macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

サンフランシスコの印象

AGU Fall Meeting [12月10日の記事1]の話題はもう少し続けるつもりなのだが、そのほかのサンフランシスコで見聞きしたことを書きとめておく。

サンフランシスコの都市計画上重要な街路である(その両側で格子状街路網の方角が違っている) Market Streetを、BART (Bay Area Rapid Transit)のPowell駅とCivic Center駅との間の約1kmを毎日歩いて往復した。Powell駅付近は都心というべき商業地区、Civic Center駅付近は市役所などの公共機関が集まっているところ。Market Streetには地上に路面電車(さまざまな車両)、地下に地下鉄も通っている。

朝7時台の時間に、この通りのこの区間の歩道で、ホームレスと思われる人が3人くらい寝ているのを見た。ただし1人ずつ別々であり、集団をなしているわけではない。雨が降っているときには見なかったが、どこですごしているのかわからない。

わたしはどこへ行っても本屋を見たくなる。アメリカでは、日本の大都市にあるような、どんな種類の本でもならんでいるような大きな本屋はあまりないことは前から知っていた。とくに理科系の大学レベルの本がそろっているところは少ない。それにしても、サンフランシスコの市街地には本屋が少ないと思った。ネットで「San Francisco bookstore」で検索をかけてみると、ここ数年の間に本屋が閉店したという記事が複数見つかった。全国チェーンも撤退したし、個人商店が家賃が上がるのに耐えられず廃業したところもあったそうだ。日本以上に本を買うお客がネット通信販売にシフトする傾向があるだろうから、実物を置く本屋はやりにくくなっているだろう。

学会会場と同じ街区にも本屋があるにはあるのだが、写真集など芸術系に特化した店だった。検索したうちで近くにある店に行ってみた。夕方6時閉店だそうなので昼休みの間に往復したがあまり詳しく見られなかった。日本流に言えば間口2間程度のいかにも個人商店だったが、地下から2階まで3フロアあってジャンルは多く、科学読み物や自然環境の本も扱っていた。しかし各ジャンルの品ぞろえは大事な本がそろっているとは限らず、店員がたまたま知ったものなのだろうと思った。

日本で出版された旅行案内にものっている(ただしその地図の表記を見まちがえてよけいに歩いてしまったが) City Lights Booksという本屋は、会場から北へ歩いて30分ほどのところ(China Townの北)にあり、夜遅くまでやっているので、水曜の晩に行ってみた。1階はフィクションと評論で、自社出版の本もある。地下は歴史・哲学・芸術などが多いが、Nature (自然観察)、Science (自然科学)、環境問題の本もあった。自然観察のうちにはカリフォルニアの自然史のシリーズもあった。自然科学の本は、一般向けの科学読み物のほかに科学史関係のやや専門的なものもあった。しかし大学の理科系の専門教科書のレベルの本はなかった(文科系はそれらしいものがあるにもかかわらず)。

検索した中には国際空港内の本屋もあったが、国内線の出発時の手荷物検査後のお客用の場所なのであきらめた。国際線の手荷物検査前のところにも本屋があるはずなのだが、行ってみると新刊雑誌がならんだ壁しかない。改装中のようだったが、改装後にまた本屋になるか定かでない。国際線の手荷物検査後のところには、新刊雑誌を主とし、ぺーパーバックと、じきにペーパーバックになりそうな新刊のハードカバーをいくらか置いてある店があった。雑誌のほうはScientific AmericanMIT Tech Reviewなども含んでいたが、単行本は旅行案内を別としてそもそもノンフィクションが少なく、理科系の読み物となるとまれだ。

Twitter社の本社がMarket StreetのCivic Center付近に移ったという報道記事を見たので見にいったが、まだ改装中で、それができたら引っ越してくるということらしかった。

インターネット接続は、ホテルの寝室ではWifi (日本でいう無線LAN)が利用できた。無料だが、いったん接続してブラウザを開いてパスワードを入れる方式で、いつのまにか認証が切れていることがあって数十分ごとに操作が必要だった。ほかに1階ロビー付近に端末パソコンが置かれていたがわたしは使わなかった。AGUの会場にもWifiがあり、こちらは移動しなければめったに切れなかった。Westの口頭発表会場前ロビーの机に電源とともに有線(10BaseT)ネットも用意されたが、電源利用者は多いが有線ネット利用者は少なかったようだ。参加者に行事日程は紙で配られたものの各講演の要旨はネット上にあるだけだったから参加者の多くがネット接続を必要としたはずで、AGUは千人くらいが同時にWifi接続しても実用になるほどの処理能力を用意したにちがいない。

今回の出張中わたしは宴会に参加することもなく、食事はほとんどいわゆるファストフードですませた。ただし、これは、カウンターで注文して現金を払うような売りかたをしている店という意味で、サンドイッチのSubwayやBurger Kingなどのよく知られたフランチャイズチェーンもあるが、個人店もある。個人店だろうと思ったら複数の場所で同じブランドを見かけたこともある。おそらくローカルなチェーン店なのだろう。

ファストフードの種類について、食べたものだけでなく見かけたものを思いだしてみる。アメリカ的ではあるがそれ以上に民族的ではないものとして、サンドイッチ類、ハンバーガー、ドーナツなどがあった。民族的なものでいちばん多かったのはMexican (burrito、tacoほか)だったと思うが、アジア系もそれに負けずに多かった。ただしAsianとかEast Asianとかいうキーワードは使われない(Orientalはあったが)。中華、日本、インド、韓国、タイ、ベトナム、フィリピンなどの料理がそれぞれある。ところがMediterranean (gyro、shish kebab、falafelほか)はそのようにまとめられている。(2001年に見たパリではギリシャレバノン、などが区別されていた、と言おうと思ったが、そちらはレストランだった。サンフランシスコでもレストランに注目すればファストフードの場合と事情が違うかもしれない。)

ベジタリアンの店が日本(ただし精進料理が名物である地区を除く)よりも多いと思う。(ただしvegetarianは乳製品を含み、卵も含むかもしれない。純植物食はveganという。Vegetarianの店のメニューにはどれがveganであるか書いてあることが多い。) インド系、中華系、創作料理などさまざまだ。一般の店でもメニューのどの品目がベジタリアンか示していることが多い。Mediterraneanならばfalafel (豆製品)がそうだ。ただし料理名に含まれたvegiとかveggieは「野菜」を意味することが多く、そういうものを注文すると生野菜ばかり大量に食べさせられることもある。

コーヒーショップはいろいろあったが、ファストフード型の店はStarbucksが多く(同じ通りの向かいどうしにあったりする)、同類他社が見あたらなかった。学会の会場内も、すべてかどうかはわからないがブランドを確認できたところはみなStarbucksだった。わたしに判断できる限りでは味もそろっているようだ。(他のファストフードのフランチャイズチェーンではこれは必ずしも成り立たない。) 1980年代に体験したアメリカのコーヒーとはだいぶ違うものになったと思う。Starbucksのメニューは日本のStarbucksとほぼ同じだと思ったが、アイスコーヒーはなかったかもしれない。フラペチーノはあった。パンの種類がいくらか違うかもしれない。日本に帰ってきて成田空港の地下の鉄道駅前(ここは日本なのにStarbucksしかなかった)で気がついたことは、紙コップの大きさが全然違うことだ。同じshortサイズで、コーヒーの量もアメリカのほうが多いようだが、上に残るすきまがアメリカのほうがずっと大きい。日本の紙コップの使いかたでは、カウンターで受け取って席までこぼさずに運ぶのもつらいし、ミルクや砂糖も(飲み始める前に入れるならば)少ししか入れられない。これはけちりすぎだろう。日本は、再利用できるマグカップを使うところが多いのはよいのだが(今回見た限りのアメリカではいずれも紙コップばかりだった。ただし未確認だがお客が持つタンブラーの利用は日本よりも進んでいるようだった)、コップの大きさはもう少し余裕をもたせたほうがよいと思った。

空港と市内との往復はわたしのことだから当然鉄道だ。BARTの空港駅が国際線ターミナルの近くにある。空港駅の入口に多数の案内パンフレットがある。英語のほかスペイン語、中国語、ベトナム語、韓国語などがあった。空港から市内まで片道8.25ドル。自動販売機の操作が必ずしもよくわからなかったが、10ドル札を入れてすなおに操作すると10ドルの切符を買えた。帰りはその切符を自動販売機に入れて残額を使いお金を追加してちょうど8.25ドルの切符を買うことができた。行きの12月2日(日曜)午前は何かの機器の故障でしばらく電車が動かず、空港駅で1時間ほど待たされた。移動だけの日だったので気にならなかったが、すぐに仕事がひかえていたらあわてたと思う。市街地から南向きはDaly City行きが多い。空港へ行く電車もDaly Cityは止まるのだがプラットフォームが違うので、ひとつ前のBalboa Parkで乗りかえることが勧められていた。