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「6つのアメリカ」: 気候変動についてだれにはどのように話すかについての研究例

ICA-RUS(地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究)の研究集会で、Edward Maibach氏の話を聞いた。Maibach氏はSkypeによる遠隔参加だったが、日本側担当者との綿密な打ち合わせのおかげで、有益な議論ができたと思う。

Maibach氏はGeorge Mason University (アメリカ合衆国Virginia州)の教授でCenter for Climate Change Communication (4C) http://www.climatechangecommunication.org/ の所長をしている。社会心理学を勉強し、公衆衛生関連のコミュニケーションを専門としてきたが、2007年からこのセンターに移ってからは気候変動関連のコミュニケーションを専門としている。話題はおもにYale大学のProject on Climate Change Communication http://environment.yale.edu/climate-communication/ と共同で2008年から行なっている「Climate Change in American Mind」(結果の一部を反映した「Global Warming's Six Americas」という表題でも知られる)の研究活動とその成果だった。わたしは、「Six Americas」については、紹介するブログ記事かなにかを見て、アメリカ人の態度を6種類に分類したことは知っていたのだが、論文や報告書は読んでいなかったので、分類をどのように使おうとしているのかは、今回の講演ではじめて知った。

「地球温暖化がrealであり(この表現の意味も実は問題なのだがここでは深入りしない)その主原因が人間活動である」という主張を正しいと思うかどうかと、「地球温暖化対策は重要な政治課題だ」と思うかどうかとは、別の問題だ(前者に否定的で後者に肯定的であることは困難ではあるが)。しかし、両方の問題に対する人々の態度は同じ軸にならびやすい。また、アメリカ合衆国では、とくに2000年ごろ以後、「左翼/右翼」「リベラル/保守」「民主党支持/共和党支持」の軸もこれと相関する傾向がある。共和党支持の政治家や評論家が温暖化について述べるとすれば温暖化対策だけでなく事実認識についても否定的なものであることが多い。共和党支持で温暖化がrealだと思っている人もいるのだが、そういう発言が政治の話にのりにくくなっている。Maibach氏たちの研究は、地方別のものもあるが、ほとんどがアメリカ国内なので、言論の構造がかなり違うと思われる日本やその他の国では結果は違ってくるだろうと思う。

4Cのウェブサイトの趣旨説明を見ると、民主党/共和党あるいはリベラル/保守という政治的対立軸からは中立を保つように強く注意していることが感じられる。他方、Maibach氏の話を聞くと、「地球温暖化がrealであり、その対策が必要である」という認識についてはまったく中立ではなく、そういう認識を多くの人に持ってもらいたいというadvocacyの立場に立って、そのためには人々にどう働きかけたらよいかを考えているようだ。(ただし、政策の内わけとして炭素税と排出枠取り引きのどちらがよいかなどのレベルでは中立のようだ。) 悪く言えば、政治の全体構造からは距離を置きながら、政策の中に温暖化対策の重要性というspecial interestを売りこむために大衆心理をあやつる宣伝戦略を考えているといえるかもしれない。ただし、現実には、たとえば化石燃料業界のspecial interestを反映しながらそれを全国民の利害であるかのように主張する宣伝活動・ロビー活動がたくさんあり、それにくらべれば(もちろん評価する人の立ち位置によるのだが、自然科学的気候研究者の位置から見れば)良心的な活動だといえると思う。わたし個人の政策に関する意見はMaibach氏のものと近いようだが、わたしが日本社会に必要と思うのは、温暖化対策のadvocacyからは一段ひいて、それを他の政策といっしょに考えてみようという活動だ。

「Six Americas」とは、アメリカ人の気候変化(地球温暖化)に対する態度が、アンケート調査の統計的分析によって、6つのグループに分かれたことをさす。6つにはそれぞれ形容詞の名まえがつけられたが、1次元的な軸にならんでいるとみなせるので、わたしは仮に(1)から(6)の番号で呼ぶことにする。この1次元的な軸は、「温暖化がrealと思う/思わない」、「温暖化対策の政策が必要だと思う/思わない」と、政治的「リベラル/保守」がだいたい重なっているのだ。このように単純化できるのはさきほど述べたようにアメリカ特有の事情があると思う。人数の多いのは(2)と(3)なのだそうだ。それをすなおに解釈すれば、アメリカ人の多数は温暖化はrealだと思っているがその対策行動にはあまり積極的ではない、ということになる。

ただし、調査では第2の軸も見えている。気候問題への関心の高さは、(4)が谷となり両側で高くなる。(6)の人は、気候に関心をもったうえで「温暖化はウソである」という確信をもっている。あるいは「温暖化は重要な問題ではない」と考えながら、温暖化対策ではないが何かの政策を推進する活動に積極的だ。(4)は、学歴が低い人や貧しい人と重なる傾向があり、気候に関心をもつ機会も政策に関心をもつ機会も少ないようだ。

新しい知識を得て考えを変える可能性は、(1)と(6)の人については小さいそうだ。それは(1)と(6)の人の(気候問題に関する)判断の理由づけが動機による理由づけ(motivated reaasoning)になっているからだと考えられる。経験から学ぶ(experiential learning)が有効なのは(2)から(5)の人びとなので、知識の提供はこの人たちに向けるのがよい(とMaibach氏は考える)。(6)の人たちは直接には相手にしないが怒らせないようには注意する。また、個別の(6)の人に対して、具体的政策に関しては、温暖化ではなく、健康に害のある汚染物質を減らすことやエネルギー節約を理由に賛同を求めるのが有効なこともある。

またMaibach氏は心理学者Kahneman氏の著作をひいて、人がものごとを理由づけする過程を、経験による速い思考と、理屈による遅い思考に分けた上で、前者への働きかけが有効だと考えている。調査研究とは別の活動として、気候問題への関心を高めるためのビデオ作成にも参加しているが、そこでは視聴者が実感をもてるローカルな現象と地球温暖化を関連づけることに重点をおいている。

この最後の件について、わたしは不安を感じ、質問として発言した。

ローカルにすでに起こっている大雨などの極端現象を気候変動(広い意味)の一環と見ることまではよいのだが、それが人間活動由来の温室効果気体排出による気候変動(狭い意味)の現われであるという原因特定(attribution)は困難で、できたとしてもその不確かさは大きい。また将来の気候についても、グローバルな変化に比べてローカルな変化の予測の不確かさはとても大きい。さらに、その場のローカルな気候変化は小さいと予測されるかもしれないが、それは必ずしもグローバルな気候変化がその地域の社会への影響におよぼす影響が小さいことを意味しない。ローカルな気候変化や極端現象に注意をひくことは、グローバルな気候変化とその重要性に関してまちがった認識に誘導することにならないか。

これに対するMaibach氏の応答は、アメリカ合衆国では全国をいくつかに分けた地方別に気候変化とその影響の予測型研究が進められており、そこからすでに起こった現象の原因特定についても材料が提供されているので、だいじょうぶだ、というようなものだった。

わたしはこれに、アメリカの問題だとしても、必ずしも納得していない。しかしとくに日本では要注意だと思う。日本は言語圏と国家の重なりが大きいせいもあって、人々の関心が日本の範囲に集中しがちだ。しかし日本くらいの規模の気候変化予測には世界規模よりもずっと不確かさが大きい。また、わたしの主観的予想としては、日本の社会への世界の気候変化の影響は、日本の気候変化を通じてよりも、世界の他地域の気候がそこの社会におよぼす影響を通じてのもののほうが大きいと思われるのだ。ローカルな気候に関心をひくことは、世界の他地域の人のくらし(とその基盤となる気候)への関心を高めることと組み合わせないと、逆効果であるおそれもあると思う。