, and limitations. Geophysical Research Letters, 26, 759 - 762. http://dx.doi.org/10.1029/1999GL900070
  • S. McIntyre & R. McKitrick, 2005: Hockey sticks, principal components and spurious significance. Geophysical Research Letters, 32, L03710 http://dx.doi.org/10.1029/2004GL021750
  • NRC (National Research Council), 2006: Surface Temperature Reconstructions for the Last 2,000 Years. Washington DC: National Academies Press, 180 pp. http://books.nap.edu/catalog.php?record_id=11676
  • Donald Rapp, 2008: Assessing Climate Change: Temperatures, Solar Radiation, and Heat Balance. Springer-Praxis. [読書ノート]
  • Yasmin H. Said & Edward J. Wegman, 2009: Roadmap for optimization. Wiley Interdisciplinary Reviews: Computational Statistics [WIREs Comp Stat], 1: 3-11. http://dx.doi.org/10.1002/wics.16 [わたしは読んでいない。]
  • Yasmin H. Said, Edward J. Wegman, Walid K. Sharabati, John T. Rigsby, 2008: [RETRACTED] Social networks of author-coauthor relationships. Computational Statistics & Data Analysis, 52: 2177 - 2184. http://dx.doi.org/10.1016/j.csda.2007.07.021 [わたしは読んでいない。]
  • Anthony Unwin, Martin Theus & Heike Hofmann 編, 2006: Graphics of Large Datasets: Visualizing a Million. New York: Springer. 271 pp. [読書ノート]
  • Stanley Wasserman & Katherine Faust, 1994: Social Network Analysis: Methods and Applications. Cambridge University Press. [わたしは読んでいない。]
  • E. Wegman & Y. Said, 2011: Color theory and design. WIREs Comp Stat, 3: 104 - 117. http://dx.doi.org/10.1002/wics.146 [わたしは読んでいない。]
  • Edward J. Wegman, David W. Scott & Yasmin H. Said (2006): Ad hoc Committee Report on the‘Hockey Stick’Global Climate Reconstruction. Internet ArchiveにあるPDF http://web.archive.org/web/20110811183617/http://archives.energycommerce.house.gov/reparchives/108/home/07142006_Wegman_Report.pdf