社会の中で使われる科学的知見の不確実性の表現として、NUSAPというものが提案されている。ICA-RUS(地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究)、とくに藤垣裕子さんを中心とするその「テーマ5」では、実際にこれを使ってみようとしており、その準備として、まず基本的文献の日本語訳を中心とする資料集を作り、またオランダのユトレヒト大学のJeroen van der Sluijs氏を招いて話を聞いている。
わたしも12月5日にICA-RUSの研究集会でvan der Sluijs氏の話を聞いた。まだ必ずしもよく理解していないが、ひとまずわかったことを書き出しておく。
NUSAPは、post-normal science (Ravetz, 2005; Turnpennyほか, 2011)という概念を提唱したFuntowiczとRavetzが、それに関連する方法論として言い出したものだそうで、彼らの1991年の本で論じられているそうだ。
しかし、それを具体的に使ってきた実績があるのは、オランダの環境評価庁 (PBL) [注1] [注2] [注3]だ(Petersenほか, 2011)。1999年 [注4]、PBL職員のde Kwaadsteinet氏が対外的に「PBLによる環境アセスメントの結果はモデルの不確実性を過小評価する形で示されている」と内部告発的な発言をし、PBLへの信頼がゆらいだ。PBLでは、この信頼の危機はまさにpost-normal scienceの状況であると考えて、「不確実性の評価とコミュニケーションのガイダンス」を作った。その中で評価の方法として採用されたのがNUSAPである。このほか、専門家でない人が評価に参加するしくみ(Ravetzたちのいうextended peer reviewに相当する)もつくられてきた。なお、2010年にIPCC第4次報告書のまちがいが指摘されたとき、PBLはその第2作業部会の報告書の全体をレビューしている([2010-07-16の記事]参照)。それはNUSAPよりは簡略な扱いではあるが、同様な発想によるものだった。
- [注1] 近年のヨーロッパの環境行政では、環境リスク評価と環境リスク管理との担当官庁を分けるのが原則になっている。PBLは前者を担当する官庁である。
- [注2] オランダ語のPlanbureau voor de Leefomgevingの略で、英語名はNetherlands Environmental Assessment Agency。
- [注3] 余談だが、気象むらの方言で「PBL」は大気境界層(英語planetary boundary layer)、つまり大気のうち地表から高さ約1 kmくらいまでの部分をさすのだが、このPBLは別ものだ。
- [注4] PBLという組織名は2008年以後のもので、1999年当時はRIVM (Rijksinstituut voor Volksgezondheid en Milieu、国立公衆衛生・環境院)の中の部門だったが、便宜上ここではPBLとして示す。
PBLでは、環境問題のさまざまな定量的評価について、定量的に表現しきれない質的な問題も含めて考えるために、NUSAPが使われている (van der Sluijsほか 2005; Kloproggeほか 2011)。
NUSAPのNは数値(numeral)、Uは単位(unit)、Sは広がり(spread)である。ものごとの定量的評価をするときは、数量の測定値や推定値を扱うが、それは測定や推定の不確かさを伴う。そこで、数量を「代表値プラスマイナス標準誤差」あるいは「最小値から最大値までの範囲」などの「広がり」を伴う形で示すことは、すでによくおこなわれている。
しかしそれで数量の不確かさのすべてが表わされるわけではない。誤差にかぎっても、ランダム誤差は代表値のまわりの広がりとして表現できるが、系統誤差(systematic error、藤垣氏ほかの資料では「定誤差」という表現を使っている)は定性的にしか示せない場合もある。また、結果を意志決定に使う場合は、その目的にそったなんらかの基準で「合格・不合格」のような判定をくだすことがあるだろう。質的評価は複数種類ありうるが、まとめてA (assessment)と呼んでいる。
Pはpedigreeである。このことばは犬や馬の「血統」をさすのに使われている。だれかが「この用語の選択は奇妙だ」と書いていたのを読んだ覚えがあるのだが文献を思い出せない。藤垣氏ほかの資料では「系統」あるいは「系統性」と表現されている。
わたしはまだこの概念の理解に自信がないが、「データのトレーサビリティ」の議論と関係あると思う。2009年にEast Anglia大学Climatic Research Unitの研究者の電子メールが暴露された事件に関連して、CRUの研究者が作成した気温の格子データから、もとの各地の気温の観測値にさかのぼれるか、また他の人がその過程をたどれるかどうかが問われた。(そこで、観測データに提供元が提供先を限定する条件がついている場合があること、データ解析の過程の記録が完全でなかったこと、などの問題が出てきた。) わたしはそれ以前の2007年ごろに「データ統合解析システム」(DIAS)プロジェクト第1期の議論の中で、トレーサビリティを考えるべきだという意識はもちはじめていた(具体策には至らなかったのだが)。農学者が、大学の食堂で提供される野菜はどこでどんな条件で栽培されたものかといった食品のトレーサビリティが求められることがある、という話をしたついでに、研究論文からデータにさかのぼるような情報・知識のトレーサビリティもあるとよい、という話になったのだった。トレーサビリティの議論で求められている情報がpedigreeに対応するのではないだろうか。日本語ではひとまず「由来」と呼んでおきたい。科学的知見の不確実性を知るには、その由来を知る必要があることがある。
van der Sluijsさんの講演では、PBLで環境影響評価に使われている数値モデルの例をあげて、その変数それぞれのpedigreeを表にしていた。わたしはその詳細まで理解していない。わたしなりに考えると、数値モデルの変数の場合は、変数という枠の定義の由来と、その枠にはいる数値の由来を、それぞれ考える必要があると思う。
文献
- Funtowicz, S.O. & Ravetz, J.R., 1990: Uncertainty and Quality in Science for Policy. Kluwer Academic Publishers. [わたしはまだ読んでいない]
- Kloprogge, P., van der Sluijs, J.P. & Petersen, A.C., 2011: A method for the analysis of assumptions in model-based environmental assessments. Environmental Modelling & Software, 26(3): 289 - 301. doi: 10.1016/j.envsoft.2009.06.009 (無料公開)
- Petersen, A.C., Cath, A., Hage, M., Kunseler, E. & van der Sluijs, J.P., 2011: Post-normal science in practice at the Netherlands Environmental Assessment Agency. Science Technology & Human Values, 36(3): 362-388. doi:10.1177/0162243910385797 (無料公開)
- Ravetz, J., 2005: The No-Nonsense Guide to Science. Verso.
- [同、日本語版] ジェローム・ラベッツ著、御代川 貴久夫 訳 (2010): ラベッツ博士の科学論 -- 科学神話の終焉とポスト・ノーマル・サイエンス。こぶし書房, 209+xii pp. ISBN 978-4-87559-253-2. [読書ノート]
- Turnpenny, J., Jones, M. & Lorenzoni, I., 2011: Where now for post-normal science? A critical review of its development, definitions, and uses. Science Technology & Human Values, 36(3): 287-306. doi: 10.1177/0162243910385789 (有料)
- van der Sluijs, J.P., Craye, M., Funtowicz, S., Kloprogge, P., Ravetz, J. & Risbey, J., 2005: Combining quantitative and qualitative measures of uncertainty in model-based environmental assessment: The NUSAP System. Risk Analysis, 25(2): 481-492. doi: 10.1111/j.1539-6924.2005.00604.x (有料)